第35話 ならず者と刑事は魔物を仕留める


「三番、レフト、件坂くだんざか


 次々現れる異能打者に幻惑された俺は、三番手が現れても碌な対策が立てられずにいた。


「今度は左か……野郎、いかにも打ちそうだな」


 浅黒い筋肉質の三番打者は、威嚇のつもりかヘルメットに牛のような角を生やしていた。


 ――とにかくストレートがどこまで通用するか、試してみようぜ相棒!


 俺はサインに頷くと、渾身の力で腕を振った。同時にマウンドまで音が聞こえそうなフルスイングが球を掠め、ファウルボールはあっという間にスタンドの奥に姿を消した。


「こいつはミートさせるわけにはいかないな……よし」


 俺は大きく振りかぶると、カットボールを投じた。次の瞬間、敵のバットがまたも俺の球を掠め、今度はサード側のスタンドに吸い込まれた。


 ――くそっ、小さな変化は織り込み済みってわけか。だったら裏をかいてやる。


 俺は次の一球も、今までと同様に思いきり腕を振った。バットから逃げるスクリューボールは浮いてから落ちる独自の軌道を見せ、三度目のフルスイングもミートには至らず打球はピッチャーの手前で大きくバウンドした。


 ――しめた!


 俺がどんな奇妙な動きをしても捕球してやるとグラブを掲げた、その時だった。目の前で球が消え、目標物を見失った俺はグラブを下げ、目線を落とした。次の瞬間、何もない空間から突如、球が現れて俺の前で大きく跳ねた。


「――くっ」


 俺が捕球した球を一塁に投げると、一瞬早く黒い影がベースを駆け抜けるのが見えた。


「セーフ!]


 球を見失ったショックと件坂の意外な速さに打ちのめされた俺は、マウンドに戻っても気持ちの切り替えがしばしままならなかった。


「四番、安達ケ原あだちがはら


 右のバッターボックスに入った男子生徒は、一見すると特徴のない若者に見えた。


「……まずはストレートだ」


 俺はファーストストライクを取るつもりで大きく腕を振った。球がミットに収まった瞬間、俺は左腕の「継ぎ目」に微かな違和感を覚えた。


 ――まずい、神経がずれたか?


 渾身の初球は何とかストライクになったものの、俺はこのずれがコントロールに影響するのではないかと、にわかに不安に駆られ始めた。


 ――よし、もう一球だ。


 俺は違和感の正体を確かめようとするかのように、続けてストレートを投じた。


「――ボール!」


 俺は崖渕が立ちあがったのを見て、反射的に背後を振り返った。驚いたことにまったくリードを取っていなかった件坂がいつの間にか二盗を決めていた。


 ――なんだ?瞬間的に移動したのか?


 牽制すらできなかったことに愕然としながら、俺は気を取り直してキャッチャーに目をやった。崖渕からのサインは変化球で仕留めろ」だった。


 ――もう一度、さっきの球を試してみるか。


 俺は脚を上げると、安達ケ原に先ほど打ち取り損ねたスクリューボールを投じた。


「――ボール!」


 捕球した崖渕が再び立ち上がるのを見て、俺は思わず「まさか」と声を上げていた。


 俺の右側には、いつの間にか三塁に到達した件坂の姿があった。


 ――また気配がなかった。どうやって移動してるんだ?


 俺は焦りを感じつつ、崖渕を見た。サインは「好きな球を投げろ」だった。俺は頷いてまだ一度も実戦で試したことのない形で球を握ると、ええいままよとばかりに放った。


「――?」


 安達ケ原のスイングは空を切り、無表情だった顔面に驚愕の色がよぎるのが見えた。


 俺はしてやったりとばかりに胸を反らせると、三塁の件坂にちらと目線を送った。

 

 ――俺自身にもどこに行くかわからない、スーパースローナックルだ。二度目は見逃されてボールだろう。後は内角でストライクを取るしかない。


 俺は握りをツーシームに変えると、大きく振りかぶってフロントドアのシュート球を投じた。が、球が指から離れた瞬間、左肘に激痛が走って球筋がわずかに動くのがわかった。


 ――しまった、デッドボールだ!


 俺が思わず帽子の庇に指をかけた、その時だった。安達ケ原が大きくのけぞったかと思うと、肩関節があり得ない角度に回った。


 ――打った?


 俺の耳元を弾丸のようなライナーが掠めた瞬間、銀角の「ぎゃあっ」という叫び声が聞こえた。振り返ると、身体を折って呻いている銀角と、その前で転がっている打球とが見えた。


 ――あいつ、身体で球を止めたのか!


 俺は急いで球を拾うと、外れかけた左腕で渾身のバックホームを試みた。


「――来いっ!」


 件坂が暴れ牛さながらの勢いでホームに突っ込むと、弾かれた崖渕が球を捕えたままぐるんと一回転して地面に叩きつけられるのが見えた。


「――崖渕!」


 俺が思わず駆けよると、崖渕が倒れたままグラブを高々と上げるのが見えた。刺したぜ、というアピールだ。


「――アウトォッ!」


 審判が叫ぶと仲間の内野手からどよめきが上がり、俺はその場に両膝から崩れ落ちた。


「……勝った」


 俺が立ちあがった崖渕とグラブをつき合わせた瞬間、スタジアムの照明が消えて「見事だ、『ダークサイダース』の諸君」と野太い男性の声が響き渡った。


「……誰だ?」


「ふふっ、俺はお前たちが会いたがっていた男――『ビッグタランチュラ』だ」


「『ビッグタランチュラ』……綿貫栄治か!」


「勝者の特典としてお前を特別に俺のVIPルームに招待しよう、壱係刑事、寒風寺零」


 『ビッグタランチュラ』こと綿貫栄治が俺の名前を口にすると、再びスタジアムの照明が点いて男子スタッフの乗ったカートが俺の脇に滑るように止まった。




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