第25話

 山のふもとにたどり着き、バスから降りる。空気は澄んでおり、緩い山道の左右には日差しの通った林が広がっている。ふもとの広場で先生方からの長話を聞かされた後、列に並んで山登り開始となった。一組から登って行き、次に二組、そしてオレたち三組の番となる。出席番号順の並びとなっていたが、既に列は乱れていた。各々が好きな者と固まって歩いている。

 つまり、オレのようなボッチは一人黙々と足を動かすことになるのだ。

 

 ふと頭を上げて前方を確認する。

 先頭付近で陽乃が女友達と楽しそうに喋っているのが見えた。……相変わらず友達が多いんだなぁ。次に星宮の姿を求めて後ろに振り返る。……いた。列の後方でギャルっぽい友達と一緒に居た。何やら楽しげに会話している。


「リークちゃん!」


 溌剌とした声をかけられ、顔を上げる。輝かしい笑顔を浮かべる幼馴染が目の前に居た。


「陽乃。どうしたんだ?」

「んーとね、リクちゃんと一緒に居たいなーと思って……。だめ?」


 こちらの機嫌をうかがうように、こっそりと上目遣いで尋ねる陽乃。


「もちろん。いいに決まってる」

「ほんと? 彩奈ちゃんが良かったな~とか思ってない?」

「思ってないって」

「ほんとにほんと? うわ、めんどくさい奴に絡まれた~とか思ってない?」

「思ってないし、もうこのやり取りがめんどくさい」

「うぐっ! 胸にグサッと来たよぉ……」


 陽乃がわざとらしく落ち込んで見せる。

 横を通り過ぎていくクラスメイトたちが訝しげにオレを見てきた。


「……とりあえず歩こうか」


 そう陽乃に促し、並んで歩き始める。程なくしてタイミングを見計らったように陽乃が口を開いた。頬は薄く朱に染まっており、絞り出すように声を発する。


「り、リクちゃんの答えを待つつもりでいるんだけどね……やっぱり傍に居たい」

「陽乃……」

「寝る前に電話してリクちゃんの声を聞きたいけど、彩奈ちゃんと楽しく会話していたら申し訳ないなーと思って…………でも、そんなことを考えていると段々ムカムカしてきて……」


 オレの目から視線を逸らし、陽乃はぷくぅと頬を膨らませる。拗ねてしまった。


「お風呂、彩奈ちゃんと一緒に入ってるの?」

「そ、そんなわけないだろ! いきなりなんだよ!」

「でも彩奈ちゃん似のエロ本を持っていたんでしょ?」

「それは――――なんで知ってるの?」

「この間、彩奈ちゃんと連絡先交換して、教えてもらった」

「まじか……」


 いつのまに。オレが知らないところで彼女たちは親交を深めているらしい。なんか微妙に気まずい。ちなみにエロ本は星宮から返してもらい、オレの家に保管しておいた。


「おい黒峰ー。なにしてんの」


 後ろから追いついてきたらしい。剣吞な雰囲気を漂わせる星宮の友達が、オレにジロリとした目つきを向けてきた。確か星宮から『カナ』と呼ばれていたか。ギャルというよりは不良に近い女子だ。そのカナの後ろには、申し訳なさそうに身を縮こまらせる星宮の姿があった。


「ちょ、ちょっとカナ。黒峰くんたちの邪魔をしたら悪いよ」

「はー? なんで彩奈が気を遣ってんの? 黒峰の方がおかしいじゃん」

「おかしいってなにが?」


 咄嗟に聞いてしまったことを後悔する。明らかな怒気を孕ませた目をカナが向けてきたからだ。今すぐ殴ってきそうな危なさを漂わせている。


「最初は春風にくっついてたくせに、急に彩奈と仲良くなってさ。んで、また春風にくっついたわけ? なに考えてんのアンタ。アタシの親友を弄んでるんだったら、容赦しねえぞ」

「カナ! ほんと、そういうのじゃないから……」


 オレに詰め寄ろうとしたカナを見て、星宮はカナの右腕を強く掴むことで制止させる。もし星宮が止めなかったら、カナはオレの胸倉を掴むくらいはしていたかもしれない。それほどの怒りを感じた。


「彩奈、こういう時くらいは怒るべきだってば」

「…………違うの、本当に違うの……」

「何が違うっていうの」

「ごめん、詳しくは言えない……。でも、いいの」


 ちら、とオレの顔を一瞥した星宮は、カナの腕を掴んだまま逃げるようにして歩き始めた。カナは不満そうな空気を隠さなかったが、仕方なさそうに星宮に連れて行かれる。

 おそらく星宮はオレとの関係をカナに教えていないのだろう。事情が分からないカナからすれば納得がいかないのも理解できる。あの様子だと同棲していることも伏せていそうだ。

 それにしても何だか星宮はオレを避けているような気がするぞ。陽乃を星宮の家に泊めたあの日から、どことなく星宮は遠慮がちになっている気がする。……なんだ?



 〇



 爽やかな空気を身に感じながら、なだらかな山道を歩き続ける。

 それほど辛い道のりではなく、帰宅部のオレでも苦労なく頂上に辿り着いた。山頂の広場はかなり広く、ベンチや東屋が設置されている。頭上を見上げれば、思わず目を見開くような青空が視界に映り込んだ。びゅーっと風が吹いて全身を撫でる。気持ちいい……。


「リクちゃん。クラス毎に集まるみたいだよ」


 陽乃に話しかけられ、担任の下に移動する。ほどなくしてクラスメイトたちも集合し、担任の話が始まった。

 これから昼食の時間らしい。範囲は山頂の広場内、自由行動となる。他のクラスも既に自由行動になっており、各々がグループを形成して動き始めていた。


「リクちゃん、私と一緒に食べよ!」


 陽乃と広場の隅に行き、背負っていたカバンからレジャーシートを取り出して地面に敷く。風で吹き飛ばされそうになり、慌てて腰を下ろした。


「なんか小学校の遠足みたいだな」

「だねー、小さい頃を思い出すかも。だけど楽しいからアリだよ!」


 陽乃は満面の笑みを浮かべた。なにをするにしても楽しそうな幼馴染に、オレはいつも元気を貰っていた気がする。近くで笑っている陽乃がいれば、結果的に何でも楽しくなっていた。


「リクちゃん。ちゃんとお弁当持ってきてる?」

「ああ。忘れてない」


 カバンからオレンジ色の布に包まれた四角形の弁当箱を取り出した。

 これはオレの弁当箱ではない。星宮の私物だ。中に入っているおかずは星宮の手によって作られたもの。手作り弁当だ。最初、オレは星宮の負担を考慮して断ったのだが、『自分の分を作るついでだから。気にしないで』と押し切られてしまった。


「もしかして、彩奈ちゃんに作ってもらった?」

「……はい」


 気まずい気持ちの中、ボソッと返事する。

 陽乃は自ら『独占欲が強く、嫉妬深い女の子』と言っていた。

 なので、どういう反応するのかと怯えていたのだが、陽乃は「そう」とだけ答え、平然としていた。表情からはなにも気にしていないように見える。オレは弁当箱を包む布をほどき、蓋を開けた。


「う、うまそうだな……」

 

 そう呟かずにはいられなかった。

 中身はウインナーや卵焼き、サラダにポテトといったスタンダードなものだが、色合いは綺麗で見栄えが整えられている。ただ詰め込むだけではなく、味や見た目にも気を配っているのが分かった。


「わぁー美味しそうだね。さすが彩奈ちゃん、家庭的な一面もあるんだ」


 陽乃が覗き込み、感心する。


「彩奈ちゃん凄いよね。一人暮らしなだけあって、料理も上手だよ」


 どうやら素直に褒めているらしい。独占欲全開からの嫉妬ムーブが来ると思っていたので、ホッと安堵する。


「オレが聞くのもおかしいけど……気にしないのか?」

「ん、なにを?」

「その、オレと星宮の関係について……」

「んー、相手は彩奈ちゃんだからねー。もちろん思うところはあるけど、彩奈ちゃんが居なければ今の私たちは存在しなかったわけだし……」


 その通りだと思う。


「彩奈ちゃんは凄く優しい女の子だよ。だからリクちゃんの答えを待とうって思ったの」

「そっか……」

「あ、でもね。もしリクちゃんが、彩奈ちゃん以外の女子にちょっかい出したら本気で怒るから。話すのもなるべく控えてね」

「わかっ――――え?」

「んーおいしー」


 自分の弁当箱から卵焼きを食し、幸せそうに頬を緩ませている。……まあいいか。さりげに話すのも禁止された気がするが、元々オレは女子と交流を持たない(モテない)男だ。なにも問題ない。


「うまっ。やっぱ星宮、料理が上手だな」

 

 焼き加減が絶妙な卵焼きを咀嚼し、堪能する。これ一つで力量が分かるぞ。

 一緒に暮らしているので、星宮の手料理を食べる機会は何度かあった。

 その腕前を知っているつもりでいたが、改めて実感する。


「そういえば、どうして彩奈ちゃんは一人暮らしなの?」

「両親が仕事で居ないらしい」

「そうなんだ……」

「それがどうかしたのか?」

「…………ううん、何もない。偶然だよね…………」

「偶然?」

「リクちゃん。中学生の時、何か覚えてることある?」


 中学時代の思い出と言えば、家族が跳ね飛ばされたシーンと陽乃との日常だけだ。それ以外に特別思い出せることはない。


「これといったことはとくに……。ごめん質問の意味がわからない」

「あ、あーあはは……。ごめんねリクちゃん。気にしないで!」


 陽乃は首を横に振り、手に持った箸を弁当箱に向かわせる。それっきり、話が止まった。……なんなんだ? 

 少し気になったものの、オレは星宮の手作り弁当を堪能することにした。

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