とある添削の置き場です

 今回はとある添削を緊急で行ないました。

 ですのでURLは付けません。


 添削結果は以下のとおりです。

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 三人称一元視点で書かれていますね。

 1はゼミ生の誰かの三人称一元視点、

 2も前半はゼミ生の誰かなのですが、後半から名誉教授の三人称一元視点となっています。

 3は引き続き名誉教授の三人称一元視点です。


 可能であればひとつの投稿では「誰の視点か」を統一していたほうが格段に読みやすくなります。

 ここでは2でふたつの視点が出てしまうので、ちょっと損をしているように映ります。

「夜も更け、終電近くなると、皆、帰りの途につく。」

 この一文で視点がピボットしているんですよね。

 文字数をカウントしていないので詳しくはわかりませんが、2をこの一文で切って四部構成にするか、1と2のこの部分までを前半とし、この文以降を後半とした二部構成にするか。

 そうすると一投稿での視点は変わらないので、さらに読みやすくなりますよ。





 これといった添削ポイントはありませんでした。

 よく練られていますね。





 そうして、ゼミ生が輪になって踊り出すころには、お開きの時間に近い。

⇒助詞「に」が二回、それに「には」を挟んでいるので少しわかりづらいですね。ただし「輪になって」は慣用句なのでわかりづらくてもこのままにするしかありません。

⇒そうして、ゼミ生が輪になって踊り出すころには、お開きの時間も近い。


『にゃあ』と泣いて、縁側すわる彼女の膝でくつろぐ。

⇒ここは「縁側にすわる」の助詞「に」(似たような場所を示す助詞「で」かもしれません)が落ちたのか、リズムを出したいのかで表記が変わりますね。

 もしリズムを出したい場合は、全文でこういったリズムに合わせないといけませんし、読み手がスムーズに読めなくなるという弱点もあります。

 その塩梅を見つけてみてください。

 用字の話ですが、通常「泣く」は涙を流しながら声を立てる意なので、動物の声は通常「鳴く」と表記します。ただここで「泣く」に意味を持たせたいのなら「泣く」でかまいません。


うとうとしていたのか、いつしか真夜中になる。

⇒ここは「いつしか真夜中を迎える頃合いだ。」か「もうじき真夜中になる」のいずれかですね。副詞の選択ミスかな、と思います。


冬は、もうすぐそこに迫っているのだろう。

⇒「もうすぐそこまで」かなと思います。

 これは主観的な問題でもあるのですが、「もうすぐそこに迫っている」だと少し行き来が雑になります。

 「冬は、もうすぐそこまで迫っているのだろう。」

 もしくは、

 「冬は、もうすぐそこに迫ってくるのだろう。」

 の二者となります。

 前者は冬の側から見た描写で今すぐにでも到達しそうな印象を、後者は他の人から見た描写でまだ到達していない印象を与えます。

 晩秋初冬を表したければ「冬」を立てた前者を選択するべきです。


 ふと目覚めると、膝の上で何かを悟ったように猫がびくっとして、縁の下に潜った。

⇒ここは「ふと目覚めると、猫が膝の上で何か(を)悟ったかのようにびくっとして、縁の下へ潜った。」

 のほうがベターだと思います。

 「膝の上で何かを悟ったように」が梅砂和名誉教授なのか老猫なのかがわかりづらいです。そこで「猫」を前に出して「悟った」のは「猫」だとすんなり読めるように工夫します。

 また「縁の下に潜った」だと視点保有者から縁の下が見えているように感じられます。もしその意図があれば到達点を示す助詞「に」でよいのですが、梅砂和名誉教授に焦点が当たっている場合、縁側に座って縁の下が見えるのか、という問題となります。そこで方向を示す助詞「へ」にして「そちらへ潜った」で動作の勢いをつけたのが例文です。


 その声は、夜に煌めいた。

⇒ここは比喩として成立させるにはいささか唐突ですね。

 前段階で明るさの描写を意識して使っていたら、ここでこの比喩はとても映えます。

 どこかで「暗い」と書かれてあれば、光と闇の対比が生じて比喩の「きらめく」が意味を持ってきます。

 真夜中になるあたりで「暗い」ことを書く(単に「あたりは暗かった。」)だけでよいので、工夫してみてください。





 教授は無意識に口を開け、その姿を見上ていた。

⇒送り字の問題ですが、通常は「見上げていた。」ですね。あくまでも送り字は書き手の自由ではありますので、直すかどうかはお任せ致します。

 小説賞への応募原稿なので、できれば万人がすらすら読める送り字を心がけてくださいね。


 それは、まさしく想像通りの教授が夢見たダイダラボッチそのものだった。

⇒「想像通りの」の位置が正しくないですね。

 このままだと「藤蔵通りの教授」という係り受けが成立してしまいます。

 語順を入れ替えてみますね。

⇒それは想像通りの、まさしく教授が夢見たダイダラボッチそのものだった。

 こう書けばしっかりと係り受けが成立します。

 しかし「まさしく夢見た」がありますから「想像通りの」の語が必要かどうかで悩みますね。

 念を押したければ必要、すらすらと読ませたいなら不要、と考えてください。


『このまま、型に押し込められたら逃げられられない。頼む、やめてくれ。また生に近づく。もう終わりにしたいのだ』

⇒「逃げられない。」ですね。

 ただし、この影の慌てる様子を表現したいのなら、あえて「逃げられられない」と書いても納得する読み手は少なからずいます。


 声は消えた。

 鈴虫の音が再び周囲を満たした。

⇒ここは二文の間に空行が欲しいですね。

 「声は消えた。」でいったん時間を止めて、「鈴虫の音が〜」でまた動き出す。そんな効果を持たせたほうが得策だと思います。


「なあ、私は、もうすぐ、この世を去るのだかろうか、なあ、猫よ」

⇒「この世を去るのだろうか」が一般的ですが、この名誉教授の言葉として「だかろうか」が適切かどうか。

 引っかかりをあえて作る手法もありますが、ここがそうかは読み手にはわかりづらいと思います。


カクンと落とした

⇒猫は「カクンっと」と書いてありました。ここは表現を揃えたほうが映えるので、どちらかを修正してみてください。


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 この短編は最初からネタがきっちり仕込まれているので、読み手も「たぶんそうだよね」と予定調和を楽しめるつくりになっています。

 逆にいえば「意表を突かれない」作品ではあります。

 ただ応募する小説賞の性質から、あまり意表を狙わないほうがよいので、この作品はその点では成功しています。


 あとは冒頭に述べた三人称一元視点でのカメラの位置取りをきちんと定めましょう。

 一人称視点ではないけれども、三人称一元視点は特定の誰かの視点ではあります。2の処理を工夫すれば、視点の問題も解決できるはずです。

 短編なので少し工夫が必要ですね。


 推敲、お疲れさまでした。


 物語の流れは全体的によく練られていますので、そこは自信を持ちましょう。

 指摘した点を、私の意図を感じながら直していけば、きっと書き手の意図通りの作品に仕上がりますよ。

 直す点はわずかですので、さくっとやっつけて、タイミングを見計らって応募しましょうね。

 きっとよい結果が待っていますよ。



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