第10話 俺、沙耶香にアタックする⑹

 結論から言うと、昨日は一睡もできなかった。


 朝学校にたどり着いてから、授業中は上の空。


 そうこうしているうちに放課後になり、約束通り校舎の一角にしつらえられた生徒会室にまでやってきた。


 逸る心と湧きおこる不安を落ち着けて。


 コンコンと扉をノックすると、「どうそ」と中から高城さんの声が返ってきた。


 生徒会室に入る。


 豪華な桐のデスクに革製のデラックスチェア。本棚に革張りのソファセットがあって、食器棚にはティーセットが並んでいる。鉢植えの観葉植物もある社長室の様な部屋に、優等生アイドルの高城紗耶香さんが立っていた。


「来てくれてありがとうございます」


 紗耶香が意志のこもった真っ直ぐな視線を向けてきた。


「昨日言った通り……大事なお話があって、来ていただきました」


 紗耶香の綺麗なメゾソプラノが俺の心を湧きたてる。


 紗耶香はしばらく俺の様子を見つめていたが、心を決めたという様子で会話を続けてきた。


「高坂さんが私の『秘密』を知っているとは思いませんでした。でも、それでもなお、私とこうして普通に接してくれていることが……」


 紗耶香の頬がかすかに赤みを帯びる。


 俺に目を向けて、力を振り絞ったという抑揚で言い放ってきた。


「とても嬉しいです」


 綺麗なまつげ。瞳がうっすらと潤んでいる。唇のピンク色が俺を誘っているように思えた。


 彼女に憧れ、彼女が欲しいと思って幾星霜。紗耶香の言葉と反応に胸が高鳴る。心臓が鼓動を速めてゆく。


 これは……アタック成功でいいのか?


 俺は、いつの間にか口内にたまった唾液をごくりと飲み干した。


 紗耶香が赤く染まって上気した顔で俺に訴えかけてきた。


「高坂さん、本当の私のことを知っても嫌いじゃないって言ってくれました。もう一度確認したいです。本当……ですか?」


 紗耶香の抑揚が俺の心臓を直撃する。心の中心から湧きおこる熱を抑えられない。


「ええ……、本当です。俺は、高城さんのこと、ずっと、素敵な人だなって、思ってました」


 声がかすれて、途切れ途切れになる。


 不安を隠しきれなかった紗耶香の表情が、喜びに変わった。目尻が下がって口元がほころぶ。


 真剣だった顔が、今にも泣き出しそうな微笑みに変わる。


「高坂さんが私の『本性』を知って、それでもなお私の事を素敵だっていってくれたこと、物凄く感動しています」


 紗耶香は泣きそうな微笑のまま続けてくる。


「そんな高坂さんのこと、私は好きになって良かったって今では思えます」


 紗耶香のセリフに心臓が止まりそうになった。


「高坂さん。私の事……」


 言いながら紗耶香は――

 自分の青いミニスカートの裾に手をかけて――


「高坂さんの彼女にしてください!」


 言葉を放つと同時に、そのスカートを俺の前でまくり上げたのだ!

 紗耶香のセリフは期待していたものだった。しかしその行動は想像もしていなかったものだった。

 品行方正な優等生生徒会長の所作としては有り得ない!


「見て……ください」


 スカートをまくり上げたまま、紗耶香が恥じらうようにその顔を俺からそらす。

 耽美な造形の顔が、可愛らしくいじらしく染まっている。


「いや、見ろって。それダメでしょ! 優等生美少女生徒会長として!」


「お願い……見て……」


 紗耶香が、ねだるような淫靡な抑揚を発する。


 思わず見てしまった!

 見てしまったが、自分の目の前で紗耶香がしている挙動が未だに理解できない。


 女の子の大事な部分を隠している、清楚な形の白い布から目が離せないまま……紗耶香の羞恥の面立ちに、この美少女が何を考えているのかが理解できないで混乱に拍車がかかる。


「今日、高坂さんに見てもらうつもりで、上品で清楚な下着つけてきました。下着みられて……すごく……興奮しています」


 桃色の顔を少しほころばせて、ものすごく嬉しそうにのたまう紗耶香。


 いや、俺も嬉しいんだが、この少女が何を考えているのかがわからない。


 俺のアタックがいきなりすぎて、高城さん、頭がショートしちゃった……のか?


「もちろん、もっと過激な紐とか黒なども、たくさん持っていますが」


 え? そんなの持ってるの? つーか、君、本当に高城さん? 偽物じゃないの?


「と、とりあえず落ち着こう。スカート戻して。誰か入ってきたらヤバイから」


 マジでやばい! こんな所を見られたら、何誤解されるかわからない。無論、悪者は俺。普段から品行方正な高城さんがパンツ丸出しにしていたなんて話にはならない。俺が脅迫してとかなんとかいうオチに持っていかれるだけだ。


「かまいません。ずっと独りで生きてゆくんだと思っていた私が、高坂さんと彼氏彼女の関係になれるんです。世間の評判はいったん置いておきましょう」


「いや! 学園の評判は大切だから! 俺は、まあこういう顔付きだからもはやこれ以下にはならないんですが、高城さんは違うから!」


「ふふっ」


 紗耶香がスカートの裾をもったまま、くすりと笑った。目を細めて口元をほころばせて、本当に嬉しそうに笑う。


「優しいですね、高坂さん。流石に私が目をつけていた方だけあります。自画自賛ですが」


「目、つけてたの!」


「はい。高坂さんも私の事調べてわかっていると思いますが、私、恥ずかしい事が大好きな『痴女っ子』ですから」


「『痴女っ子』なの! 何それ!」


 聞いてない! というか、この生徒会室での甘い告白を期待していたのだが、方向が明後日の向きにずれてきている。


「家の両親は性に対して厳しく、私に対しては男の子と接するのもダメ! 足を出すのも禁止! ぐらいの過保護な幼年期だったんですが」


 紗耶香がスカートの裾を下ろしてくれて、少しほっとする。


「ある日、誰もいない中等部の教室で、ストレスに耐えかねて下着だけになってみて。想像以上に解放感があって気持ちよかったんです」


 なんなんだ、それはっ!

 いきなりのカオティックな告白に俺は答えを返せない。


「一般的な常識は『理解』しています。自分の性癖は最大の努力で極力隠して学園生活を送っています。昨日言った通り、最初は何人かの親友に話したんですが、受け入れてもらえなくて諦めていました。でもっ!」


 紗耶香がその真っ直ぐな瞳で俺を見つめてくる。


「高坂さんが理解してくれました! 私の本当の心を! それがすごくすごく嬉しくて……」


 微笑んだ紗耶香のまなこは薄っすらと濡れていた。


「昨日は今のこの瞬間を夢見て……眠れませんでした」


 驚きの真実だった。紗耶香の生い立ち、その気持ちは理解出来たが、どう反応してよいのかはわからない。制御不能の事態でもある。


「最初は高坂さんがいつも独りでいるのが目につきました。それからついつい高坂さんの事を気にしている自分に気づきました。ああ、この人も私と同じように独りなんだなぁって思って。そうしたら、どんどん高坂さんの事が気になるようになっていって。気付いたらその内面にも惹かれている私がいて……」


 そうなのか! いや喜んでいいんだか悲しむべきなのか、俺にはわからない!


「でも私……その……なんというか学園では表面だけは目立っていますし、こんな私の本当の姿を受け入れてもらえるなんて思ってなくて。顔を合わせてもらえなくなると思って、ずっと近づけないで遠くから見ていたんです。でも……」


 でもなんなの! と、眉目秀麗な微笑みを前にして、その後に続く言葉に恐怖を覚えた。


「高坂さんが私のことを知っていて受け入れてくれるとわかって、心から幸せを感じています。高坂さん。一緒に秘密のプレイをしましょう。色々と。学園内でも空き教室で一人、制服を脱いで下着だけになってドキドキしたりしている私の事、もっと開発してください!」


 紗耶香は顔を染めながらも期待に目をきらめかせて言葉を放ってきた。


「お互いに分かり合っている同志、最初はおとなし目のプレイから始めましょう。それからだんだんと大人の階段を一緒に上ってゆくのが理想です。これから、よろしくお願いいたします!」


 紗耶香が腰を折って、これから一緒に夫婦生活をする男性に向けるように丁寧なお辞儀をしてきた。


 想像だにしていなかった事態だった。

 この学園のアイドルが誰にも言えない秘密の一面をもっていたなんて。

 その生い立ちと素姓から生まれた性癖。

 同情もするし、理解もできる。

 しかし困惑しているのも事実で、その混乱の嵐の中で答えだけは出ていた。


 この孤独だった優等生痴女と『キス契約』するわけにはいかない。申し訳ないが、さすがにこの少女は、彼女いない歴=年齢の童貞高校生には難易度が高すぎる。


 紗耶香が近づいてきた。

 綺麗な瞳を閉じて、ピンク色の柔らかそうな唇を俺に近づけてくる。

 俺は押されるようにずずっと後ずさる。


「わるい!」


 俺の発した言葉に、紗耶香が目を開いてきょとんとした顔を見せる。


「わるい。ごめん。無理!」


 短く簡潔に結論だけを言い放って、生徒会室の扉から廊下に飛び出す。


 逃げ去るその背から「高坂さん、待ってください!」と紗耶香の声が聞こえてはきたが、それを意識のかなたに押しやって、うぇーんこんなはずじゃなかったんだがーと廊下を疾走するばかりなのであった。

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