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「璃、璃鈴」


 二人が館に戻ると、なぜか長老があたふたとやってきた。


「どうしたのですか、長老様」


 普段は戒律に厳しく、間違っても廊下を走るような人物ではない。その慌てように、璃鈴と秋華は目を丸くする。



「急いで支度をせよ、璃鈴」


「私? 何の支度ですか?」


 しどろもどろに言う長老を、璃鈴はもの珍しく見ている。おてんばな璃鈴はいつもこの長老に叱られてばかりだが、その長老がこれほどに動揺する様を、璃鈴は見たことがない。



「長老様、まずは落ち着いてくださいませ。一体、何があったのです」


 秋華がしっかりした声で問うと、長老は秋華を見て大きく深呼吸をした。


「ああ……そうだな。落ち着かねばな」


 一度目を閉じて気持ちを落ち着けると、長老はあらためて口を開いた。



「先ほど、都からの御使者が参った」


「では、先ほどの馬車や人は」


「うむ。使者殿のご一行だ」


「どのようなご用のむきなのでしょう」


「それがな」


 長老は、ため息をつきながら言った。


「皇后を迎えに来たのじゃ」


「「え?!」」


 璃鈴と秋華は同時に声をあげた。


「皇后が決まったのですか?」



 この里は、雨を降らせる能力を持つ神族の乙女たちが住まう里だ。


 彼女たちの住む国、輝加国は、乾燥地帯に広がる大帝国でしばしば日照りの害を受ける。それでも大地が潤い発展してきたのは、神族と呼ばれる古の血を持つ一族のおかげだ。この一族の乙女たちは、天に祈ることで雨を呼ぶことができる。


 そして、彼女たちにはもう一つ大事な役目がある。それは、皇后となり皇帝の血と神族の血を交えることだ。



 輝加国の皇帝となるものは、神族である雨の巫女の中からその皇后を選ぶことになっている。後宮内には普通の妾妃たちも入ることはできるが、皇后は必ずこの里の娘を選ばなければならない。それは、この国の龍の伝説に基づいている。



 今の皇帝の血筋は、はるか昔、この大陸にいた龍の一族だったと言われている。火を吐いては地を焼き、雨を呼んでは田畑を沈めたその龍に、人々はほとほと手を焼いていた。その中で龍をこらしめたのが神族の巫女で、彼女はその力をもって龍の力を封じ、龍が荒れさせた世界に再び潤いをもたらしたのだ。そして世界に平安が戻った後は、力を封じて人となった龍が二度と暴れないように、巫女はその妻となって側に残った。強い力を持った二人は、この国の最初の礎になり、その後を睦まじく過ごしたと言われている。以来、この国では、再び龍が暴れださないようにとこの婚姻が守られてきた。


 そして昨年、新しい皇帝が即位した。その皇后が今の巫女の中から選ばれるというので、璃鈴を除いた巫女たちには妃としての教育も行われて来た。



 その皇后が選ばれたというのだ。


(ということは、もう皇后教育はしなくていいのね)



 机に向かうことの苦手な璃鈴は、ほ、とすると同時に、少しだけ残念な気もしていた。


 いつか見た皇帝陛下、龍宗の強烈な瞳は、今も璃鈴の胸に焼き付いている。あの瞳を、璃鈴はもう二度と見ることはないのだ。


(皇帝陛下、素敵な方だったけどなあ。ちょっと惜しかったかも)



「ああ、それが……」


 困り果てたような長老も初めてだ。まじまじと見つめてくる璃鈴を、長老もまじまじと見つめ返す。


「皇后にと皇帝が望まれたのは、璃鈴、お前じゃ」


「……は……はっ?!」


 先ほどよりよほど大きい声で璃鈴は叫んだ。


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