第17話 儀式

土壁に囲まれた狭い地下室。その冷たい床に、私は正座していた。仄暗い部屋の中で、蝋燭の灯りだけが揺れている。


「今年は"これ"だけか」

「はい。前年の儀式が成功しましたので、今年はこれで十分かと」

「そうか……村民を礼拝堂へ集めろ、一人残さずな。皆でこの神童をするのだ」


 この村には、言い伝えがある。

 その昔。度重なる大雨や嵐によって、村は飢饉に見舞われた。食物に飢え、餓死する村民が続出する中、天候は悪化するばかり。そこで人々が助けを求めたのは、豊穣の女神、プラアプガ。天候は人の身では手の付けられないもの。ならば、人ならざるものに頼む他無かった。

 女神のための祭壇を造り、村に残る数少ない野菜や果物を供えた。しかし、事態は一向に収まらない。人々は、神が供え物に満足していないと捉えた。

 次に手を出したのは肉。村で飼っていた山羊や牛の肉を祭壇へ供える。けれども肉が腐るばかりで、天候は良くならない。

 次に手を出したのは何か。子供だ。村の子供を一人捕え、神に選ばれた子『神童』として祀りあげ、祭壇のある地下室へ放置する。神童に選ばれる基準は不明。するとあれほどまで吹き荒れていた雨風が止み、空を覆う暗雲が晴れ、金色の太陽が顔を出した。

 以来、この村ではプラアプガを信仰し、年に一度、村の豊作を願って子供を一人生贄とする。前年の儀式が失敗すれば翌年は二人。その贄に、私は選ばれた。

 別に、怖いという感情は無い。誰か一人は必ず選ばれる。たまたま、それが私だっただけ。それが、当たり前。

 やがて続々と地下に大人が集まって、私の周囲を取り囲む。

 ああ、私はもう『人の子』では無いのだ。

 長老の合図で、大人達は経典を両手に唱え始める。


「主よ、我らの魂を救いたまえ。豊穣の女神プラアプガよ。どうか我が村へ恩恵を、実りの祝福を―――」





◇◇◇


 柊が目を覚ますと、そこは深い緑に包まれていた。ザワザワと葉が風に揺れる音がして、初めて、ここが森であると気づく。


「タルト、構成員の無事を確認しろ。辺りの偵察は俺がやる」

「言われなくても分かってるよ、イェルカー」

「総員、整列。そのまま待機せよ!」


 イェルカーとタルトが忙しなく動き回る。柊は緊張感で膠着したまま、その場に突っ立っていた。


(なんとかしてコイツらより先に村へ到着したい。だがタルトの監視がある以上それは困難。偵察はイェルカーが担当すると言っていた。一足先に村へ到着したとして、まずは住民の安否確認と避難誘導。組織の足止め。それから……)


 どう考えても人手不足だ。一人で出来る所業では無い。そもそもこれは電報が上手く届いた前提の作戦。届いていなければその時点で計画は破綻する。


(一人でも、一人でも多く助けるんだ。自分の出来る事をやれ、名取柊!)


「あれー?ジャックが居ないよぉ」

「何?チッ、またあの小娘……オイ、どこだヴァルート。さっさと出てこい!おい監視、ナトリシュウ!貴様なぜ目を離した!」


 イェルカーは柊の胸ぐらへ掴みかかる。自身の作戦に集中するあまり、ジャックの監視を完全に失念していた。


「申し訳ありません、イェルカー隊長。目を離したつもりは無かったのですが……」

「貴様……っ!いいか、非常に不本意だが、此度の任務。ヴァルートは優秀な戦力であり作戦の要だ。それを見逃すなど、甚だ愚行。貴様のその甘ったれた精神、研ぎ直してやる!」


 イェルカーは拳を握りしめ、柊へと殴りかかる。衝撃で地面へ腰を落とす。頬がズキズキと痛み始め、歯茎から血が滴った。


(ジャックが、要……?)


「まあ落ち着け隊長殿。当方がそんなに恋しかったか?」


 見上げると、木の枝の上に人が座り込んでいる。ジャックだ。言葉こそこちらへ向けられているものの、目線は遥か遠くを見据えていた。


(いつからあんなところに?!)


「ヴァルート、なぜそんなところに居る。さっさと降りないか!」

「当方がなんの策も無しに木登りしたとでも?ところでイェルカー、一つ質問。この先、本当に村があるんだな」

「何度もそう言っているだろう。馬鹿か貴様」

「だよなぁ、そのはずなんだよなぁ」

「この質疑応答になんの意味がある!はっきりしろ」

「あーあーうるさい。当方の耳が壊れそうだ。よっと」


 ジャックは木の枝から飛び降り、服に着いた木屑を払う。


「この先、人間の匂いが無いんだよ。これっぽっちもな」

「……何」


 周りの構成員がざわつき始め、イェルカーの眉間に皺がよった。

 どういうことか理解出来ずにいた柊に、タルトが傍へ近づいて、耳元で囁く。


「君は一番新入りだから知らないかもだけど、ジャックは生き物の匂いに敏感なんだ。正確には血の匂いなんだけど、数十メートル先の匂いまで感知してくれる。イェルカーが要って言ってたのはそれも一つの要因かな」


 一つ、ということは他にも要因があるのだろう。魔術特性を使用出来ると言っていたし、その発言が嘘でなければ、ジャックは相当な脅威となる。腹の底が知れない強敵。先日の取り引きも、どこまで信用していいのやら。


「あー、あとそれ痛かったよね。ごめん、イェルカー気性荒いとこあるから。今治癒かけて」

「いえ、このままで良いんです」

「あら、そお?そうなんだ、へぇ……」


 柊はこの痛みを忘れたくなかった。いつか痛みを与えた奴に、この組織への復讐心を忘れないため。

 タルトは細目で柊を見つめている。それが疑いのものなのか、あるいは単純な興味なのか、定かではない。


「フォルストの村民め、さては襲撃に気がついたのではあるまいな。全員で乗り込むのは危険だ。先に偵察を……」


 イェルカーの言葉は、柊にとって好機そのものだ。もし自分が偵察へ赴いたなら、村人の安否を確認出来る。そこから組織の連中が来るまでに避難誘導をすることも可能かもしれない。


「イェルカー隊長。その偵察、俺に行かせてください」

「なぜ貴様が立候補をする、ナトリシュウ。問題児一人の監視も碌に出来ない無能が!」


 先程の柊の行動に腹を立てるイェルカー。瞳には敵意が宿っている。


(まあ、そう簡単には行かせない、か)


「だからこそです。先程の失態、その汚名返上をさせてください。もう失敗はしません。必ずこの任務に貢献すると、約束します」


 負けじとイェルカーを見つめ返した。この言葉は嘘に塗れている。強い眼差しも、組織に貢献したいという理由も全て。しかし、柊にはどうしても譲れないものがあるのだ。


「……くだらん。やはり偵察には俺が」

「いいんじゃないかな。本人もこう言ってるし、何よりシュウくんは初任務。まあ、新人研修ってことでここは一つ。彼の実力を試してみようよ」


 ここでまさかの、タルトによる助け舟が出た。タルトも底知れない奴ではあるが、今のところ柊に大して敵意は向けていない模様。これは利用出来そうだ。


「だが、しかし」

「イェルカーはちょっと頭硬すぎるよ。それにほら、時間だって刻一刻と迫ってる。早く決めちゃお?」

「……裏切るなよ、ナトリシュウ。俺は未だ、お前を不審に思っている。尚、ヴァルートの一時的な監視は、タルト。お前がやれ」

「了解」

「あ?まだ付けんの?当方のことどれだけ問題児扱いしたいんだ……」


 イェルカーは柊を睨みつつも、一歩後ろへ下がった。

 タルトは「ありがと、イェルカー」と微笑み、ポケットから小さな笛を取り出す。


「じゃあ、シュウ君には……はいこれ」

「これは……」

「村人の姿が確認出来たらこの笛を一回、村人がどこにも居なかったり、思わぬ事態が起きた場合は二回吹いて。村の場所は、ここ数十メートルを真っ直ぐ行くだけだから。頑張って」


 笛を渡される。手から滑り落ちそうなほど小さい。柊は笛を握りしめると、タルトへ礼をし、村へ急いだ。


(あまり時間はかけられない。早く、早くしなくては……)


 柊の背中を、ジャックは見送る。その口元は、薄く笑みを浮かべていた。


「せいぜい頑張れよ、監視。ハハッ、楽しみだなぁ、久しぶりの殺戮だぁ♪」


 


 

 


 

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