終章

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 次の朝。まだ暗い中、神楽の舞台の上には、龍宗と璃鈴の姿があった。


 強い雨の降りしきる空を見上げて、龍宗がすらりと腰の剣を抜く。研ぎ澄まされた刀身を、雨が水滴となって滑り落ちていった。その横には羽扇を持った璃鈴が寄り添う。濡れてもいいように、羽毛のついていないものだ。


 璃鈴の視線を受けて龍宗が頷くと、璃鈴も笑んで頷く。


 そうして二人は、静かに舞い始めた。


 始まりの舞。


 いつか璃鈴の部屋で二人で舞ったあの舞だ。


 この舞は、もともと夫婦が対となって舞うものだ。雨を呼ぶ巫女と、太陽を呼ぶ龍の血筋をひく者がこの舞を舞ったとき、伝説にあるように天の理さえ動かすことができるようになる。


 だがそれには、二人が心と体、その両方を通わせ一つとなることが必要となる。歴代の皇帝の中には、体を合わせることができても心を合わせられなかった皇帝と妃ももちろんいた。そういう朝はたいてい短命に終わる。災害が多く、国の内部が乱れるためだ。


 流れる雨を受けながら、ぴたりと寄り添って優雅に舞う二人の姿を見る者は、天以外には誰もいない。





「始まりましたね」


 神楽からほど遠い屋根の下で、凜と胸を張って幕を見つめながら春玲がつぶやく。隣に同じように立っていた飛燕は、ちらりと春玲を見下ろした。


 あたりに人影はなく、雨の音だけが二人を包んでいる。


「そうですね」


「これで、雨が落ち着くと良いのですけれど」


 長雨の影響は、農作物だけでなく治水にも影響し始めていた。最近は、山の近くでの土砂崩れも多くなっていると聞く。


 飛燕は、心配そうな春玲の言葉に、空を見あげた。


「少し、手伝いましょうか」


「え?」


「まだ覚えておられますか? 始まりの舞を」


 春玲も璃鈴と同じく、始まりの舞はその身に沁みついている。戸惑いながら春玲は、ええと答える。


「けれど、私が始まりの舞を納めたとて、皇后様ほど天をお慰めできるとは思えません。ましてや、この雨では私が役に立つことは」


「試してみましょうか」


 すらり、と飛燕は腰の剣を抜いた。誘われるままに、羽扇を持たぬ手で春玲は舞い始める。春玲の顔にみるみる驚愕の色が広がった。


 ぴたりと重なる二人の舞。


 璃鈴が龍宗に舞の手ほどきをしてもらったと言っていたことを、春玲は思い出した。


(ああ、そうか。この方も)


「私も、幼いころから覚えさせられたのです」


 春玲の心を読んだように、飛燕が答える。


 雨の巫女と重なる龍の舞。それは、皇位継承者に代々伝えられる秘伝の舞。飛燕は秘密裡に、龍宗とともに幼いころから巫女の対となるこの舞を覚えてきたのだ。


 足さばきも軽やかに舞いながら、飛燕が笑んだ。


「ですが、龍宗様に聞いていたような天の息吹は私には聞こえませんね」


「天地の息吹?」


「ええ。龍宗様が皇后様と二人で舞った時には、天と地をつなぐ理を感じられたそうです」


「天と地をつなぐ理……私にも、そのようなものは感じられません」


 話しているうちに、短い舞は終わった。飛燕と春玲が向かい合ってお互いを見つめる。


「やはりあのお二方でないと、天はお気に召さないようだ」


「ふふ。そうかもしれませんね」


「春玲殿」


 飛燕は、春玲の澄んだ目を覗き込む。


「これからも、時々一緒に舞っていただけますか?」


「はい。もちろんです」


 ほんのりと頬を上気させて、春玲は答えた。天と地の理はわからなかったが、飛燕と舞うのは純粋に楽しかったのだ。


(璃鈴様も、陛下と舞った時はとても楽しかったとおっしゃっていた。きっと、こんな感じだったのね)


「ただし、これは決して人に見せてはならない秘伝の舞です」


 飛燕は、重々しく言ってから春玲の耳元にささやいた。


「ですから、一緒に舞うには、二人きりだけのところで……。いろいろと、覚悟しておいてよね」


 一瞬きょとんとした春玲がじわじわと顔を赤く染めていくのを、飛燕は笑いながら見つめていた。


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