アクアリウム夢幻

 どこかの詩人が窓辺の水槽に月を飼ったように、僕は鏡像越しに街を沈める。小高い丘に佇む洋館の広い窓から見える景色のすべてを、アクアリウムに閉じ込めるのだ。


 薄いアクリルを隔て、空の色は乳白色の朝靄に変わっていく。僕はカーディガンを羽織り、静かに消えていく街の灯を欠伸混じりに眺めた。

 水面にミルクを零そうか。そうすれば、夢から醒めないで済むのかもしれない。緩慢とした眠りの中で揺蕩うような心地で、緩やかな終わりを眺められる。


 目覚めた人の群れは底に沈殿し、乳白色のベールの中を踊る。たとえ朝が終わったとしても、僕の水槽せかいは靄がかったままだ。ブレーキランプの無粋な赤も、水底を彩る間接照明に見えた。

 僕はキャンドルに火を灯し、小さな温もりを目で捉える。ゆらゆらと揺れる炎は不安定で、薄紫のマーブル模様が輝いて映る。火が消えたら、これも水槽に沈めよう。


 幼い頃に夢見た空を泳ぐ魚は、僕の水槽せかいには不釣り合いだったらしい。泳ぐのではなく浮かんだきりで、雀に啄まれて水面を汚した。だから僕は、水底に沈む小さな人間を愛おしく思うのだ。等身大ではない、蟻のようなミニチュアを。


 下界では、街が沈んだことなど知りもしない人々が今日も日常を過ごしていくのだろう。死海へ水没したソドムとゴモラの町のように、視界で水没する街を僕だけが観測している。

 誰も傷つけることもなく、誰にも知られることもなく。人が生きる限り廃墟と化すことはない風景に、僕が何かをすることは出来ない。アクアリウムに何かを入れて天の怒りを再現することはできるかもしれないが、それによって眼下の街には何ら影響を及ぼさない。全ては夢幻なのだ。


 だから僕は、微睡むように子守唄を歌う。開け放たれた窓に向かって、誰にも届くことのない歌を。

 太陽は、まだ完全に昇らない。もう少しだけ、夢の中にいてもいいじゃないか。


 孤独な少年は、そうして目覚めを待つのだ。もっと大きな存在がこの世界をアクアリウムのように観察しているのではないか、という想像をしながら、それを模倣するかのように。


 醒めない夢は水槽の中に。小さな神は創造主気取りで。

 水槽の外壁を静かに撫で、僕は大きな欠伸を漏らした。

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アクアリウム夢幻 @fox_0829

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