第10話

 ――――完全に、警戒されている。


 星宮は風呂から上がってくるなり、露骨にオレから距離を置いていた。

 風呂に入る前からもそうだったのだが、上がってからは目すら合わせてくれない。

 むしろオレに見られるのを恥ずかしそうにして身を縮こまらせている。同じ空間に居ることに罪悪感を覚えたオレは、しばらくトイレに隠れていた。しかしそんな時間が続くわけもなく、迎えた就寝時間。


「…………」


 オレが部屋に戻ると星宮はベッドの上でちんまりと女の子座りしていた。

 ピンク色のパジャマは可愛らしく、下ろした髪は普段のギャル姿と違って新鮮に感じる。そんなふうに星宮を見ていたオレは、部屋の変化に気が付いた。


「……あの、これは?」

「…………」


 尋ねてみたが無言だった。

 部屋に、仕切りができていたのだ。中央を横切るように小物が並んで置かれている。国境か?


「えーと、ここから先は入るなってこと?」

「…………」


 オレから顔を背けたまま星宮は小さく頷いた。


「正しい反応とは思うけど、なぜ今さら?」

「…………」

「やっぱり今日のことか?」

「…………」

「…………」


 返事が……返事が貰えない!

 星宮はオレに背中を向けて、シーツを指先で弄っている。なんだろ、すごいショックだ。急によそよそしくなったのはダメージがでかい。


「寝顔……」

「え?」

「寝顔、見られるの……恥ずかしいし……」

「……」


 今まで気にしてなかったじゃん……。


「寝る時だけだから……」

「……わかった。なんか色々、ごめん」


 家主に逆らうことはできない。オレは小さな国境をまたいでベッドとは反対のエリアに移動する。壁際に腰を下ろし、気持ち寂しく体育座りをした。


「星宮。今日のことは本当に悪かったと思ってる」

「……うん」


 返事はしてくれたが、未だに背中を向けられた状態だ。


「けど、オレが怖いなら正直に言ってくれ。オレは出ていくから」

「そ、そんなことないよ! そういうわけじゃなくて……!」


 声を荒げた星宮が勢いよく振り返った。なぜか顔が真っ赤である。


「星宮?」

「え、えと……自分でもよく分かんないというか……なんだろ……。あはは」

「無理しなくていいぞ。今日からオレ、玄関で寝るよ」


 そう言いながらオレが立ち上がると、星宮は「待って!」と叫びながらベッドから身を乗り出してきた。

 その動きでベッドの縁に置いていた星宮のスマホが跳ねてしまい、床にガンッと落下してしまう。

 さらにバウンドしてベッドの下に潜り込んだ。


「あっ」


 星宮がスマホを拾うためにベッドの下に手を伸ばす。

 あそこは――――まずい。


「待ってくれ星宮!」

「……え? なんかスマホ以外に……ある?」


 星宮が首を傾げながら取り出したのはスマホではなく、一冊の本だった。

 その本は、かつて門戸さんから押し付けられた最低最悪の……エロ本である。


「……な、なにこれ……なにこれなにこれ!」

「あ、ちょ、それは」

「うっそ! これエロ本じゃん! しかもあたしに似てるんだけど、この子!」

「あー……」


 星宮は表紙を見て愕然とする。そのくせして本から視線を逸らすことはしない。


「これ、黒峰くんのだよね!? サイテー!」

「い、いや……違うんだ。話を聞いてくれ」

「どこにエロ本隠してんの! もっと他に場所はなかったの!?」 

「エロ本の隠し場所といえばベッドの下だろ?」

「それは少し分かるけど! でも女の子が寝るベッドの下に隠すのはおかしくないかなぁ!?」 

「おっしゃるとおりです。でもな、オレもどうしたらいいか分からなかったんだ……!」


 想像してみてほしい。いきなりエロ本を渡された衝撃を。誰だってテンパる。 


「そもそもエロ本持ってくるのが変だよ!」 

「ちょっと待ってくれ! オレのエロ本じゃないぞ!」

「じゃあ誰の!」 

「門戸さんの」 

「……確かに千春さんはそういう漫画を描いてるけど…………けど! 出会ったばかりの人にエロ本を渡す女性なんて居るわけないじゃん!」

「居たんだよ。隣の部屋に居たんだよ……!」


 オレは拳を握りしめながら力強く訴える。

 やつは……もんもんは、普通じゃない……!


「分かるよ? 黒峰くんも男の子だし、こういうのに興味があるのは……」

「理解を示されてもなぁ。それ、門戸さんから押し付けられただけだし」

「じゃあ興味ないの? 今から捨ててもいい?」

「…………」

「黙っちゃった! やっぱり興味あるじゃん!」

「……捨てるのはもったいなくない?」

「つまり、このエロ本が大事なんだねー」

「あ、いや。物を大事にする精神があるだけで――――」

「スケベな男の子は玄関で寝てください!」

 


 ◯



 というわけでオレは玄関で寝ることになってしまった。

 いきなり抱きつく+エロ本を所持した罪は重い。

 今度こそ星宮に嫌われただろうか。


「なんてこった……っ!」


 うぉおおお、もんもん、このこと恨むぞー! 

 そして、エロ本を捨てられなかった昨日のオレ、一生恨むぞー!!

 心の中でヤケクソ気味に叫んだオレは、床に毛布を敷いて横になる。

 夏が近づいているとはいえ、玄関は少し肌寒い。


「……ま、いいや」


 さすがに風邪を引くほどの寒さではないだろう。

 オレは体を丸めて瞼を閉じた。


 ……。

 …………?


 どれくらい寝ていたのか。

 体感としては深夜に目覚めたような感じだ。


「……黒峰くん……」

「……?」


 星宮のささやくような小さな声が聞こえる。

 頬にツンツンと突かれているような感覚がした。


「その、どう接したらいいか分からなくて……。ごめんね。自分でも上手く整理できなくて……本当に玄関に追いやっちゃうなんて……」


 それはオレに語りかけているようで、独り言にも聞こえた。

 少なくともオレを起こすつもりで話しかけているのではない。

 なんとなく返事する気もせず、目を閉じておく。


「黒峰くん? 寒いの?」

「……」


 寒い。よし、たった今起きたノリで目を覚まそう。そして星宮に謝って部屋に入れてもらおう。実行に移そうとした時、バサッと柔らかい布を体にかけられるのを感じた。


「ごめんね、黒峰くん」


 その言葉が最後だったらしい。人の気配が離れていくのを感じる。

 星宮は本当に優しい人だな。いきなり抱きつかれたり、自分にそっくりの女性が映ったエロ本をベッドの下に保管されても、こうして気にかけてくれる。むしろ怒ってしまった自分を責めているようにも感じられた。


「もう変なことはしない……。命の恩人、星宮を守ろう」


 口に出すことで決意を固める。それに命の恩人関係なく、星宮のような人には常に笑っていられるような平和な人生を送ってほしい。

 ………………。

 こんなに強く、誰かのために頑張ろうと思ったのは初めてかもしれない。

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