Catharsis Chronicle.

水依凪音

6月の悪夢

第1話 夏至夜風

「馬鹿みたいじゃねぇか」


親父は開口一番、そう言った。俺と親父の間を、冷たい夜風が吹き抜けていく。



毎日平凡な、同じ日々を過ごしていた。

ただ、今日がいつもと違うのは、俺がスーツを着ていること、そして姉が食卓にいること。まあ、3人の食卓は久しぶりだなんて生ぬるいことを言っている暇はない。


自慢ではないが俺は今日、内定をもらった。俺にしては頑張った方だと思っている。6月に内定が決まる人は4人に3人と言われている、そのなかに滑り込んだ。

中高ほとんどを帰宅部として過ごしてきた俺としては、少しくらい褒められてもいいと思う。いや、褒めてほしい、褒めてくれ。


親父の言葉に対する、は、という音は疑問詞だったのか、感動詞だったのか。

それは声になることなく、静かに胸に溶けて消えた。


沈黙を切るように、姉がこちらを見やる。

「琳ちゃん、そのパンフレット、見せて」

片手をこちらに向ける。俺は面接日にもらったパンフレットを姉に差し出した。

コンサル業。求人サイトに載っていた、いい感じの職場。

「うーん、ありきたりのことしか載ってないね。お客様に寄り添い続ける、感動を目指す、ねぇ…まあ、琳ちゃんがやりたいことなら、良いんじゃない?良いと思うよ」

そう言って笑窪をつくって微笑む。「琳ちゃんがコンサルかあ、以外だな」と。

ホッとした。家庭内、唯一の女はやはり包容感がある。


父は顔をしかめたまま、机を荒く叩いた。

「俺がわかんねぇのは、お前みたいな奴がどうやったらコンサル?っつうしっかりした仕事に就けるかってところだよ」

俺は深く思った。うん。酷い。虫けら扱いにも程がある。琳ちゃん、傷ついた。


思い当たる節はある。

父は俺の中高を見てきた。授業参観だって、体育祭だって、親父が見学に来ていた。確かに中2くらい頃のやんちゃ盛りな俺を切り取って見れば、今回の入社試験合格は信じられないだろう。あの時の自分は、確実に馬鹿と言えた。某猫型ロボットが出てくるアニメの主人公並だ。


小学生を引き連れて河原を駆けていた中学生時代。運動神経が悲しいほど無く、小学校高学年5、6人とふざけて用水路の端の部分を平均台に見立てて渡っていた最中、誤って足を滑らせるという失態に。俺はその夏初めての入水を華麗に行い、公開処刑として姉に連おぶられて家まで帰った。今でも親水緑道は恨んでいる。中1の頃だ。


それに比べて、今の俺は頑張ったのだ。血と汗と涙の結晶がこれだ。そりゃ、多少はサボったり遊んだりしたが。きっと血と汗と涙の中には少量のジンジャエールが入ってる。多少だ、多少。


「ま、俺なりに上手くやるよ」

その一言で片付ける。

ごちそうさま、と言って箸を置く。父は何も言わないまま、煙草に火をつけた。


「ちょっとお父さん、煙いからやめてよ。受動喫煙って知らないの?」

姉が馬鹿なの、と言いたげに顔の前の空気を払う。親父は聞こえないように窓の外を眺めた。

網戸からカゲロウが一瞬、見えた気がした。

「良いだろ、今日くらい。息子の内定祝いだよ」

「いつもそう言うんだから、全く…琳ちゃん、換気扇をつけてもらえる?」


頷くかわりに、『入』のボタンを軽く力を加えて押した。

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