第4話 ようこそアンダーグラウンドへ
暗闇の中を歩く。視界が絵の具で黒く塗りつぶされたような空間を、ただ歩く。いや、厳密には、歩かされている、という表現の方が正しい。
「ほぉら、ちゃんと歩いてよ〜。縄持っててあげるからさ」
少年の手首は縄で拘束され、口には布が巻かれていた。そして手首に繋がった縄を、少女が握っている。武器も取り上げられ、今の少年は無力そのもの。傍から見れば、死刑囚をギロチン台へ連れていく処刑人のような様なのだろう、と少年は思った。
(ここは、一体どこなんだ……なぜ、俺はまだ生きている。俺だけ……)
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「何を言っている。俺を、どうして殺さないんだ?」
「レネさぁ、人間が死に際に出す悲鳴とか、叫声とかが好きなんだよねぇ。「痛い」、「苦しい」、「助けて」、「死にたくない」みたいなさ。それって、命を大事にしてるって意味でしょ?素晴らしいよね!自分が生を受けたことに感謝できるなんて。……でも、命を大事にしない奴は嫌いなんだ。だから生かす。死にたい奴ほど残酷に、残虐に生かす。それこそ、死にたくなるまでね♪」
少女は嬉しそうに語り始めたかと思えば、冷たい視線を向け、かと思えばまた笑顔が戻る。柊はそのコロコロ変わる表情に、不快感を覚えた。
「だから君のことも生かしてあげる。レネのおもちゃにして、好き勝手に遊んであげるよ」
「そんなこと、しなくていい。する必要無い。殺してくれ、今ここで!頼む、殺せ、殺せ殺せ。殺せよ、殺せ早く。殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ……」
自分の存在を消し去って欲しいという願望が、呪詛のように口から出る。柊は一刻も早く死にたかった。
「だぁから、レネはそういう、ちょうど今の君みたいな。殺す価値が一滴も無いような奴は心の底から嫌いなの!」
もはや柊の耳に言葉は届いておらず、未だ呪詛を吐き続けている。
「殺せ、殺せ殺せよ。殺せ、殺してくれ。殺せ、殺せ殺せ殺せころ」
「あーもううっさいな。ちょっと黙ってて」
少女は柊の手からソフィアを引き剥がすと、柊の腹を蹴り飛ばした。
「カハッ!」
口から赤黒い血が吐き出される。と同時に、腹部に鈍い痛みが走った。内臓が悲鳴を上げているのが分かる。痛みは柊の体を侵食し、体の動きを封じていた。
「さてと、そろそろ衛兵が来る頃かな?さっさと拠点にかーえろ!魔力余ってるし、十字架使うか〜」
少女は柊の首元を掴むと、ロザリオに触れた。すると足元に魔法陣が現れ、赤い光を放ち始める。
「ソ、フィア……」
ソフィアは引き剥がされた際に廊下へ弾き飛ばされていた。手を、伸ばす。届かないと分かっていても、その手を精一杯伸ばす。視界がぼやける。段々とその姿が見えなくなってゆく。
「ソフィア、俺は--------------------」
光が柊と少女を囲むと、二人はその場から忽然と姿を消した。後に残るのは、この惨状だけ。
後にこの惨状を見た衛兵は、そのあまりに悲惨な光景に衝撃を受けた。
「中を一通り調べましたが、生存者は確認出来ませんでした」
「そうか、ご苦労だったね」
メルヴィルは街からの要請を受け、衛兵に同行していた。メルヴィルにとってもこのような事件は初めてであり、思わず顔を顰める。
「なにか見つかったものはあるかい?」
「二階に魔法陣を展開した痕跡がありました。どのような術式かは、宮廷魔術師様に鑑定していただく予定です」
「なるほどな……ありがとう。ここから先は僕が調査を請け負う。君達は犠牲者の遺体の回収を急いでくれ」
「はっ。兵達に伝達してまいります」
衛兵が立ち去るのを見送ってから、メルヴィルは宿の中に立ち入った。中は暗い。外から入る陽の光で、かろうじて内装が見える。椅子やテーブル、食器などが散乱し、床、階段、廊下と至る所に死体が転がっていた。メルヴィルは側の死体に近づいた。腐乱臭が鼻をつく。
(死後2、3日といったところか。一体、誰が、どんな目的で……)
死体から離れ、二階へ続く階段を上る。
(魔法陣があるのはこの階と聞いたが……)
部屋を順に見て回った。部屋にもところどころ死体があり、決して気持ちの良い作業では無い。
一番奥の部屋まで辿り着いた時、床に掠れた円形のようなものを発見する。
(あった、魔法陣だ)
その場にしゃがんで、魔法陣を観察した。三重の線、中心にはオクタグラム、線の隙間には解読できない文字が描かれていた。おそらく、古代の文字だろう。
(これは……転移魔術の術式じゃないか!宮廷魔術師でもごく少数しか扱うことの出来ない術式が、なぜ……)
考えても、考えても、まるで霧がかかったように答えが出てこない。それどころかますます謎が深まるばかりである。
「これは、厳重に調査する必要がありそうだ」
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「たっだいまー!皆生きてるー?」
少女はいきなり立ち止まったかと思うと、暗がりの中の扉を開け放ち、大声を出す。ぐい、と縄を引っ張られ、思わず転倒しそうになる。
ふと、暗闇に目が慣れてきたところで傍に階段があるのに気づき、下に人の気配を感じた。
「んだよテメェ。いきなり招集かけてきやがったと思ったら、まぁたいつもの玩具かよ」
「だってだってぇ、みんなに自慢したかったんだもーん!」
「いいじゃない、それ。私にも今度貸してちょうだい」
「レネ、貴方それ何回目?これ以上余計な手間を増やさないで」
下からが聞こえる。どうやらこの少女の他に3人いるようだ。
(何が、どうなってるんだ。俺はこれから、どうなるんだ)
柊に先程までの虚無感は無く、この理解できない状況に恐怖さえ覚えていた。腹部に鈍い痛みが残っている。
「ギズもエイミーも酷ぉい!やっぱレネの気持ちを理解してくれるのは、ミラ姉だけだね♪ていうか、これ持つの疲れたぁ!よっ、と」
少女は柊に繋がれた縄を離すと、階段から突き落とした。柊は階段を転げ落ち、地面に落下。半身に衝撃が走ると共に、冷たい鉄の感触が頬に触れる。
ふと視線を感じ、上を見上げた。
「んだよこの芋虫野郎。汚ぇなぁ泥臭くて」
「あら、私は好きよ?よく見るとなかなかハンサムね、この子」
「それで、この少年をどうするの?連れてきた以上、野放しにする訳にはいかないけれど」
6つの赤い瞳が、柊を見下ろす。血の気が引き、体が凍るように冷たくなる。周囲が暗いせいでよく見えなかったが、そこには青年と二人の女性がいるようであった。
(落ち着け、状況を判断するんだ。周囲の確認と、縄を、解かなくちゃ)
手首を地面に擦りつけ、必死に縄をほつれさせようとするが、随分と固く結ばれているせいか全く解けない。次に周囲を観察する。ここは地下室のようだが、確認出来るのは鉄の壁と地面のみ。そして自分は囲まれている。完全に、詰んだ。
「だからレネのおもちゃにするんだって。何度も言ってるじゃん」
「どうしてそこまで増やしたがるの?無益な殺人は犯さない、というボスの命令を忘れた?」
「遊んでたら勝手に死んでくだけだもん。レネは殺してませんー」
「それが問題なのよ。大体貴方は……」
言い争う声が聞こえる。少女が誰かと揉めているようだ。
(仲間割れか?……こいつら、一体なんなんだ。)
思考は先程とは完全に反転し、疑問と、不安と、恐怖とで柊の精神は壊れる寸前だった。誰か助けてくれ、と心の中で叫ぶ。
(俺が、助けられる人間にならなくちゃいけないのに……クソっ!)
強くなった気になっていた。気になっていただけなのだ。調子に乗って、舞い上がって、その結果がこれだ。もし、自分がもっと早く宿に戻っていたら、もし、あの宿に泊まらなかったら、もし、自分にもっと力があったなら-----------。
そんなもしもばかりが頭に浮かぶ。
「ぐっ、う……」
行き場のない悔しさと悲しみが涙となって溢れる。こんなところで泣きじゃくっている自分が、酷く情けなかった。しかし、今の柊に出来ることは無い。
「なんだァいきなり泣き出してよ。気持ち悪ぃ野郎だな」
「その顔……ふふっ、いいわ。拷問したくなっちゃう」
周りは自分を蔑み、嘲笑っている。惨めすぎて顔を覆いたくなった。今まで感じたことの無い苦しみが柊を襲う。
「ほらぁ、エイミーのせいでおもちゃくん泣いちゃったじゃん」
「言いがかりよ。私のせいじゃ無いわ」
「おめーらが揉める必要なんかねぇよ。このクソムシはオレが殺す。見てるとなんか腹立つんだよな、こいつ」
その青年は柊の髪を引っ張ると、地面に叩きつけた。
「っ……!」
「おら、もっと泣き叫べ!」
二回、三回、四回と連続で叩きつけた。叩きつけられる度に、痛みが脳へ浸透してゆく。痛みで思考が遮られ、何も考えられない。
「ちょっとちょっと、それレネのなんだから、殺さないでよね〜」
「やめなさいギズヴィン!命令に逆らうつもり?」
「うるせぇ雑魚女。目障りな害虫を殺すことの何が無益なんだ?ああ?」
額の皮が剥がれ、血が垂れる。
「いっ……ぎ…あ゙っ…」
(痛い、痛い痛い痛い。死ぬのか、俺は。嫌だ、死にたくない、こんなところで、嫌だ絶対に。誰か、早く!!!)
「全く、君達は仲が悪いね」
空を覆う暗雲を切り裂くような、張りのある声が聞こえた。
「……ボス!」
青年の手や、言い争う声がパタリと止まる。階段の上に、誰かがいる。柊はなにか、とてつもない威圧感を感じた。
恐る恐る顔を上げると、そこには不気味な笑顔の仮面をつけた長身の男性が立っている。
「あれぇボス、どうしてここに?」
「いや何、君達が何やら揉めているようだったからね。仲裁役として足を運んだのだけれど、これはどういう状況かな?」
男は淡々と話す。その声からは表情が読み取れず、仮面も相まって、より不気味さが引き立っていた。
(あれが、アンノウンのボス……!)
「レネちゃんがまた、連れてきちゃったんですよねぇ、おもちゃ」
「ああいつものか。レネ、目撃者は始末するようにと何度も言っているだろう」
「でもボスぅ、レネ最近おもちゃ不足で死にそうなんですよぉ。このままじゃレネほんとに」
「始末しなさい」
男は食い気味に言い放つ。
「ちぇっ、はあい。……ったく、残念だな。ギズ、そこどいて」
「チッ、クソ……」
ボスの命令だからか、青年は大人しく柊から手を離す。少女はレッグシースからナイフを取り出し、柊の首元に当てる。
「ごめんねおもちゃくん。レネもほんとはこんなことしたくないんだけど、これもボスの命令だから、許してね♡」
言葉とは裏腹に、少女は愉快そうに笑っていた。
(なんだ、結局死ぬんじゃないか、俺……)
柊は再びあの虚無感に襲われる。どうしようもなく世界が遠くなるような、あの感覚。
その刃が柊の命を狩り取ろうとした時、
「ボス!」
ふいに、女性の声が遮った。
「もーなんなの?!エイミーってばレネの邪魔ばっかして」
「レネ、少し落ち着きなさい。エイミー、どうしたんだね。」
「……提案なのですが、彼を組織に加入させてはいかがでしょう」
「?!?!」
一同は騒然。途端に、
「何考えてやがんだテメェ!一番弱ぇくせに出しゃばんじゃねぇよカス!」
「そうだよ、何考えてんの?難しい本読みすぎてとうとう頭おかしくなっちゃった?」
と罵詈雑言の言葉が飛び交う。
「静かに。理由を聞こうか」
男がその場を諌めると、彼女は口を開いた。
「今までレネが連れてきた、おもちゃ。もとい目撃者は、全て一般人でした。しかし見たところ、彼は冒険者のようですし、我々にとって有効な戦力になるかと。レベルはまだ低いようですが、ボスの能力があれば、問題は無いでしょう」
「勝手なこと言いやがって。コイツは、俺達に捕まってビービー泣いてるようなクソムシなんだよっ!」
青年が柊の腹部に蹴りを入れる。バキリ、と不快な音がした。
「っあ゙がっ……!」
吐瀉物と血の混ざったモノを吐き出す。折れた肋骨が内蔵に食い込んで、想像を絶する痛みに襲われた。痛い、苦しい。もはや柊の思考はそれ一点のみ。
「でも人手が足りていないのも事実よね。この間の任務でかなりの数死んだと思うけど」
「ボス、どうかご検討を」
男は少し考えてから、
「……分かった、彼の加入を許可しよう」
と、やはり淡々と告げた。
「……なぜだ、なぜですボス!」
「何、たまには新しい試みも必要だと思ってね。実際カミラの言う通り、こちらには人手が足りていない」
「そうは言っても、裏切る可能性だって……おいレネ、お前も何とか言えよ!」
「う〜ん、まいっか。ボスの命令だし、レネのおもちゃにならないんだったらもういいや」
青年は納得がいかないのか頭を掻きむしっている。
「クソっ、どいつもこいつもふざけやがって……ちくしょうめがっ……」
(俺が、加入する?アンノウンに?は?)
柊の中で煮え滾るような怒りが込み上げてきた。アンノウンに加入することはつまり、自分の仲間を殺した組織に寝返ることであり、自分の「勇者」になるという夢とは真逆の行為であるからだ。これが、柊の逆鱗に触れる。
「ーっ!ーっ!」
血走る瞳で男を睨みつけた。声にならない叫びを上げた。痛みなど忘れて、獣のように吠えていた。仲間を殺し、夢を踏みにじり、未来を穢した奴らに与するのは、死より残酷な運命。それに必死で抵抗するように。
しかしその抵抗は虚しく、
「うるっせぇよクソが!黙れやァ!」
青年によって後頭部に打撃が入る。そこで柊の意識は闇の中へ落ちてしまった。深く、深く落ちてゆく。ここが幸せの終着点だと。落ちてゆく。
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「大丈夫だよギズヴィン。彼は必ず、こちらへ来てくれる」
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