第26話
昼を過ぎて下山することになる。
登りの時と同じように、オレは陽乃と肩を並べて山を下っていた。景色が綺麗だったとか空気が美味しかったとか、とりとめのない話を陽乃と交わして数分が経過した頃。
「……ん?」
後ろが騒がしいことに気がつく。
振り返って確認すると、クラスメイトたちが誰かを囲んでいるのが見えた。
耳を澄ませて彼らの話を聞いてみる。
「星宮が転けて動けないんだってよ」「捻挫? 先生呼んでくる?」という騒ぎを耳にし、グッと心臓が掴まれたような感覚に陥る。星宮が……?
「大変だよ、彩奈ちゃんが……!」
隣に居る陽乃も顔を青ざめさせ、足を止めていた。
そして気がつくとオレは坂を走って星宮が居るのだろう集団の中に突っ込んでいた。クラスメイトたちに「わるい」と声をかけながら掻き分けて中心地に行く。
「……いたた」
「彩奈、大丈夫?」
「うん。ちょっと足首が痛いだけだから。普通に歩けると思うよ」
その場に座り込んで歪な笑いを浮かべる星宮と、心配そうにするカナの姿があった。
「星宮、大丈夫か?」
「あ、黒峰くん。どうしてここに?」
「星宮が転けたと聞いてな。足首、痛いのか?」
「ほんのちょっとだけね。カナが大げさなリアクションしただけ」
苦痛に顔を歪める星宮に手を差し出そうとした瞬間、その手を横からグイッと掴まれた。カナだ。苛立ちを見せるカナが、オレの手を力強く握っていた。
「つーか黒峰、お前何しに来たんだよ。春風と居たんじゃないのかよ」
「星宮が心配になって来たんだ。悪いか?」
「悪いだろ。お前、堂々と二股しやがって」
「ふ、二股……?」
「とぼけんな。春風と彩奈、二人に手を出してんじゃん」
「それはちが――」
「待って二人とも、あたしは――――っ!」
星宮は立ち上がろうとし、「っ!」と呻き声を漏らして右足首を庇うように再び座り込んだ。
「彩奈。やっぱ無理してんじゃん」
「す、少し油断しただけだってば」
捻挫を舐めているのか強がっているのか、またもや星宮は立ち上がろうとする。
すかさずオレは声をかけることにした。
「待ってくれ。足首を確認したほうが良いだろ」
「ありがと黒峰くん。でも大丈夫だから」
「いいから」
オレは座り込む星宮の前に跪き、捻挫したらしい右足に手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと! なにするの!?」
「靴脱がすんだよ。捻挫した部分が見えないだろ?」
「そうだけど! み、みんなが見てる前で……!」
慌てる星宮を見たカナが、周囲に集まっているクラスメイトたちを手でしっしと追いやる。カナの持つ支持力か影響力か、はたまた恐怖か。大人しくクラスメイトたちは下山を再開する。
「黒峰。アタシ、担任呼んでくるから……」
「あ、あぁ」
「これだけは言っておく。もし彩奈を泣かせたら、アタシの拳が壊れるまでアンタの顔面を殴るから」
こっちが泣いてしまいそうなほどの怖いセリフを吐いたカナは、小走りで山道を下り始めた。友達思いの不良ギャルということなんだろうか。
「じゃ、靴……脱がすぞ」
「……黒峰くんって、こういう時になると我を通してくるよね」
「そうか?」
「うん、陽乃さんの時もそうだったし……。普段は大人しくしてるか、ふざけるの二択なのにね」
「言われてみればそうだな」
あまり自分の行動について意識していなかったが、星宮に指摘されて素直に納得した。オレは星宮の運動靴を掴み、ゆっくりと脱がす。さらに白い靴下を脱がすべく手をかけたところで――「待って!」と声をかけられた。なんだと思い顔を上げると、頬を真っ赤にしてぷるぷると震える星宮が視界に映り込む。
どうやら恥じらっているらしい。
「さ、さすがにそれは恥ずかしいかも。汗、かいてるし……臭いだって……」
「大丈夫だ。オレは気にしない」
「あたしが気にするの! 自分で脱ぐから!」
「お、おう……」
よく考えなくてもそうだが、オレが脱がす必要はなかった。
「よいしょ……。内出血は、してないかな」
汚れのない白い靴下を脱ぎ、健康的な肌の足を確認する星宮。
その顔には少しばかりの安堵が広がっていた。
素人目だが、軽い捻挫だろう。安静にすればすぐ治りそうだ。
「でも痛いんだろ?」
「うん。でも歩けないほどではないよ」
「悪化するかもしれないから、あまり動かさないほうがいいだろ。少し待ってろ」
オレは背負っていたカバンを下ろし、中からコールドスプレーとテーピングテープを取り出した。
「準備いいね。どうしてそんな物を?」
「いつ陽乃が怪我してもいいように、備えていたんだ」
テーピングの練習は中学時代に済ませてある。そんなに難しいものではない。ネット見れば載っていた。ただコールドスプレーは気休め程度らしく、本当は氷がいいらしい。オレは星宮の細い足首を軽く持ち上げ、患部らしきところに数秒ほどコールドスプレーをかける。凍傷の恐れがあるので長く使えない。
スプレーをかけられている間、星宮は「んっっ!」と声を漏らし、足をピンと伸ばして小刻みに震えていた。
「星宮、自分で巻くか?」
オレはテーピングテープを手にとって見せる。
「巻き方わかんない……」
「じゃあオレがやるよ」
「ま、待って!」
「……なんだよ」
半ば呆れがちになって、焦る星宮に視線をやる。
なにやら口をモゴモゴさせてオレを上目遣いで見ていた。
「テーピングってことは……あたしの足を触るってことだよね?」
「当たり前だろ? 触らずに巻けるはずがない」
「……むり」
「……そんなにオレに触れられたくないのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど……恥ずかしい」
「じゃあ先生が来るの、待つか?」
「……」
悩んでいるのか、黙り込む星宮。
オレは坂道を見下ろして先を見るが、豆粒程度に小さくなったクラスメイトの後ろ姿しか見えなかった。まだカナは担任の下に辿り着いていないらしい。
……普通、先生は列の一番後ろに居るものでは? と思わなくもない。
まだ来るのに時間がかかりそうだろうか。
「応急処置は早めにした方がいいんだよな……。今から巻くけど少し我慢してくれよ」
「…………陽乃さんはいいの?」
「なんで陽乃の名前が出るんだよ」
「いや、その……」
「オレと陽乃は付き合ってないから。なにを考えているのか分からないけど、変に気を使わなくていい」
「……わかった」
星宮は小さく頷き、足をちょんと向けてきた。
普段見ることのない裸足、スベスベしてそうな足裏に、少しドキッとする。
一本一本の足指はふっくらしていながらも小さく、爪は綺麗に手入れされていた。今まで気にしていなかったのに、星宮が必要以上に恥ずかしがるので意識してしまう。
「く、黒峰くん?」
「あぁ、ごめん」
男とは違う丸みの帯びた綺麗な足裏を思わず凝視していた。これでは足フェチじゃないか。頭を振り、邪念を消したオレはテーピング方法を思い出しながら、星宮の足に触れてテープを巻いていく。
「ふ……ん、んっ……!」
星宮は固く目を閉じてぷるぷると羞恥に震えていた。気にせず素人なりにテーピングを進める。最後にもう一度コールドスプレーをかけて終了だ。
「終わったぞ」
「…………黒峰くん。ちゃんと春風さんの傍に居なきゃダメだよ」
「急になんだよ。今、陽乃は関係ないだろ」
「ある、あるよ……。二人は……お似合いなんだから」
「なあ星宮――――」
何かを諦めたようにか細い声を発する星宮。何を考えているのか尋ねようとしたところで、担任の「大丈夫かー」という声が後方から聞こえた。振り返り、カナと担任が山道を走っている姿を視界に収める。
…………星宮と話すチャンスを失ってしまった。オレと距離を置こうとする理由を知りたかったのにな……。ま、後で聞くチャンスはあるか。同棲していることだし。
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