水底のハゥフル

九鹿 ロク

プロローグ

 カアカアと鳴く鳥の正体を、僕たちは知らない。


 世の中の常識という不安定なものの中には、確固たる地位を携えたものがいくつかある。カアカアと鳴けばカラス、ホケキョと鳴けばウグイス。朝ベッドの中で、窓の外からけたたましく同じリズムでホーホーと鳴いている鳥がキジバトということは、あまり知られていない。でも、それだってきっと常識の一つだ。

 常識の定義が明確でない以上、誰かが常識である常識でないと言えばその通りになる。それぐらい曖昧で信頼のおけないもののはずなのに、僕らはそれを拠り所みたいに常識を基に生きている。


 それなら、僕の唱えるこの常識だってきっと、許されて受け入れられて、常識という普通の仲間に入れてもらえるのではないだろうか。


 人は、人でない何かになり得るのだ。


 人は猿から進化していって、そのさらに起源を辿れば元は水中に生きる一つの生物なのだという。今でも人間の身体には木の上で生きていたころの痕跡がある。そういうのは痕跡器官と呼ばれるようで、有名なもので言えば尾骶骨と呼ばれる、過去に猿だったころの尻尾の名残がそれだ。

 他にも耳を動かせたり手首の筋が浮き出たり、怖かったり寒かったりする時の鳥肌も痕跡器官の一つなのだという。眉唾物でいえば、指の間にある薄い皮の膜、爬虫類や両生類によくみられる水かきも痕跡器官だという声もある。


 ただ僕のそれが、痕跡と呼ばれるような微かなものならよかった。


 水かきに関していえば、水中で過ごす時間の長い、有名な水泳選手には後天的に備わったという例がある。他にも耳が小さくなるとか、シンクロ界では鼻栓をしなくても演技が可能な人が実際にいたのだという。


 そういう話を聴くと、少しだけ気が紛れてくれる。特異なものじゃなく、人間には起こりうる変化なのだと。それでも自意識というのは冷静なもので、水中に長くいるような生活をしているわけでも、そもそも泳げるわけでもない僕には無関係なことだと、現実を突き付けてくる。


 それなら僕の手足の指間を侵し続ける皮膚の膜は、特異と呼ぶ以外に言い表しようがない。自覚するほかにしようがない。

 徐々にねばり始めた僕の体表を、青海波紋のように分かれ光沢を始めた踵を、幼いころには食べられなかった魚に生唾が湧き上がってくる、およそ人の食欲とは言い難い衝動を、僕は異質だと自覚する。


 だからこそ、僕一人だけが唱える常識を、僕は誰かに認めてもらいたいのだ。


 人間は、人魚になり得るのだと。

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