第3話 俺、クロぼうと契約する⑵

 昇降口から校舎を出て、丘上に立っている校舎からスロープを下る。中央公園脇をすり抜け、住宅地区に入り込む。同じような二階建ての分譲住宅が左右に立ち並ぶ道を進み、その角の一軒家にたどり着いた。


「ただいまー」


 扉を開けて家の中に入ると、台所からエプロン姿の女性が顔を見せた。


「おかえりなさい、清ちゃん」


 艶やかな声を響かせたのは、長い柔らかウェーブの黒髪がよく似合った温和系美女。高坂彩音(こうさかあやね)、十九才。共にこの街で暮らしてきた俺の実の姉で、同じ市立彩雲学園の大学部に通う一年生だ。


 エプロンの下には白いカジュアルシャツにシンプルな青のジーンズ。質素な部屋着だが、そのとても豊満な肢体は隠しきれてはいない。柔らかな物腰にいつも優しい応対で、ついつい甘えたくなる(実は甘えてしまっている)母性溢れる姉である。


「午後は休講だったので、たからやで買い物を済ませきたわ。今日はかぼちゃが特売だったので、カルボナーラの予定よ」


 彩音が、ふわっと微笑む。


「いや、ごめん。彩音ちゃんに家事の負担をさせてばっかりなのは申し訳ないんだけど、俺も掃除洗濯を受け持っているから許してほしい」


 ペコリと、とてもよく出来た柔和な姉に頭を下げる。


「全然全く気にしないで、清ちゃん。私は清ちゃんとの生活、全く不満はないわ」


 彩音は不平などどこ吹く風で、その表情に微塵の陰りもない。


 彼女を作るどころか、目つき顔つきのせいで邪険に扱われるばかりのクラス(高城さんとアイリは例外)から帰ってきて、姉の優しい応対にとても癒される。


「あの親共が海外をほっつき歩いてなければ、彩音ちゃんに負担がかかることもないんだが。何度目の自称ハネムーンだ? 彩音ちゃんに愚痴ってもしかたないんだが」


 すると、ふふっと彩音ちゃんが目を細める。


「夫婦の仲睦まじいことはいいことだと思うの。生活費は送ってもらっているのだから、それ以上文句を言うのは育ててもらって申し訳ない気がするわ」


 優しい表情で俺をなだめてくれる。


 この彩音ちゃん。家の料理当番を引き受けながら、大学の成績も学年一位。体育も得意で大学の自治会の書記も務めている。男女共にとても人気のある女生徒で付け入る隙がない。とても俺と血がつながっているとは思えないのだが、実の姉に間違いはない。


 俺の周りのクラスメイトたちも彩音ちゃんくらい優しければいいのにな……と思わずにはいられない。


「……清ちゃん?」


「……」


「清ちゃん? どうかした?」


 思考から我に返った。


「いや、彩音ちゃんは高等部の女たちと違って優しいなって……」


「ふふっ。彼女が欲しいという希望?」


 彩音ちゃんが悪戯っぽい笑みを見せた。


「清ちゃんはちゃんと魅力ある男性なので、きっと素敵な彼女が出来るわ。成長途中の若い娘さんが清ちゃんにはお似合いかもしれないんだけど、なんなら成熟した果実の私が立候補してもいいわ」


「ちょっと、彩音ちゃん!」


 思わず彩音ちゃんの発言に驚いてしまう。彩音ちゃんは俺を悪意でからかったり悪ふざけで不快にさせるなんてことはしない出来た姉だ。でも時折お茶目な一面を見せたりするから、その時はどういう意図があるのかと戸惑ってしまう。


「ふふっ。冗談よ。実の姉弟なので、私が清ちゃんの事を好きでも彼女にはなれないわ。残念なことね」


「残念なの?! 彩音ちゃん?!」


「ええ。残念よ」


 ここで再びにっこりと彩音ちゃんスマイル。


 と、台所からヤカンがピューという音を響かせてきた。


 彩音ちゃんが思い出したという様子を見せる。


「夕食の下ごしらえの途中だったわ。ごめんなさい。用意、終わらせくるわ」


 言った後、ぱたぱたとスリッパの音を立てて、若奥さんの様な仕草でダイニングキッチンの中に見えなくなった。


 俺はふうーとため息をついて、階段を上り二階の自室に向かう。


 ほんと彩音ちゃんが実姉じゃなかったらどんなにいいか、と思わずにはいられない毎日なのであった。

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