第22話 調律


 手と一緒に、それまで速度を上げるばかりだった蛍の頭の中も急停止した。


 今、自分はなにを考えていた?


 急に冷静さが降ってきたのは、脳裏をよぎった自分の思考が信じられなかったからだ。


 いや、本津に信じられないわけではない。むしろあまりにも自分の思考そのものだ。あまりにも自分から出てきた感情らしすぎて、その身勝手な物言いに愕然がくぜんとしたのだ。


(鳴ればいいって……そんな言い方ないだろう)


 ついさっきの自分に向けて、落胆を向ける。

 これは、目の前にあるこのブレスレットはなんだ。林龍二という男性から預かった、彼の兄の遺品だ。しかもしれを預かったのはハリで、自分はそれをさらにハリから託してもらった。


 なんのために。調石をするためだ。


 決して、この石を鳴らしたり光らせたりして喜ぶためじゃない。


 そんなつもりはなかった。これが大事な、他者の遺品だということはよくわかっていたし、丁寧に扱うのは当然だ。

 依頼人である林のためにも、調石をしっかりして、この中に込められているという持ち主の気持ちを聞かせてあげたいと……。


 ――本当に、そうか?


 自問が蛍の内心をかき混ぜる。


(いや。いや……違う、そんなことはない。今の俺はそうじゃなかった。考えていたのは林さんや、そのお兄さんのことなんかじゃない)


 思わずうなだれて、首を振る。


 できるかもしれないと思っていた。だって、ハリが蛍には素質があると言ったから。

 素質があるのなら、いきなりでもなんとなくできてしまうのではないかと思っていた。さっき、あの緑色の石を光らせ、奏でることができたように……同じように、何度か挑戦すれば音の感じがわかって、この辺りの音を鳴らせばいいと感じられて。

 できるだろうと。


 これでは自分の能力の確認だ。その後に誇示したかっただけだ。あるいはできなかったと落胆し、やっぱりねと期待を馬鹿にしたいだけだ。


 その気持ちのどこにも、林龍二の存在はない。


 気付いてしまうと、途端に自分が矮小なものに思えて恥ずかしかった。

 せめてもの救いは、誰かに指摘される前に自分で思い至れたことだ。偶然の、たまたま振り返ったような気付きだったけれど。


 振り返れてよかった。立ち止まれてよかった。


 そうでなかったらきっともっと大きな落胆に、二度と浮上できないほど深く沈むか、衝撃の大きさで頭が割れていかたもしれない。


「ああ……違うだろ。なにやってんだ」


 今度は声に出して己を叱責した。

 一度石琴から手を下ろした。


 よく見ろ。なにを思い上がっているんだ。

 目の前にあるのはハリの石琴だ。その先にあるのは林龍二が持ち込んだブレスレットだ。

 ここには蛍の管轄下にあるものなどなにもない。全部全部、誰かからの預かり物だ。

 なにひとつ、自分の誇示のために消費していいものなどない。


 深く大きく息を吸い込む。

 肺をいっぱいにして息を止めると、ばくばくと騒いでいた心臓を音がよく聞こえた。自分のできなさに焦り、身勝手な自分に焦っている。その両方の焦りは、今必要ない。どっちも自分のためのものだ。


 暴れる鼓動をねじ伏せるように、強くゆっくり息を吐き出す。

 無理矢理にでも落ち着かなければならなかった。

 でなければこのブレスレットは音に反応などしてくれない。なぜだかそういう確信があった。


 ふたつ目の深呼吸で、無益な焦燥感を胸の奥にねじ込むことに成功した。

 改めて石琴に指を置く。


「……林さん。虎一さん。あなたがどんなことを思っていたのか、聞かせてください」


 自分の気持ちを定めるためにと、蛍は繋がれた石に向かって小さく語りかけた。

 この調石は、それが目的だ。林虎一の気持ちを音にして拾い上げることで、このブレスレットの濁りを取り払うこと。元通りの綺麗な状態に戻すこと。


 そしてできれば、込められている虎一の気持ちを、龍二に聞かせてあげたかった。

 さっき聞いたルビーの中の声のように、龍二へ向けた気持ちがあるのなら……きっと林龍二は……。


(喜んでくれるかもしれない……)


 喜べるような声が聞けたなら、きっと林龍二は嬉しいだろう。幸せだろう。ハリに託してよかったと思えるかもしれない。

 そう思ってほしい。

 どうせなら、そういう思いでこれを持ち帰ってほしい。


「よし」


 蛍は頷く。

 まるで自分の気持ちのチューニングだった。必要なことだった。石と向き合う前に、こんなところから調律する必要があったなんて思いもしなかったけれど。


 できてよかった。


「もう一度だ」


 改めて、蛍は鍵盤に指を置いた。慎重に、丁寧に。

 相変わらず、ブレスレットがどんな音を望んでいるのか見当もつかない。だからひとつひとつ、確かめるように音を出した。

 微弱な振動がブレスレットに届き、その中にある黒ずんだ揺らめきを震わせるように。そんな様を頭の片隅でイメージしながら。


(届け……届け)


 小さな石の奥のほう、茶色と金の彩りの底のほう、どこかにある気持ちの芯を、このわずかな振動が震わせるまで。


 何度も何度も。

 指を動かした。

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