△▼△▼何でもない関係 △▼△▼
異端者
『何でもない関係』本文
秋も深まり、紅葉が落葉に変わる季節のことだった。
――ああ、居るな。
高校の下校中に振り返った彼、
彼女、
霊感など一切ない直人だが、付いてくる彼女だけはなぜか見ることができる。
何も生前特別な付き合いがあったわけではない。
あったのは、ほんの十分にも満たない接点だけだった。
直人が小学六年生だった当時、塾帰りで遅くなり夜道を歩いている時だった。
たまたま通りかかった公園で、ブランコに腰かけてうつむいている「まだ生きている時の」彼女を見かけた。
彼はこんな夜遅くに幼稚園児が一人で居て大丈夫かと疑問に思い声を掛けた。
「こんな遅くまで居て大丈夫? 家に帰らなくていいの?」
彼女は何か言いたげにこちらを見上げたが、またうつむいてしまった。
「もう遅いから早く帰った方が良いよ」
彼はなるべく優しく声を掛けたつもりだったが、返答は無かった。
「これ……あげるから」
彼は自分のポケットに入っていた飴玉を一つ取り出すと、半ば強引に彼女の手を取って握らせた。
それから一か月後、ネグレクトが原因で彼女が死んだことを点けっぱなしになっていたテレビのニュースで知った。当時まだ彼は「ネグレクト」という言葉の意味さえ知らなかった。育児放棄――実際には小学二年生になる年齢なのに幼稚園児に見えたのは栄養失調による発育の遅れが原因だった。西宮奈美という名前もその時に初めて知った。
その後、直人が葬儀に出たとか花を贈ったとかいったこともなく、結局彼女との接点は最後まであの公園の出来事だけだった。
そして、死後数週間後から彼女は彼に付いてくるようになった。理由は分からなかった。
そうして今に至る。
今でも、彼女が付いてくる理由は分からないままだ。
彼もどうすべきか分からずに、そのまま過ごしている。特別に憐れむでもなく、気に掛けるでもなく過ごしている。彼女がそれをどう思っているかは、彼には分からない。
「あの……ちょっと、良いですか?」
前方から不意に声が掛かる。
振り返った姿勢を正すと、相手に向き直った。
目の前には、眼鏡をかけた気真面目そうな青年が立っている。
――ああ、またか。
彼はうんざりした目で相手を見た。
青年は少し怪訝な顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。
「突然こんなことを言うのもどうかと思いますが……あなたは幽霊に取りつかれていますよ。このまま放っておくと大変なことに――」
「別に構いません」
「えっ!?」
青年の表情が驚きに変わった。
「だから、別に構いません……このままで結構です」
それを聞くと青年は彼の両肩をがっしりとつかんだ。
「何を言ってるんです!? 確かにあなたに付いている子は悪霊ではないかもしれない! しかし、このまま放っておいたらそのうち悪霊となって霊障で破滅するかもしれません! 安心してください! 私はお金をむしり取ったりするインチキ霊能者ではないんです!」
青年は真摯に説得しようとしている――それは伝わるが、彼にとっては迷惑なだけだ。
彼は体をひねって強引に青年の拘束から逃れると言った。
「『破滅する』、『このままだと危ない』――そんな言葉は何度も聞いた! だけど、それがなんだ!? 生きている時に好きにできなくて、死んでからも厄介者扱いするのか!? それぐらい好きにさせてやればいいだろ!」
「そんな無茶な理屈――」
「無茶で結構。こっちはあんたみたいな霊能者に何度も言われたさ……でも、実際には何も起きちゃいない。それで十分だろ?」
彼はそれだけ言うとまた歩き出した。
「あの……せめて連絡先だけでも」
それを遮るように青年が名刺のような物を差し出したのを強引にポケットに突っ込む。
――なぜ、いけない。
好きにさせておけば良いじゃないか。
彼の背後では相変わらず彼女が物悲しげな目でこちらを見ていた。
家に帰ると鍵を開けて、そのまま自分の部屋に直行した。
両親はまだ帰ってきていないらしかった。今夜も遅くなるのだろう。
部屋の隅では、さも当然であるかのように彼女がたたずんでいる。
彼はベッドに横たわった。見るとはなしにスマホの画面を見る。どうでもいい通知が数件。スマホをベッドの上に放り出した。
彼女が居ることは全く気にしている様子は無かった。
ただ、そこに居て当たり前の存在――それが彼にとって、彼女の認識だった。
それがたとえ悪霊だとか化け物だとしても……それが何だろうか。
翌朝、直人が登校すると話しかけてきた男が居た。
「お前ってさ、幽霊に取りつかれてるって本当?」
同級生の
「どこからそんな話が出た?」
「昨日さ……お前が幽霊に取りつかれてるって言われて捕まってるのを
佐伯……確かクラスでもお喋りな女だったはずだ。
厄介な奴に見られた――彼は内心、舌打ちした。
「本当だったらどうなんだ? お前には関係ないだろ?」
「マジか!? マジなのか!? 呪われてんの? お前?」
――ああもう、うっとうしい。
「取りつかれてても、別に害がないなら良いだろ?」
「大ニュース!」
割って入ってきた声があった――佐伯の声だ。
「泉の奴。本当に幼稚園ぐらいの幼女の幽霊に取りつかれてるって……これはこの学校でも霊感のある子に見てもらったから間違いないよ!」
そう言って満面の笑みで教室に入ってくる。
これがもし男だったら、いや女でも直人が熱くなりやすい性格だったら――顔面を殴りつけていたかもしれない。
「え!? ホント!?」
「スゲー……マジで呪われてんな!」
他人の不幸は蜜の味と言わんばかりに反応するクラスメイト。
「で、どうなの? 呪われてるご本人は!?」
佐伯が近寄ってくる。直人は冷え切った眼で彼女を見た。
「知るかボケ」
「もー泉君、相変わらずクール! でも幼女を連れ歩いてるなんて知られたらロリコンだって分かっちゃうよ!」
クラスのあちこちから嘲笑の声が聞こえる。
「ちょ……それ犯罪」
「いや~ロリコンはちょっと……顔は悪くないんだけど」
「やっぱり夜は一緒に寝んのかな……」
もはや完全に玩具だ。遠慮もクソも無い。
「でさー。お祓いとかしなくて大丈夫? なんなら私が紹介してあげようか? 紹介料なら特別に安く――」
パァン!
佐伯が言い終わるより早く、直人の平手が佐伯の頬を打った。
「ちょ……暴力反対」
佐伯はそう言ったが、さっきまでの勢いは無かった。
「まずこの子は幼稚園児じゃない……小学二年生だ。学校に行っていたかどうかは知らないけど」
突然の説明に、クラスが静まり返った。
「この子は虐待されて……ネグレクト、育児放棄されてまともな食事すら摂れなかった。だから発育が遅れて、小学校低学年なのに幼稚園児ぐらいの体格しかない」
おい、マジかよ。ザワザワ――クラスのあちこちから声が上がる。それはさっきまでの嘲笑を含んだものとは明らかに違う雰囲気だった。
「そして、そのままろくに世話されずに死んだ。俺と会ったのはその一月前、夜の公園で偶然会ってポケットに入っていた飴玉一つをやっただけだ」
いつの間にか、茶化す声が無くなっていた。それどころか静まり返って、彼の声に耳を傾けていた。
「死んだ数週間後から、この子は俺に付いて回るようになった。なぜ俺なのかは……俺自身にもよく分からない。本当に一度会っただけで、虐待されていてそれで死んだのだってニュースでようやく知った……葬式にも出ていない……」
彼は振り返って奈美の様子を確認する。相変わらず物悲しげな目……しかし、その理由が彼女自身から語られることは決してない。
彼は向き直ると言葉を続けた。
「ひょっとしたら、単に他に行く当てがなかっただけかもしれない。親に見捨てられ、他の誰とも接点が無かったのかもしれない。だが、この子がそう望むなら居させてあげたい。俺は霊能者でも何でもないから何もできないけど……」
彼はそこで一呼吸置くと言った。
「だから、せめてこの子を馬鹿にしたり、玩具にするのだけはやめてほしい。死者に鞭打つような真似をしてほしくない……何より、俺がこの子の好きにさせてあげたいんだ」
静寂。
「ごめん」
佐伯が頭を下げた。気のせいか目じりが濡れているように見えた。
もう馬鹿にする者は居なかった。彼らを憐れむような視線だけがあった。
「おーい、席に着け。ホームルーム始めるぞ」
何も知らない担任が入ってきてそう言った。
その後、クラスでは直人と奈美のことを話題にする者は居なくなった。
時折、ひっそりと見守るような視線を感じることはあったが。
その後、直人は離れた土地の大学に進学した。当然のように奈美は付いてきた。
大学でも、たまに見える人と会ったが、彼が助けは必要ないと言うとそれ以上言ってくる者は稀だった。
相変わらず、彼女は何も言ってこなかった。
そうして、両親の希望もあり彼は大学を卒業すると地元に帰って就職した。
そのまま、職場で知り合った女性と結婚し、娘が生まれた。
どうやら幼い子には見えやすいらしく、娘が不安そうに「あの子は誰?」と彼に聞く度に、危険は無いから大丈夫だと諭した。
そんな娘も成長し、いつの間にか奈美が見えなくなっていった。
娘が遠くの地で就職し、結婚した時も彼女は直人のそばに居た。しかし式の招待客の中に見える人が居たらしく、少し騒ぎになったが、彼が害は無いと言うと渋々だが引き下がってくれた。
それから四年後、娘は生まれたばかりの孫を連れてくるようになった。
孫はだんだん大きくなって、喋れるようになると奈美の方を向いて何か言うようになった。彼はそれを微笑ましく感じたが、娘は頑なに否定した。
そんなこともあってか、娘夫婦とは徐々に疎遠になっていった。
そして孫が小学生になった頃に彼は両親と次々に死別した。どちらもそんなに苦しまなくて良かったと、親戚たちは口々に言っていた。
それからしばらくして、妻が癌で死んだ。死ぬ間際の人間には見えるらしく、集中治療室で「本当に居るのね」と悪戯っぽく笑っていた。
そして彼も徐々に衰えを感じるようになった。日課の散歩も、二日に一回、三日に一回になり、もはや死ぬのは時間の問題だった。
そんな時も、相変わらず彼女は居た。幼い外見のままずっと変わっていなかった。
ある日、彼が疲れを感じて横になると、ふっと意識が深くに沈んでいくのを感じた。
その瞬間、誰かがそっと彼の頭を撫でた気がした。
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