第5話 それでも息を続けること

壁や床についた傷、そこら中にこびりついた血痕、そして転がる仲間の死体。柊は再び、あの惨劇の中に立っていた。

 柊は、目の前に横たわる赤いチョッキの少年を揺する。


「ジェイ、起きろ!返事をしてくれ!」


 必死に呼びかけると、少年は目を開いた。柊は心から安堵し、


「良かった、無事で」


 と微笑んだ。

 しかし少年は目を見開いたまま、


「助けて……くれ」


とか細い声で唸る。


「どうか俺を、助けてくれ……お前が、助けてくれ……助けろ…」


 少年の目が次第に血走っていく。柊は何も言えなかった。


「あたし……まだ、生きたい……やりたいこと、いっぱいあった……なのに……」


 背後から少女の声がする。振り向くと、紫紺のケープを羽織った小柄な少女がすすり泣いていた。その瞳からは血涙が流れている。


「リズ、俺は……」

「何も出来ないまま終わっちゃった……あたし、悔しいよ……もっと、生きてたかった……」


 柊にとってそれは願ってもない事だ。もし彼女が、仲間が生きていたらと、どんなに思ったことだろう。


「許してくれ!俺に力が足りなかったんだ。許してくれ……」

「どうして、逃げてくれなかったんですか」


 今度は、目の前に少女が立っていた。白いローブの、金髪の少女が。


「ソ、フィア……」

「私、頑張りました。最後の力を振り絞って、君に逃げるよう促しました。でも、君は逃げなかった。私の、最後の願いを、叶えてはくれませんでした」


 少女の瞳に色はなく、その視線は冷えきっている。


「お、れは……」

「どうして、助けてくれなかったんだよ」

「どうして、あたし達を死なせたの」

「どうして、君一人生き残ってるの」

『お前が死ねば良かったのに。』


 血走った目、血涙を流す目、色の無い冷たい目がそれぞれ柊を睨んでいた。果てのない罪悪感に苛まれ、言葉が出てこない。


「俺、は……」

『死ね、お前が死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……』


 呪いの言葉が体中を駆け巡り、心を蝕んでゆく。


『死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死』

「もうやめてくれ!」



 ハッと目を覚ます。気がつくと柊を睨む目は消えていた。そこで初めて、自分が夢を見ていたのだと気づく。


 (悪夢にも、程があるだろ……)


 上体を起こそうと力を入れた瞬間、体に電撃が走った。


「が、あっ……!」


 まるで血管に直接電流を流し込まれたかのようなそれは、今まで味わったことの無い激痛。喉の奥から呻き声を上げた。

 途端に、眠る以前の記憶が蘇る。謎の地下室に連行され、正体不明の青年に暴行を加えられた後。


 (俺は、アンノウンの一員になった、のか。)


 自分でも信じられなかった。本当なら今だって信じたくないのだが。現状、受け入れるほかに選択肢は無い。

 となると、今自分がいるこの部屋はどこだろうか、という疑問が浮かぶ。アンノウンに関連する敷地に、変わりはないのだろうが。

 黒い壁に大理石の床。部屋の中央にあるローテーブルと縁が金色の赤いカウチソファは、ゴージャスな雰囲気を醸し出していた。左手には洗面所と思しきスペース、右手には大きめのクローゼット。そして自分が今寝転がっているベッドはダブルベッド程の広さで、悔しいが最高に寝心地が良い。

 

 (まるでホテルの一室みたいじゃないか。)


 柊はてっきり牢獄にでも閉じ込められるものと思っていたため、イメージとは真逆の部屋に唖然としていた。


 (……とりあえず、風呂に入りたい。)


 どのくらいの時間かは分からないが、おそらくかなり長い間眠っていたのだろう。全身がベタついて気持ちが悪い。

 体を起こそうとすると、再びあの電撃が走った。


 (馬鹿か俺は。学習能力無さすぎだろ。)

 

 ビリビリと痛む体をなんとか起こし、ゆっくりと立ち上がると、


「ぐっ……!」


 次は足に激痛が集中する。神経が感電しているみたいに、痺れが治まらない。

 壁伝いに一歩ずつゆっくりと洗面所へ向かう。浦島太郎のように、いつの間にか老人にでもなっているんじゃないかと疑うほど、体に力が入らず、急に不安になってきた。

 やっとの思いで洗面所に辿り着くと、鏡に映った自分に感じる、明らかな異変。


「なんだ、これ……」


 両目が真っ赤に染まっていた。元の黒目はすっかり面影を失い、鮮血の赤へと変化している。自分を見下ろしていた、あの瞳と同じ色。


「クソっ、まだ夢を見てるのか俺はっ!」


 必死に瞼を擦るも瞳の色は依然変わらない。柊は呆気に取られた。身の回りの事がガラリと変わりすぎて、情報の整理がつかずにいる。思わず、「はぁ…」と深い溜息。


「何が起こってるんだよ、一体……」

「おはようございます」

「っ?!」

 

 突然背後から声が聞こえ、即座に身構えた。鏡に自分と、もう一人女性が映っている。

 アッシュグレーの髪をクラウンブレイドに結い、サイドの長髪を下ろした上品なヘアスタイル。黒のロングワンピースにフリル付きのエプロン、そして頭にホワイトブリムを身につけた姿は、メイドそのものだ。メイド喫茶なんかにいる可愛らしさ重視のメイドというよりかは、西洋の御屋敷に仕えている清楚なメイドのイメージ。

 メイドは瞬きすら見せない仏頂面で、柊を見つめていた。鏡の中でお互いに見つめ合うという奇妙な時間が流れる。


「……誰だよ、あんた」

「申し遅れました。これより一週間、ナトリシュウ様の世話係を務めさせていただく、私クロエ・ガターリッジと申します。以後、お見知り置きを」


 クロエは優雅にカーテシーをした。抑揚の無い声だが、不思議と聞いていて嫌な気分はしない。

 しかし油断は禁物。相手はアンノウンの従者。気を抜いて瞬間隙をつかれて、なんてことも有り得るのだ。


「世話なんて、必要無い。さっさと出ていけ」

「私はボスよりこの役目を申し付けられました。私が従うのはボスであり、ナトリシュウ様、貴方ではありません。故に、拒否します」


 クロエは機械的に答えた。もしかしたら、本当に機械かもしれない。


「それにナトリ様、ご自分の体の変化にお気づきでいらっしゃいますね?その容態のままおひとりで過ごされるのは、少々危険かと」

「……。」

「ご安心ください。私はあくまで世話係、ただのメイドです。私がナトリ様へ必要以上に干渉することはありませんし、ナトリ様もそれは同様。違いますか?」

「……一つ、質問がある」

「はい、答えられる範疇であればお答えします。」

「俺の瞳が、赤色に変化している現象。これはなんだ」


 一番の疑問を投げかける。果たしてこれが答えられる範疇に該当しているのか否や。


「暁の双眼。ボスのお力の一つです。構成員にのみ発動し、ステータスを大幅に上昇させます。しかしステータスを無理矢理引き上げる訳ですから、体への負荷は免れません。つまり、今ナトリ様の全身に走っているその痛みは、肉体増強に体が順応していない証拠なのです。まあ貴方の場合、負傷が酷かったのもありますが」


 柊の腕と胸、頭部には包帯が巻かれており、少し血が滲んでいた。地下室で思うままに痛めつけられた記憶がフラッシュバックする。無論、ここまでの負傷は人生初。出来れば一生経験したくなかった。


「順応するまでにはどれくらいかかるんだ」

「およそ一週間、長くても二週間ほどかと」


 つまるところ、柊は一週間以上ほぼ寝たきりの生活となる。他人に、それも組織の一員に面倒を見られるのは抵抗しかない。本当なら拒絶しているところだが、ここはぐっとこらえた。


「分かった、面倒を見てくれることには感謝する。だが俺に危害を加えるようなことはするな」


 クロエは溜息をつき、


「する訳が無いでしょう。自分の立場を脅かようなことを進んでする馬鹿がどこにいるというのですか」


と呆れたような顔で言う。


「……風呂に入る。俺が出るまでここに入るな」

「承知致しました」


 クロエは丁寧にお辞儀をすると、洗面所のドアを閉めた。





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 正直、風呂にも何か細工が施してあるのではないかと疑っていたが、そのようなことは無く、寧ろお湯からアロマのようないい香りがした。


「接待か、接待なのかこれは」


 もはや高級ホテル並のサービスではないかと思う。風呂から上がり、かけてあったタオルで体を拭いた。心無しか、タオルの触り心地も良い気がする。


「こちらお召し物になります」

「ああ、ありがと……ん?」


 横にいたのは、こちらに寝巻きを差し出すクロエ。柊は慌ててタオルで急所を隠す。


「なんで入ってきてるんだよ?!」

「俺が出るまで、と仰いましたので、タイミングを見計らったのですが、それが何か?」

「それは、俺が洗面所から出るまでって意味!紛らわしい言い方をした俺も悪いが、お前ももう少し配慮してくれ……」

「?ああ、ナトリ様の裸体には露ほども興味がありませんので、お気になさらず」

「そういう問題じゃないんだよ!とりあえずここからは出てってくれ……」

「……承知致しました」


 クロエは寝巻きを柊に渡すと、腑に落ちない、という顔で出ていった。

 このメイド、男の恥をいとも簡単にスルーするものだから末恐ろしい。


「全く……おかしな奴だ」


 寝巻きに着替えベッドに戻る。と、あることに気づいた。


「なんかさっきより体が楽になったような……」

「浴槽に鎮痛効果のある薬湯を張っておきましたので、その影響かと」


 なるほど、だからアロマのようないい香りがしたのか、と納得する。薬湯のような代物は所詮気休め程度にしかならないと思っていたが、“薬”湯というだけあって、その効果は舐めたものでもないらしい。とはいえ傷が治った訳では無いので、体が痛むことに変わりはないのだが。

 

「包帯をお取り返します。お手数ですが、暫し起き上がっていただいても?」

「あ、ああ」


 柊が起き上がると、クロエは「失礼。」と寝巻きのボタンを外し、患部に手際良く包帯を巻いていく。本当にこれが、反社会組織なのだろうか。柊は既に、ちょっとしたリラクゼーションを受けている気分になっていた。


「反社会、と言う割には随分ともてなしてくれるじゃないか。何か目論んでるんじゃ無いだろうな」

「先程も言いましたが、私はボスの命令のもと動いております。ボスが何をお考えかは把握しかねますが、少なくとも私に目論むような計画はございません」

「どうだかな。ボスの命令さえあれば、俺を殺すことだって厭わないんだろう?」

 

クロエは包帯を巻きながら、


「その命が下ることは有り得ません」


と、少し強めの口調で否定する。


「なぜそう言いきれるんだ?」

「まだ正式では無いとはいえ、貴方も組織の一員。ですので少しばかり、組織についてお話させていただきます。詳しい概要は後々ボスから説明があるとは思いますが、我々アンノウンは必要最低限の殺害のみを行う、というのが大原則です」


 その言葉に、柊は激しい嫌悪感を覚えた。そもそも殺人を行うこと自体が異常であるというのに、何を言っているのだろうか。所詮クロエも人殺しの一味。そんな狂人の考えは、到底理解出来そうもない。


「じゃあ俺の仲間を殺したのも必要最低限だって言うのか?冗談じゃない。俺の仲間を殺した女はさぞ楽しそうだった。人の苦しみを、絶望を見て笑ってるんだ。……異常者なんだよ、お前らは」

「まあ、貴方もその異常者の一人なんですが」


 クロエの表情は変わらない。が、氷のように冷たい視線で柊を見下ろしていた。先程の悪夢が蘇り、上手く目を合わせることが出来ない。

 包帯を巻き終わり、服のボタンを閉めながら彼女は語る。


「そして訂正を要求します。今回ナトリ様一向を襲撃したのは幹部のレネ・エンジェル様、彼はれっきとした男性です」

「……性別なんてどうでもいいだろ、今は」

「話が脱線してしまい申し訳ありません。我々に任務以外での殺人及び危害を加えることは許されておりません。また内部抗争が起こった場合、対象者に厳重な罰が下されます。特にナトリ様は未だ我々に不信感を抱いているようですので、どうかお気をつけくださいませ」

「……」


 確かに、仲間を殺害したレネという人物を見かけたら、怒りのあまり襲いかかってしまうかもしれない、と柊は思った。そして返り討ちに遭うところまで容易に想像出来る。無意味な抗争は柊としても不本意だが、果たして自分を抑えられるかどうか。


「俺が地下室で会った四人。彼奴らは全員幹部か?」

「ええ、察しが良くて何よりです。現在の幹部はレネ・エンジェル様、カミラ・ルトラーラ様、ギズヴィン・ホルスタフ様、エイミー・ヘザー様の四名です。彼らは組織の運営に関わる重要な人物ですので、決して粗相の無いよう」


 自分を痛めつけた奴らに何故気を使わなければならないのか、と柊は不満に思う。


「では、私はこれで失礼致します。……ちなみに、ボスは任務の失敗には寛容な方ですが、怠惰を貪る者や裏切り行為には相応の対処をなさいます。もしそのようなお考えをお持ちであれば、早々に諦めて下さいまし」


 そう言うと、クロエは部屋の扉を閉める。

 柊は自分の心を見透かされているような気になった。命令に背き、このまま部屋で惰眠を貪っていれば反発できるのではないかと。そう考えていた。だがしかしあの女はいとも簡単にそれを見破り、忠告。なんとも恐ろしい感の良さである。


「そういやあのメイド、ステータスが大幅に上昇するとか言ってたっけか」


 ふと気になり、首から提げた魔術結晶に触れる。所持していた武器などは取り上げられたが、唯一魔術結晶だけは残ってたのだ。




 自分の視界に表示された数値に吃驚する。


「レベル、75?!攻撃力6000、筋力4700、魔力値4200。以前の3倍以上ステータスが上がってる。暁の双眼、これがボスの能力……!」


 威圧感だけでなく、力もそれに比例しているのだと畏怖すら覚えた。人間は正体不明のものを恐れる傾向があるというが、まさに今自分がボスに対して抱いている感情がこれなのだ、と何となく悟ってしまう柊。もう、逃げられない。

 しかし、柊の中にはまだ約束がある。あの夜交した約束は何にも変え難いものであり、柊を突き動かす原動力。僅かに残る夢の欠片。柊はそれを失う訳にはいかないのだ。アンノウンは絶対的脅威だ、それは揺るぎない事実であり変えることはできない。それでも。




「それでも俺は抗ってみせる。この運命に、勇者になるために!」






 



 





 





 


 





 

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