第三輪 『柊皇降臨』
『
その力の前には万人が跪き、蹴落とされる。
日々の安寧はこの力の権化によって保たれ、支配され、掌で踊らされている。
そんな絶対的な覇王を前にして、永絆は胸の奥底にあった途方も無く暗い悪心がどっと湧き出ていく感覚があった。
生まれた時からこの女の傀儡として生かされ、玩具として養われ──そしてボロ雑巾のように捨てられた。
花護を与えられたのも、彼女が言う退屈しのぎの一興だろう。
だから、自分を用済みの駒として切り捨てた彼女は、これ以上永絆に執着することは無いと。あのような血と狂愛に塗れた日々に連れ戻すことは無いと。
勝手に、そうやって悲観していた。
「よかろう。主に対して反旗を翻すと言うのならば、それを真っ向から迎え撃つのもまた一興よ」
「黙れ! あんたはもう、ぼくの主なんかじゃない! ぼくには仲間と、帰る家と、愛する結人が──」
初めて貰った温かさ。本物の愛情。
血と力でしか己を誇示出来ない圧政者には、きっと理解は出来ないだろう。
──待ってて、咲螺。ぼくが君を、皆を守るから。
「──息吹け、ダリアの花護よ」
「──っ!」
肩に、すとんと触れられた気がした。
たったそれだけで。
「……づ、あぁぁぁぁっ!?」
全身が焼けて爆ぜるような痛みと共に、身体が宙へ吹き飛んだ。
その様子を、凛瞳は妖艶に舌舐めずりしながら見上げて言った。
「貴様の花護は我が『
「お前、が……」
緩慢に流れゆく風景を尻目に、永絆は凛瞳を見下ろして大剣を握り締める。「それを言うなぁぁぁぁぁっ!」
落下後のことなど後回し。今は眼下の皇を穿つことだけに心血を注ぐ。
剣先に乗せた激情を頭上に振り下ろし、そして。
「だが、見下ろされるのは好かんなぁ」
目の先で光が散った気がした。
刹那のその衝動は瞬く間に全身へと伝播し、喉に熱塊を捩じ込まれたような激痛に襲われて悶える。
「あっ、があぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そして痛みと漂う炎に燃えながら、事態の異常性に気付く。彼女が上空に居て、自分が地面に叩き付けられていた。
あったのは一秒にも満たない交錯と刹那の激痛だけ。
無理解が思考を蝕み、その間も炎の覇者は容赦しない。
激痛に悶える永絆に向かって、凛瞳は紅蓮に眩く右手を振り上げていた。その背後では、さながら睡蓮の花を想起させる花弁の形に八重咲いた紅いダリアの光の花が、神々しく発現している。
長年彼女の下で仕えていながら、その花護の正体は名称とあの光しか知り得ない。
ただ、あの光の前に何人もの強者が下されていったのも事実。
しかし、永絆は底知れない恐怖とそれでも混み上がる憎悪を噛み締めて。
万象を尽く振り払うその光の鉄槌を、じっと見上げることしか出来ずにいた。
「咲螺……」
最愛の人を守りたい。
こんな時、純麗ならどう切り抜けるか。珠爛ならどういう策を思いついただろう。
「咲螺……っ」
自分は今こうして、目を剥きながら奥歯を噛み締めることしか出来ずにいる。
出来ずにいるのに──
「どう、して……」
「守るばかりが騎士、じゃない……! 守られるばかりが、わたしじゃない!」
震える身体を鼓舞させるように大きくそう放った愛しの君は、あろうことか騎士を自称する自分を守るように立ちはだかっていた。
無様に敵に屈した自分のどこに、かけがえのないその命を賭ける価値があるのか。
「もう、いいから……早く逃げてよ! じゃないと咲螺まで──」
「うるさいわよ! 無責任に投げ出そうとするな! それに……」
嘆く永絆に振り向く。その瞳には、恐怖の中に確固たる意志が秘められていた。
「あなたが守るって言ってくれた一生を、こんなところで終わらせるつもりは無い!」
「……!」
彼女のその言葉は、姿は、言葉では形容し難い程に美しく映った。
胸の奥底から滾る熱が、再び湧き出るのを感じる。
「健気な三文芝居はもう済んだか? であれば、永絆。まずはその小娘と共に、塵芥となって大人しく改心せよ」
間もなく光の鉄槌が下される。
気付けば二人は手を繋ぎ合い、無謀な抵抗を見せていた。
それでも、掌に感じる体温はどこか頼もしく感じて。
「────」
二人は眩く煌めく紅光の中に飲まれていった。
****
皇を前にして感じた恐怖。
だが、次第にそれは別の心情へと変わりゆき、何かに引き付けられるような力を感じた。
しかし、その前にまずは永絆を守らなければ。
誓いの通りに身を賭して駆け出していった騎士を──それでいて肝心の自分の命は勘定に含めていない分からず屋を。
守らなければ──
「……光の、羽根?」
死を恐れて固く瞑った目を再び開けると、目の前には虹色に輝く光があった。
その光はまるで蝶の羽根のように美しくはためき、巨大なそれは咲螺と永絆を守っていた。
「あれ……無事、だった……?」
永絆もどうしてか無事であることに、困惑を隠せない様子だ。
強く祈ったことにより授かった、『原初の巫女』による花護なのだろうか。
そんな都合の良い解釈の筋が通るのではないかと思うほど、不思議で、不可解な現象だった。
そして、
「柊皇の一撃を跳ね除けた……。これなら、いけるかもしれないわ!」
推測は確信へと変わり、確かにある虹色の羽根への感覚を頼りに、咲螺は全身に力を込めてそれを操ろうとする。
そう。絶対的な覇者である凛瞳の攻撃を無きものとしたのだ。
九死に一生を得たように目の前に舞い降りた希望の灯火。
ゆらゆらと揺れるその灯火が、まだ幼き少女に戦う力を与えた。
「これで、お前を──」
「そうか。そうか、そうか、そうか、そうだったのか。……そういうことか」
そしてその幼い慢心と皇の激情が、灯火を容易く消し去った。
「咲螺ッ!」
「あれ、羽根が……」
光の羽根による障壁が破壊されたのと、飛びついた永絆に抱かれて衝撃を回避したのはほぼ同時の出来事だった。
衝撃波によって投げ出された二人は痛みに悶え、鈍痛が襲う視界で、まず霧散した光の羽根を、そしてその地点に出来たクレーターを目にした。
そして。
「その羽根……お前が……お前が『咲螺』か。ようやく分かったぞ……珠爛と純麗がこの村に拘る理由が」
さらに猛る紅蓮の光の花と、今しがた目にした光の蝶の羽根をさらに強大にはためかせた力の権化が、憤怒を滾らせていた。
「咲螺、咲螺、咲螺……。たった今、お前を殺す理由が出来たぞ」
敵であり、恐れるべき相手──それなのに、今の彼女の姿を目にしてしまっては、ただただ完全なる『美』と『力』を合わせた神話の具現と崇めることしか出来ない。
鮮やかな朱のグラデーションと荘厳たる紅蓮の花弁、そして七色を従える光の羽根。
「あの夢見がちな愚者共の目を覚まさせる、最高の手段だ」
生半可な恐怖で屈することすら許されない。
求められる力に足るかそうでないか。
価値があれば懐に率いられ傀儡へと成り果て、その価値すら無ければ即刻死の底へ突き落とされる。
「永絆は取り戻す。だがお前はここで肉塊と成り果てろ。せめて崇高なる我が美徳の礎に──」
閉じた目の裏に、死の情景が見えた気がした。
「──勝手に土足で踏み入っておきながら」
「うちの子に何してくれてんのかしら!」
不意に耳朶に響いた声と瞼を焦がした白光の衝撃は、心身を蝕んでいた恐怖を瞬く間に振り払った。
「お前らは──」上空、微かに眉をあげる紅蓮の精へと、双方より迫る二人の愛しき姿。
「『
「『
途端、白光が凛瞳を停止させ、鮮やかな桃色の花弁がその姿を消し飛ばした。
そのまま二人は流れるように咲螺と永絆の下へ着地し、珠爛は二人を抱き締める。
「よかったっ! 二人共まだ無事で……っ」
「あとは私に任せとけ。珠爛、早くそいつらを」
「分かってるわ。……無茶、しないで──」
抱擁の後に珠爛が純麗を振り向いた時、微弱な震動を聞いて顔色が変わった。
「時間が無い! 早く!」
「『別離の
二人の子供が困惑したまま何かを発する直前に、再び桃色の花弁が散った。
****
転移後、早速目にした光景は森が裂ける様だった。
永絆が持つ大剣どころではない、さらなる巨大な鉈でも振り下ろしたような圧倒的破壊。
そして、紅蓮の光と純白の光が衝突した。
「白ママ……っ」
横で永絆が大剣の柄を握り締めて遠方の激突を見ていた。憧れの人が自分達を助け、代わりに戦っているのだ。激情を滾らせるのも当然だろう。
そしてそれは咲螺も同じ想いだ。
だが、今はそれよりも。
「ねぇ、紅ママ」
「よりにもよって今日あの子が……やっぱり、粋羨が言った通り──」
一人思案に耽る珠爛に、業を煮やした咲螺は腕を掴んで訴える。
「紅ママってば!」
「あ、え? どうしたの? 咲螺……」
「今、何が起こってるの? どうして柊皇がこの村に……それに、永絆を取り戻しに来たって……どうして今更……っ」
溢れんばかりの疑問が膿のように次々と漏れ出てくる。
「咲螺。永絆」
そんな不安に塗れた咲螺と永絆を、珠爛は聖女の笑みを浮かべて抱き締める。
先程と違って、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「村の皆は安全な場所に転移させたわ。貴女たちも、今から同じ場所に行ってもらいます」
「どう、いうこと? ママはどうするの?」
「私は純麗の加勢に行って、あの子──凛瞳と話し合ってくるわ。大丈夫。彼女は話が分かる子だから──」
それを聞いた途端、永絆が抱擁を振りほどいて珠爛と対峙する。
「話し合えなかったから、こうして襲撃されてるんじゃないかっ! あいつの力はぼくが知っている……力が全てで、そこにはたった二択の天秤しか存在しない! それなのに、どうして……どうして戦おうとするの……? このままじゃ、皆……っ」
最後には顔を両掌で覆い、膝から崩れ落ちていた。
咲螺は彼女を強く抱き締める。しかし、永絆同様、胸底を這いずり回る不安は拭えない。
「永絆の気持ちは良く分かる……。でも……それでも、行かないといけないのよ」
変わらぬその答えに、永絆は涙を拭いながら「なんで……っ」とゆるゆる首を振る。
そんな永絆を見つめて、そして珠爛を見た。
「────」
言葉が出なかった。
聖女の笑みは絶えない。
それどころか、頬を伝う涙と共に浮かべるその笑顔は、今まで見てきた彼女のどの笑顔よりも美しく、それでいて儚く映ったのだ。
「だって、私は純麗の結人で──貴女達の母親だから……っ」
「マ、マ……」
咲螺は呆然と虚ろに手を伸ばし、永絆は涙に濡れた顔をさらにぐちゃぐちゃにして奥歯を噛み締める。
「大丈夫。私と、純麗の想いはいつも貴女達と共に──」
途端、赤い残像が一閃した。
「お母さんっ!」「珠爛様!」
彼女の身体が、音を立てて燃え始めた。
「まさか……っ」珠爛が森の方を睨む。
「そう、そのまさかでございます」
唐突に聞こえた第四者の声に、咲螺と永絆は慄き珠爛は歯噛みする。
珠爛が睨む先を見てみれば、炎が盛る中から一人の女が現れていた。
燃えるような衣装は、ドレスの凛瞳に対してこちらは着物だ。リンドウの花が至る所に刺繍されている。
女は蘇芳色の長髪を翻し、右手を腹に、左手を背中に回した独特の礼をして言った。
「ああ、自己紹介……自己紹介がお先でしたね。ワタクシは
「守皇……っ」
永絆が憎悪を露にし、目前の侵入者を睨みつける。彼女の態度に守皇と名乗った女はにこやかな笑みで返す。
女の言っていたことと永絆の態度からして、やはり凛瞳の配下なのだろう。
そしてここでもまた、咲螺を殺し、永絆を取り戻すと。そんな勝手なことをほざく。
「ああ、そういえば、皆様が普段お使いなさっているポインセチアの灯火……」
藪から棒に語り出した守皇は、自身の懐から赤い縄を取り出し、首を傾けて言った。
「あれ、ワタクシが発明したのですよ」
事実、縄は無数の赤いポインセチアの花弁が連なって出来ていた。それを見て、咲螺は先程一閃した赤い残像があの縄だったのだと理解する。
そして永絆も理解し、しかし瞳は光を帯びていた。相手の花護の内容を知っている。だからこそ、珠爛はそれを跳ね除けられると──。
「一瞬着火して、再び着火しようと思いましたのに……やはり、村の女神の名は伊達ではないですね。ああ、もう一人の女神も凛瞳様に蹂躙されていましたか」
「貴女、さっきから口数が多いのよ。普段騒がしいあの子達も今は口を慎んでいるというのに……」
その声は甘さの中に毒を秘めていた。
上空、多様なスイートピーに彩られた衣装が唸ると共に桃色の花弁がはためいて巨大な岩が降り注ぐ。眼下、強ばった表情でそれを見上げる守皇めがけて。
そして轟音が響く。
「村の女神を舐めないことね。転移物と転移先を事前に用意しておくのは当然の布石でしょ?」
「ですが、貴女もご自身の心音を顧みた方がいい」
岩石の落下地点から数歩離れた地面より、炎を身に纏った守皇が現れる。
あの炎には地面を掘って出れる程の燃焼力があるのか、と分析しながら珠爛は厄介そうに舌打ちする。
そして一拍置いて、彼女が放った忠告の意味を理解する。
「ぐ、ぅ……っ」
再び身体が燃えていた。
脳裏を過ぎるのは、寸前に走った赤い残像。
「転移による攻撃大いに結構。しかし寸前にワタクシは着火していたのです。心燃やす火縄──『ポインセチア』でね」
身体を燃やす珠爛に向けて、守皇はわざとらしくポインセチアの花弁連なる縄をくるくると回す。「己の激情に焼かれて遺骨となって下さい」
その紅い唇は不敵な笑みに歪んだ。
それに対し、珠爛は四肢を徐々に灰色へと焦がしつつ、息をゆっくりと吐いて能面のように顔色を失くす。
すると、炎が弱まっていき、やがてゆっくりと消えていった。
「これで、どうかしら」
「……これはこれは脱帽致しました。やはり、そういった技術は身に付くものなのですねぇ。長い時を──」唇が何かを発しようとし、
「──っ!」
花弁をその場に残して守皇の背後で白い花を構えた珠爛の瞳には、身体が再び燃える程に強い焦燥が現れていた。
「死になさい」
花赦に繋がれたスノードロップは雪色の雫を放たんと唸る。
「その言葉はあの子達に」守皇が呟いた。
途端、二本の赤い残像が見えた。
「永絆ぁっ!」
咲螺が叫んだ時、永絆は既に剣を振るって縄を断ち切ろうとしていた。
しかし、無駄だった。
「きゃ、あぁぁぁぁっ!」
「がああああっ!」
燃えゆく二人を見て、珠爛の身体もさらに燃えていく。
「すおぉぉぉぉぉぉぉぉぅ!!」
鞘に収めるべき激情は増幅し、それはスノードロップを持つ手を焼き崩して身体中を炎で犯し、灰色で蝕んでいく。
「では、ごきげんよう」
縄を放とうとする守皇の手が動き、
「……ま、だ……」
朱色の世界で微かに捉えた桃色の花弁と白光に、一縷の希望を見出した。
「────」
守皇の手、そして身体が白い光に飲まれて止まった。
「は……ぁっ!」
続いて珠爛、咲螺、永絆を飲み込む炎が消えた。
風に吹かれて灰と皮膚が飛んでいく中、残滓するのはスイートピーの輪の中から眩く白い光。純麗の『アンモビウム』だ。
「これは、証明……よ。純麗がまだ生きていて、貴女の予想が大きく外れていることの……」
不敵な笑みを浮かべたまま停止している守皇を後にし、「咲螺、永絆……っ!」たどたどしく、転びそうな足取りで二人に駆け寄って強く抱く。あまりの熱さと衝撃で気を失っていた。
珠爛は二人の灰に染まった頬に自分のそれを、埋め、心の奥底から込み上げる無力さと自己嫌悪に、思い切り涙した。
「ごめんなさい……っ、本当に、ごめん……っ」
懺悔の言葉は後を絶たず、滂沱の涙は収まる気配が無い。だが、本当に二人に謝るのは戦いが終わったあとだ。
珠爛は、二人を安全な場所へ転移させることを決意する。しかし、守皇が現れた以上、事前に用意していた転移先では不安が残る。
だとすれば、危険ではあるが用意していない、彼女らにとっては未知の場所へと転移させるか──。
そうして思考に耽っていた時、既に肉体は静止していた。
馬鹿な、と動かない身体を置き去りにして意識だけ背後を振り向く。
その時、目の端を黒い影が過ぎり、自分達の家が破砕音と共に爆ぜた。
土煙から姿を晒すのは、先まで遠方の森で戦っていた筈の愛しき結人。
純麗、純麗、純麗──!
声を出そうにも役目を放棄している肉体は言う事を聞かない。
「──その花護は本当に便利だな。まあ、純麗を除いて、お前も私も……身をもって知っているがな」
直接見なくても理解した。
迸る紅蓮の殺意は、他でもない、自分と咲螺に向けられているのだから。
「『ダリア』の花護は不変すらを傾け、そして別離の小細工すらも凌駕する……お前が、一番よく知っている筈だろう。そこの『咲螺』とやらの存在が赦されないのも。なあ、──」
柊皇が自分をそう呼んだ時、珠爛の心は懺悔と酷い罪悪に襲われたのだった。
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