一人暮らし

 この春から私は一人暮らしを始めた。炊事洗濯その他もろもろ、すべて自分でやるようになって、分かったことがある。

 私はきっとあの家でとても苦しんでいたのだと。


 一人暮らしを始めて最初に思ったことは、不安でも孤独でもなく、安堵だった。名状しがたい解放感だった。肩の荷が下りるというのはこのことかと実感した。

 何かするたびに急かされなくてよくなった。その日の体調に合わせて食事の量を調整することもできるようになった。そして何より、できない自分をこれ以上嫌いにならなくてもよくなった。もしかしたら自分は自分が思っているほど社会不適合者ではないのではないかと、人並みに社交性が備わっているのではないかと、そんな風に少しだけ自分を認められるような気がした。

 人と話すとき、いつも頭の中の母が返事を選択していた。服を選ぶ時も何をするときも、頭の中で母の言葉が反芻していた。

 もちろんその母は私が生み出した幻に過ぎない。しかし、その幻想の母は確かに過去の母の姿であったのだ。かつて私が言われた言葉であるのだ。私はその母の影が恐ろしくて仕方がなかった。幻想の母の姿の存在が母に知られてしまうことが恐ろしかった。私はいつも苦しんでいた。


 私は自分が嫌いだ。人を振り回して、人に無駄な時間を費やさせて、お金を使わせて、人に迷惑をかけてしまっていること。そして何より、私のような無価値な人間が存在していることが何よりも許せなかった。

 自分に興味がなかったから、あいにくと自分の存在意義なんてものを考えたこともなかったけど、それでも私は消えたがっていた。存在意義なんてものがたとえ見つかったとしても消えたいという願望は消えないだろう。


 何も最初からこんなことを思っていたわけではない。思っていたはずがないのにな。いつしかそんな思考回路になっていた。私が嫌いな私の考え方に。

 人に迷惑をかけずにいきれるはずなどないのにな。自分一人で何とかしなくてはいけないと思っていた。今考えるとすごく傲慢な考え方だと思う。ただの高校生に何の力があるというのだろうな。未成年というだけですでに立場は弱いのに。


 ちょっとは客観的になれたかな。少しは自分が好きになれたかな。そうだといいな。自分の描く素敵な大人になりたいな。素敵な人になりたいな。

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