第二輪  『炎の夜』

「ただいま、愛しの珠爛すずらんっ。収穫極まったぜ」


「あら、おかえり──ん……っ」


 扉を開けて帰宅早々、二人の結人は軽く口づけを交わし、その様を永絆なずなは「ほわわ」と隠した指の隙間から見、そんな彼女に咲螺さくらは廊下から駆け出して勢いよく抱き着いた。


「ぐぇっ、ど、どうしたの?」


「痛かった痛かった過去最高に痛かった……」


 飛び着くや否や、真顔で涙の滝を流す咲螺の頭を、永絆は若干頬を引き攣らせつつ優しく撫でた。


「おいおい、咲螺はまた何かやらかしたのか? そんなんだと、もっとお淑やかで可愛らしい子に永絆ちゅわんが奪われちまうぞ」


 その一言を聞いた咲螺は、涙目のままキッと純麗を睨む。


「そんなことは有り得ない! 永絆はわたしの騎士……誰にも渡さないんだから!」


「咲螺……!」


「なんだかとんでもないバカップルに見えなくもないな」


 宣戦布告であるかのようにビシッと人差し指で指す咲螺に、永絆は瞳を蕩けさせ、純麗すみれは一周回って呆れ返っている。

 そんな場に、ぱんぱんっと乾いた音が鳴り響く。


「はいはい、咲螺のお熱い愛が見れたところで、早く晩御飯にしましょう」


 にこやかに笑んでそう言った珠爛に、三人は目を輝かせて返事をしたのだった。


****


 夕食を終え、お役目の稽古や明日の儀式に関しての話し合いを済まし、村も家も寝静まる頃。


 偶然聞こえてきた声に、咲螺は何となしに息を潜め、廊下からこっそりと部屋の中を覗き見ていた。


「──分かったわ。子供達にも注意するように言い聞かせておきます。……はい、はい。ではまた明日に」


 珠爛が花赦かしゃに繋いだアヤメの花で連絡を取っていた。

 

「何だって?」

 

 椅子に座りながら、樫の木で出来たカップを傾けている純麗が聞いた。中身は恐らくブドウ酒だろう。


「『紅の第一階層』にある『柱頭宮』で、動きがあったそうよ。まさかとは思うけど、あの子に私達の場所が──」


「心配するな」


 椅子に座っていた純麗が立ち上がって珠爛を引き寄せる。


「でも……」


「あれから何年、ここを守ってきたと思ってる。大丈夫だ。……それに、最悪あいつがここへ来ても、話せばきっと……」


 常の凛々しい彼女にしては珍しい憂い顔を見て、しかし珠爛は口元を緩めて純麗の髪を撫でる。


「貴女の方こそ心配しているみたい。ええ、そうよね。あの子も私達と同じなのだもの。心配することなんか無い筈よね」


「ああ……その通りだ」


 やがて純麗も朗笑を浮かべると、明後日の方向を向いてポツリと呟いた。


「……その、今日もお願い……していいか?」 


 そのお願いとやらが勇気と羞恥が要るものなのだということは、真っ赤に染まった耳が物語っている。


「ええ、勿論……。相変わらず甘えん坊さんなのね。咲螺と永絆が見たらどう思うのかしらねぇ?」


「う、うるさい……っ」


 咲螺はその純麗の表情を見て、驚きを隠せなかった。女の顔になっていたのだ。女なので当たり前だが。

 そうして二人は傍らのソファへと倒れ行き、微かな甘い喘ぎ声を上げ始めた。


「ほぉ……」


 咲螺は何かいけないものでも見てしまったような罪悪感と胸の高鳴りを覚え、抜き足差足を心がけて部屋に戻る。

 その直前に。


「『咲螺』、か……」


 唐突に自分の名前が聞こえたことに激しく心臓が鼓動し、身体の動きが停止する。

 

 だが、それ以上呼び掛けることは無く、部屋からも出てこないので、覗き見していた自分に対しての呼び掛けでは無いのだろう。

 

 それが分かった途端、重石のようなものがどっと抜けた感覚があった。


「──私達も、随分と慣れたものだな」


 だから、甘い吐息と共に聞こえたその言葉は、不明瞭な翳りを伴ったまま、不意に耳朶じだへと強く響いたのだった。

 部屋へ戻る足は、自然と早まっていた。


「──わわわ、急にどうしたの?」


 部屋へ戻った途端、咲螺は自分でもよく分からないが永絆が恋しくなり、勢いよく抱き着いた。

 軋むベッドの上で、激しく鼓動する彼女の胸に顔を埋め、気分が落ち着いていくのを感じる。


「もしかして、明日のお役目……緊張してるの?」


「ううん。なんか……なんか、ね? 急にあなたを抱きしめたくなったの。やっぱり……落ち着く」


 鼻腔に届く花弁のような甘い香りと、鍛えているのだろう、日に日に逞しくなっていく彼女の胴に底知れない安堵を覚える。

 

 そんな咲螺に対して困惑と羞恥の声を漏らさないのは、永絆が騎士としての片鱗を見せているからだろう。


 彼女は最愛の姫君を強く抱き寄せて、耳元で静かに囁いた。


「心配しなくても、ぼくが君を支える……君を守る。ぼくは君の騎士だ。えい、きゅう、しゅうしょくの」 


「────」


 最後の言葉こそ辿々しくて上手く聞き取れなかったが、それでも咲螺の胸中を渦巻く不明瞭な翳りを消し飛ばすには十分だった。

 

 それどころか、不意に送られたその言葉、その気持ちに、常とは反対に咲螺の方が大きく動揺していて。


「……あれ、咲螺?」


 顔を埋めたまま沈黙する咲螺に、永絆は何か変なことを言ってしまったのかと不安になる。

 だが、途端に素早く顔を上げ、湯気が出そうなほどに火照った貌を見せると、再び強く抱き着き、


「急にそんなこと言われると、ビックリしちゃうじゃない……バカ」


「ご、ごめん……」


「でも、ありがとう。……大好き」


「────」


 目元は涙が出そうな程に熱く、それは頬を伝って全身へと伝播する。相変わらず鼓動は脈打ち、耳朶に強く響いている。

 それでも、互いの間にある熱は体温とは別の何かを感じ取り、次第に胸の裡へすとんと落ちていった。


「……今日はもう寝ましょ」


「うん……そうだね」


 照れ隠しからか、隣り合う二人はそっぽを向いて床に着いた。 


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 しかし、布団の中で自然に繋がれた手は、彼女達にしか見えない固い絆を示していた。


**** 


 ──今でも時折思い出す。


 いつからか、重病を患ったまま長く寝込み、死人のように昏睡していたことがあったらしい。

 

 いつ目覚めるか分からない、不条理な病。

 

 もしかすれば、このまま一生目覚めないのかもしれない──そんな時、咲螺はまるで朝を迎えたから起きるといったように、目を覚ましたのだった。


 そして、長い長い夢を見ていた感覚に囚われながら、滂沱の涙を流して自分に抱き着く珠爛や純麗……そして村の仲間達を見て、暖かく不思議な気持ちになった。


 ──貴女は咲螺。貴女は咲螺よ……。


 涙ながらに囁かれたその名前は、常日頃から誇らしく思っている。

 そんな劇的な目覚めから三年の月日が経つと、今度は今にも飢え死にしそうな少女と出会った。

 

 それが永絆との出会いだった。

 

 そういえば、その時も確か、あの湖畔だった。 


「どうしてにやけているの? 緊張のし過ぎでおかしくなっちゃった?」


「あなた、たまに毒のある台詞をさらっと吐くわね……。緊張なんかしていないわ。ちょっと昔のことを思い出していただけよ」


 だが、内心では危ない危ないと呟き、両手で頬をこねくり回して意識を集中させる。


「それでは巫女様。準備は宜しいでしょうか」


「はい」


 花の模様が描かれた仮面を着けた世話係に返事をすると、咲螺と永絆は柵から姿を現し、巨大樹の前へと進み出る。

 二人は昨夜と同じく装束を身に纏い、ポインセチアの灯火に照らされ、大衆を前に礼をすると、練習通りに儀式を執り行っていく。

 

「それでは、永絆様」 


「──はい」


 傍らに永絆が緩やかに歩み寄り、そして両掌を差し出して呟いた。


「息吹け──『祈りの星剣アングレカム』」


 詠唱直後、星のような形をした白い花弁が現れ、たちまちそれは白銀の鋼鉄を結んで大剣と化す。

 それを認めると、永絆は荘厳と佇む大樹と向き合う。

原初の巫女が残したとされる天恵の大樹。

 それの表面に、選ばれた巫女は自らの祈りと花護を刻み込む──それが儀式の内容である。


 今までは珠爛と純麗がその年毎に交代で行っていたが、咲螺が目覚め、永絆を迎え入れてからはその役目が二人へと代替わりしたのだった。

 だが、咲螺はまだ花護を咲かせてはいない。そのため、祈りを彼女が、花護を永絆が担当することにしたのだ。


 やがて、咲螺も大樹の前に歩み寄り、胸の前で手を合わせて瞠目する。

 隣には星剣を構える永絆が浅く呼吸をし、ゆっくりと剣先を木の表面に近付けているのを感じる。


 後ろには大勢の村人と共に、儀式の様子を静かに見守っている二人の母の姿がある。

 実際に見ている訳では無いのに不思議と彼女達の表情を読み取ることが出来、咲螺は安らかな面持ちで祈りの言の葉を紡ぐ。


「────」


 だが、それが音を灯すことは無なかった。

 代わりに静謐な空気に齎されたのは──


「咲螺!」

「ぇ──」


 ──轟々と朱く蠢く巨大な炎だった。


 すぐに阿鼻叫喚が響き渡り、村人達は逃げ惑う。

 そして気が付けば咲螺もまた、永絆に手を引かれて炎から遠ざかり、森の中へと走っていた。


「なにが、ねぇ、なにが……」


「わからないよ! でも、とにかく逃げた方がいい!」


 全身の血脈は激しく脈打ち、悪寒が背中を駆け巡る。しかし、背後から伝わる音と熱は理解出来る要領を容易く凌駕している。

 逃げるしか無い。とにかく今は逃げるしか、無い。逃げるしか──


「待ってっ! ママ達は……村の皆は──」

「──安心せよ、すぐに焼け果てるだろう」

「──っ!?」


 刹那に降り注いだ声音は、二人の少女を震わせた。その姿を見たから感じた恐怖ではない。

 もっと直観的な、神経全体に訴えかける本能的な恐れだった。


「ようやく見つけたぞ……愛しい愛しい我が眷属よ」


 反射的に下を向いていた顔を上げ──煌々と唸り声を上げる森の焼け跡を目にした。

 そして、波紋する炎舞の中心に、一つの影があった。


「あなたは……っ」


 その姿を捉え、永絆は手に握り締めるアングレカムを震わせながら、恐怖と共に呟いた。

 目前で花の竜を従えながら佇む覇者。

 炎が模造と化す程に煌々と紅く染まった髪を炎風に靡かせ、朱を彩ったドレスに身を包んでいる。


 ──紅の第一階層に君臨する、この世界を統べる『柊皇』。


 かろうじて確認出来たのはそれだけだった

 四肢がひとりでに竦み上がり、歯がかじかんで尋常でない寒気が体中を迸る。

 心臓と脈はさらに早く鼓動し、目の焦点は高熱にうなされる時のようにまともに合わない。

 

 圧倒的な恐怖。途轍もなく深い深淵に迷い込んだ小動物のような感覚に囚われた。


「少しは成長したようだな。だが主に剣を向けろと育てた覚えは無い……その点に関して言えば、やはりあの女の余計な教育が──」


「──凛瞳りんどうぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 だが、絶対的な覇者を前にして、騎士を名乗る少女は剣を構えて駆け出していた。

 混乱の嵐の中、咲螺はその脆くも勇ましい後ろ姿を漠然と見つめていた。

 それを蛮勇と言わんばかりに、炎の皇は嗤う。


「よかろう。主に対して反旗を翻すと言うのならば、それを真っ向から迎え撃つのもまた一興よ」


「黙れ! あんたはもうぼくの主なんかじゃない! ぼくには仲間と、帰る家と、愛する結人が──」


 剣先でその身を穿たんと迫る永絆に。

 赤い唇を歪めた凛瞳は呟いた。


「──息吹け、『ダリア』の花護よ」 


 直後に映ったのは、血染めで宙を舞う、愛しき騎士の姿だった──。

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