第9話 遺品


 やってきた『客』は、蛍が想像していたよりずっと若かった。

 てっきりハリの商売相手だから、祖母と同じくらいかそれ以上の年齢の人が来るのだと思っていたけれど。一階の奥にある応接室――かつて祖父の書斎しょさいだった部屋だ――に、藍に案内されてきた来客は、蛍より数年上くらいの、まだ明らかに二十代の男性だった。


 ネクタイこそしていなかったが、ワイシャツにスーツという格好だ。けれどあまり似合っている感じがしないのは、サラリーマンと呼ぶには少々引き締まった体つきのせいだろう。

 かなり細身なのに、せている印象はない。肌は日に焼けていて、髪はさっぱりと短く刈り上げている。


 スポーツマン。そういう言葉がしっくりくる。


 応接室には、ローテーブルを挟み革張りのソファが向かい合って置かれていた。

 その奥へ、藍は来客を通し、茶を淹れるべく応接室を後にする。


 歩きにくそうにしているハリに手を貸してきた蛍は、祖母と並んでソファに腰かけた。


「あ、あの。初めまして。本日は、お時間をとっていただきありがとうございます」


 ハリが座るやいなや、スポーツマン風の男性はやや前に身を乗り出してそう言った。


「お電話させていただきました、はやし龍二りゅうじといいます。ここは……縁石寺えんせきじの住職に教わって、参りました」


「ええ、聞いてますよ。尊元そんげんさんでしょう。あちらからもお電話いただきましたからね。不思議な石の処分に、困ってらっしゃるとか」


 隠しようもなく緊張している男性の様子をなだめるように、ハリはいつにもまして穏やかな物腰で返す。


 石、と聞いて蛍は祖母と来客である林龍二を見比べた。

 不思議な石。昨日ハリが見せてくれたような、あの音が鳴って光る石だろうか。


 さっそくですが、と林がビジネスバッグの中から小箱を取り出す。

 林の片手では収まらない、けれど大きくはない箱だ。おそらく菓子が入っていた箱だろう。店のロゴらしきものが蓋の中央見えた。


 その蓋を開けて、林は突き出すようにテーブルの上でそれを置く。

 それから真剣な、そしてちょっと困ったような顔でハリを見た。


「これなんですが……」


「はい、じゃあ失礼しますよ」


 一言言ってから、ハリは差し出された箱を手に取る。

 蛍も脇から中を覗いた。

 中にはティッシュぺーパーが詰め込まれていて、その中央に、丸い石を連ねて作ったブレスレットが入っていた。


「おや、こういう形式のは初めてだ」


 ブレスレットを取り出して、ハリが小さな手の平に載せる。


 連なっているのはどれも同じ、茶色い石だった。金色とも呼べるかもしれない。茶色の玉に鈍い金の筋がいくつも走っている。小さい頃、図鑑で見た惑星のようでもあった。


「天然石のブレスレットだね。これは……誰の?」


 ハリが眼差しを林に向けて問う。

 林は居住まいを正した。


「兄のです。寅一とらいちといいます。先日……いえ、ひと月くらい前に、亡くなりました。」


 言葉にするのは、重たいことだったようだ。

 林が膝の上で両手を拳に握るのを、蛍は見た。


「そう。失礼だったらごめんなさいね。おいくつだったの?」


 ハリは特別でない柔らかさをたたえて問う。

 林は言葉につっかかった。言いにくそうだというより、緊張のせいだろうことが伝わってくる。

 ひとつ深い呼吸を挟んで、彼は己を落ち着けようとする。


「二十七です。僕と同い年です。双子でした」


「双子のお兄さんの持ち物だったんですね。綺麗ねぇ。傷がほとんどない」


「それはたぶん……兄がつけて、出歩かなかったからだと思います。兄はずっと……いえ、ずっとというわけではありませんが……その、長く病院におりましたから」


「病院……」


 思わず蛍はその言葉を繰り返していた。

 一瞬、林が蛍を見る。余計な口を挟んでしまったと、蛍はわずかに表情を歪めて林の視線から逃げた。

 拾われたくない言葉だっただろうか。


 蛍がまごついていると、応接室のドアが開いて、藍が入ってくる。

 木製の丸いトレイに載せられた三つのティーカップを、奥から順にテーブルの上に置いていく。


 いい香りがする。昨日と同じものだろうか。蛍には区別できない。


 ありがとうございます、と硬い声で言って、林は早速カップを取った。

 まだ熱いだろうが、ずっと音をたてて飲み込む。

 それでいくらか、気持ちがほぐれたのだろう。

 蛍の無意識の呟きに、己の言葉を続けた。


「……はい。兄は、入院生活が多かったんです。小さいころから肺と心臓が弱くて……自宅ではできない治療がたびたび必要だったみたいです。二十年くらいが寿命になるんじゃないかと、小学校に上がるころに診断されたと……母から先日、聞きました」


 医者の予言通りに、林の兄はこの世を去った。


「そのブレスレットは、兄が高校時代に自分で買ったものだと聞いています。気に入ってよくつけていましたが……つけているのは、大体病室のベッドの上ででした。高校に入った後くらいから、特に具合が良くなくって」


 林はハリが持つブレスレットに目をやり、肩を落として息をついた。


「石に詳しいとか、そういう話は聞いたことがないですから、たぶんただのお洒落で買ったんだろ思います。かっこいいだろ、って言って見せてくれたことがありました。買ったばかりのころに」


 大学でも、こういうのをつけている人がいる。

 色んな種類のものをジャラジャラといくつも、しかも左右につけている人を見かけたこともあった。


 そういうのに、憧れていたのだろうか。

 林の兄は。


「そうですか。お気に入りだったんですねぇ」


「はい。ですがもう……持ち主はいません」

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