咎人の正義

結城彼方

咎人の正義

「やっぱりノゾキはいいな・・・」


 男は呟いた。ベランダに置かれた背中をゆったり預け、足も伸ばせる折りたたみ椅子に座りながら望遠鏡を動かし、望遠鏡と接続されたパソコンに写った景色を録画しながら見るのが男の趣味だった。だが、目的は異性の裸を見ることでは無かった。40代で独り身だった男は人々の色んな日常を見物するのが大好きだったのだ。一家団らん、夫婦喧嘩に恋人の喧嘩、他の独り身、同じ部屋に住んでいるよく解らない関係の人たち。そんな人々を見ていると、不思議と心が落ち着いた。

 ある日の夜、男はいつものようにノゾキをしていた。その日のターゲットは見た感じ30代後半の父親と母親、そして10歳と7歳くらいの姉妹がいる一つの家庭だった。見ていても退屈になるくらい当たり前の日常。そんな“当たり前”を見て、男は癒されていた。“当たり前”に魅了された男は折りたたみ椅子に座りながら、その家庭の映像をしばらくの間、ボーッと眺めていた。すると突然、その部屋に異物が混入した。全身を黒い服でつつみ、目の部分だけ雑に切り抜いたニット帽をかぶった異物だった。その異物は刃物のようなものを使い、瞬く間に非日常を創造していった。父親と母親を椅子に拘束し、姉妹を両親の目の前で犯し、殺した。その後、夫婦の座っている椅子を向かい合わせ、母親の首をタオルで締め殺し、最後に父親に対して何か言葉を吐くと、あっさりと父親の喉を刺した。

 一部始終をノゾいていた男は硬直して動けなかった。正確には恐怖で硬直していたのは初めのうちだけで、その後は通報するか否か頭の中で答えが出ずに硬直してしまっていた。それもそのはず。通報してしまうと男がノゾキをしていた事がバレてしまう。そうこうしている内に異物は目的を達成したのか、画面から消えて無くなっていた。

 翌日、昨晩ノゾいていた出来事がニュースで取り上げられていた。ニュースに呼ばれた専門家達は「怨みによる犯行か?」「猟奇殺人事件か?」「小児性愛者の犯行か?」あーでもない。こーでもない。結論が出るはずもない話をダラダラと続けていた。だが男の中では昨日の異物がどんなものかある程度イメージが固まっていた。異物はなるべく父親の大切なものから順に苦しませてから殺害し、最後にあっさりと父親を殺していた。この犯行の手口・順番から、異物は父親に対してかなりの怨みを持っている。そんな人物だと。

 しかし、男にはどうすることもできなかった。映像を警察に提供すれば有力な手がかりになることは解っていたが、それが自首に近い行為であることも解っていた。そして丸1日悩んだ末に答えをだした。この件は黙っていよう。と…

 理由は我が身可愛さからだけではなかった。映像から、異物は現場に精液という重要な証拠を残している事が解っており、怨みによる犯行だということも解っていた。さらに日本の警察は優秀である。逮捕されるのは時間の問題であり、怨みによる犯行である事から、これ以上、犠牲者がでることも無いと推測した結果だった。重い悩みが解決し、男はいつもの日常に戻った。ベランダに置かれた背中をゆったり預け、足も伸ばせる折りたたみ椅子に座りながら望遠鏡を動かし、望遠鏡と接続されたパソコンに写った景色を録画しながら見る。そんな日常に…

 平和な日常が戻ったある日の夜、男がいつものように過ごしていると、部屋のインターホンが鳴った。男は玄関に向かい、のぞき穴から外を見るが誰もいない。不審に思った男はチェーンロックが付いている事を確認し、ゆっくりとドアを開けた。ガシャン。という音と共に巨大なペンチがねじ込まれ、チェーンロックを掴まれた。男はドアを閉じようと必死に体を押し付けるが、チェーンロックを切断され、強引に侵入された。男の目の前には、あの日見た異物が立っていた。男の頭の中で「怨みによる犯行か?」「猟奇殺人事件か?」「小児性愛者の犯行か?」あーでもない。こーでもない。結論が出るはずもない専門家達の話声が響いていた。



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