watashi

さかき

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 ここ最近、実は自分そのものは、実はこの世界に存在しないのではないかと思うことが多くなった。多くの人がこれを考えるのかどうかは私は知らない。しかし、文字に表してみると案外伝わりにくい表現しか使えないものだ。


私という存在はどこで誕生したのだ?いつからが母体で、いつからが独立した私と言う存在なのだろうか。

私とは何か。名前がついただけの肉体のことを、人は人と呼べるのだろうか。

否、日本人のいう人の定義はとても曖昧なものであろう。

その肉体と自我を持ったモノのみを人、と呼ぶわけではないのは今までの経験で蓄積されたデーターベースの中に入り込んでいるだろう。

日本で暮らしていれば少なくとも数回かは、そうした経験を積んでいるはずだ。


到底、人を構成している物質、とは言えないモノから構成された人を模した物体を堂々と人なのだと言い張ることもある。

そんなことがあると思えば、人を非難するとき。お前は人ではない、と言われ言うことがあるだろう。

しかし、対話をしている限り、それは人であると言えるのではないか。

もしかしたら、そのヒトの中には未知の宇宙人が潜んでいるかもしれない。いつか痺れを切らせ、頭を切り裂いて出てくるかもしれない。

チョウチンアンコウの擬似餌のように、他の種の生命体が人間を食料として捕獲しようとしているかもしれない。


だがあなたは、いや限りなく100に近い%で表すことのできる数の人がそんなことを微塵も想像しないで、その目の前にいる、もしくは手の届かない遠くの距離にいるヒトを人として認識した上で話を進めている。


こんなことをいちいち確認しなくてはならない、そのほうがおかしいからだ。

いやしかし。この地球と呼ばれている惑星が他の星と他の星の中継地点となって、それこそ大量の異形のヒトが雪崩れ込んできたら。

地球古来の人類を見分ける必要が出てきて、ヒトビトの意識が変わるのかもしれない。そうして前述の意識がデフォルトになるのかもしれない。


話が飛躍しすぎた気がする。


 私はなになのだ、と言うことを話そうとしていたのだ。どうにも昔から話が脱線しやすい性分でね。自分が話しているいないにかかわらず気になったことをすぐに解説したり疑問をストレートにぶつけたりしたくなってしまうのだ。そこのあたりはどうにか飲み込んで、静かにといかずともせめてこの話に集中していて欲しい。


 そしてまた、話が飛躍してしまった気がする。

私が話したいのは「私と言う存在はどうして存在しているのか/そして何をしようとしているのか」ただその2つに限る。


なんで存在しているのか。別に私は何をしたくてこの世に生を受けたわけではない。

ただ親と呼ばれる関係の人物たちが快楽のままに生み、そして苦労の中に育ててきた人であるのかもしれないし。

この先どのように社会に馴染んでいけば良いか思案している悲しい失業者にも見えるだろうし。

またある側面から見ると、また、みすぼらしい服に身を包んだみすぼらしい道化師に見えるのかもしれない。

そしてまた、それは現在と未来の私の姿形であり、私が何をしたくて生きてきたのか、と言うことは何一つとして書かれていない。

私は何をしたくて、そして何を目標にして何をしてきたのか。

自分ではあまり整理しきれないが故に、人に整理してくれないかと頼み込んでみたことさえある。

しかしそのたびに依頼した人物たちは言うのだ。「私の人生でもなんでもない。そこにあるのは、ただ一つのあなたの人生であり、私は干渉もできないし見たり触れたりすることも、改変することもできない。だから自分の道は自分で見つけるしかないのではないか。」と。

そしてまた私は、私自身という人間がなんのためにどう生きてどう死ぬのかを考える。

答えのない問題、出口のないトンネル、救われない主人公。


 そしてまた、同時に心を病んでいる人でもあると私自身思ってしまう。

どうしてもどうしても普通の人のような、ポジティブな思考をしようとしても何者かが脳内に現れて私は邪魔をされてしまう。

自分ではその事象を明るく捉えて明るく片付けようと努めているのに。それが毎回茶々を入れてくる。

違う違う、私でもそうして辛く暗くジメジメと生活していきたいわけではないのに。

どうしてそこで邪魔をするんだ。と問うてもそれは返事をしない。

なぜならそれもまた、自分自身だからだ。

初志貫徹ができない。計画性のなさ。いつも薄い感情と笑顔を貼り付けて歩いていて。

物好きに集まるのはやはり物好きで、集まったが最後。そこから発展することはない。

つまり、平常な平凡で普通な人とはどうにもすることができずしまいには拘ることすらできなくなるのですらある。

その恐怖に身を震わせている隙に、平凡は私たちが何をするかに身を震わせている。

この違いを私はあまり飲み込んで解釈することができない。

まず絶望したら、どうするか。この対応で自分の心の状態を測ることができるのだそうだが。常々私は消えてしまいたいと、そう一筋の考えを病的なまでに支持している。

いなくなってしまったほうが、変えるくらいなら私が消えて無くなってしまったほうが、滑らかに自称が進んでいくのだと理は言っている、と思い込んでいるのだ。

しかしこれもまた、それなりに間違いではないと、そんな側面もあるかもしれない。

何せこの世界のほとんどは多数決に源流を置く。それに加えてここでは自ら死にたい願望を煮詰めて、最終的には実行してしまう人間がわんさかいるのだ。それに少しでも触発されて、とそれまた実行してしまう人間が増えたら。

最終的に何も残らないのではないか。


よく、周りのニンゲンは希望をやたらと説いてくるが、しかし、その希望と言われているモノは全てを透かして見れる者からはとても空虚なものにしか見えない。

であるならば、彼らはどうしてそれを希望として、そしてまた生きる糧として我らに提示してくるのだろうか。これで生きなさい、と。

それは彼らが残念な処理装置しか搭載していないからである。

先ほども述べたことを繰り返しにはなるが、全てを見透かすことのできるものはその希望の先にある空虚、それも全てを飲み込んでしまう虚をも見透かすことができる。

それ故に、素直に楽しむこともできず、ただそれを眺め続けた結果奇行にはしり、そしてまたあるものは死の淵へと全力疾走でレースを展開するのである。

そのことを見ていないか。それとも想像すりうことのできない者のみが、その空虚な希望を希望として提示してくるのだ。


暗い淵に落ちそうになるものは、大抵それを見透かしている。そして残念な輩から、全てしゃぶり尽くし、そしてまた対極に存在する絶望、をそこに引っ張り出すほどに暗くなっている。

ずけずけと土足で入り込んでくる頭の足りない輩に注意することを諦めた、孤高の明晰な頭を持つものは。



 そしてまた、そこに到達したものたちは時間があり、さらに思考を二日同させるととある考えに皆それぞれではあるが、また一様にたどり着くのだ。

どうしてなのかなど分かるはずもない。しかしどこかで、脳にある回路を同期させたのかとaskしたくなるほどに一様の、厳正に管理されたような思考をして、また答えをはじき出す。


この存在は実は嘘なのではないか。

始めに言わせてもらうとそんなことはなく、しっかりとした肉体としてそこに存在しているのだからそれは存在していると言って差し支えないに決まっている。

しかし時たま、そレがわからなくもないような不思議な、筆舌しがたい感覚ではあるものの。

どこか遠くから私そのものを見ているような、どうもおかしな空の上から見ているような感覚に陥る。

それから、ひゅんと魂が私自身の体目掛けて落下し、最後にはすぽりとハマって再び私としてその肉体が動き始める。

小さな頃からその感覚がとても怖くてたまらなかった。そのまま自分の魂はどこか遠くへ飛んでいってしまうのではないか、という妄想に支配され、時に涙をぼろぼろと流して流した時も、それまた今も起こり得ないわけでもない話なのである。


 自分の魂、はどこに存在すると思う?

問われて即答できるだろうか、私はできない。なぜかと問われれば、それは何を持って私、またはあなた、はたまた全く異なるただの別人とみなすかを完全に理解しきっているわけではないからだろう。


もし「あなたの魂をロボットに載せ替えました」と言われて、確かにその肉体から文字通り鋼の体になっていたら、そしてその一連の事象を自分で認知できるならば、魂は確かにそのロボットという鋼鉄の体の中にある、と言えるだろう。

しかし、その自分の魂がコピーだったら。

互いが互いのことを偽物だと思っている状況を作り出したらどうなるだろうか。もちろん、と断言することはできないがきっとどちらも自分のことを本当の人、だと主張し、同時に魂のコピー元、つまり原本は私だ、と主張をうるさいほどに始めるだろう。

そしてそれを傍観する、と決め込んだ人、はたまたオブザーバーとして外から覗いている人でさえ、それらの本当の原本がどちらかなんてわからなくなってくると思う。

それはどちらも自分が本物、原本だと主張してきて、なおも頑なに自分の主張をねじ曲げようとしないからだ。命ではないにせよ、そこには確かに大切な何かが託され、そして保管され、彼または彼女またはその存在を魂という形なきに造形を完成させようと考えているからであろうか。


ここまで何を書いてきたか自分ですら理解しがたく、さらに整理して読み解くことが困難であるが故に、非常に勝手であるがここで執筆を終わらさせていただく。

ありがとうございました。それではまた今度、何かの作品でお会いしましょう



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