第4話

 女子の家でシャワーを浴びるというドキドキイベントを終えたオレは、脱衣所で星宮のお父さんが着ていたという紺色のジャージに着替えていた。

 意外といい匂いがする。おっさん臭くない。ずっとタンスの奥にしまっていたような匂いだ(カビの匂い?)。

 頭を拭き終えたオレは、洗面所から出て星宮の居る部屋に戻る。


「お風呂ありがとう」

「うん。テーブルにご飯用意してるからね~」


 見るとカルボナーラが置かれており、腹を空かせるいい匂いが漂っていた。まさか……星宮の手作りか? 

 やばい、どうしよう。女子の手作り料理を食べられるというドキドキイベントに心が躍る。いやいや、待て待て。 オレには幼馴染という心に決めた女の子が――――と思ったけど既に振られた後だった。……誰か殺してくれ。


「これ、すごく美味しいんだよ。コンビニでも人気の品なんだから」

「……」


 ……手作り料理じゃなかった。しかし星宮が購入してチンしたのだから、星宮の手作り料理と呼べるのでは?……呼べないな、うん。


「じゃああたし、お風呂に入ってくるね」


 テーブルの脇に腰を下ろしたオレに声をかけ、星宮は衣服を手に部屋から出ていく。

 え、風呂? 風呂、入るの?

 入るのは当たり前なんだけど、ここに男子居るぜ?それも彼氏でも何でもない男子。クラスメイトなのに、今まで会話をしたことがなかった程度の関係ですよ?

 ザーッ。

 程なくして、シャワーの音が聞こえて来た。


「…………ま、飯食うか」


 意識しても仕方ない。というより腹ペコ。

 死なないと決めた安堵感からか、気持ちに余裕が生まれつつあった。

 ピンポーン。

 フォークを手にした直後、部屋内に呼び鈴の音が鳴り響く。

 来客か、こんな時間に。

 

「どうしようかな……」


 オレが出てもいいのだろうか。

 星宮の知り合いだったら面倒なことになる。かといって無視もできない。

 なら星宮を呼びに行くか?


「いやいや、無理だって。お風呂中の女子のとこに行けるわけないって」


 ピンポーン。

 再び鳴らされる。

 ……すまない、また今度来てくれ。

 今のオレにはどうすることもできないんだ……。


 ピンポーン。

 ピンポーン。

 ピンピンピンポーン。

 ピーンポーン。ピンピンピンピンポーン。


「うるせっ!」 


 めちゃくちゃ鳴らしてくるじゃん!

 いや、それだけ急ぎの用事なのかもしれない。

 くそ、もう出るしかないか。

 覚悟を決めたオレは玄関に向かい、ゆっくりとドアを開ける。


「彩奈ちゃん! ――――だれ?」


 そこに居たのは、肩辺りまで髪を伸ばした綺麗な女性だった。

 見たところ年齢は大学生……を少し超えたくらい、か?

 ダボッとしたシャツに、短パンを穿いている。部屋着だな。

 顔立ちは綺麗に整っていて、美人と呼べるだろう。

 まとめると彼女のイメージは、美人の真面目そうなお姉さんだ。


「えと、オレは黒峰リクです」

「ここ、彩奈ちゃんの部屋なんだけど……あ、ひょっとして彼氏?」

「いや違いますよ」

「じゃあ誰! え、不審者?」

「不審者に見えますか? え、こんな人畜無害みたいな見た目をしているのに? オレは星宮のクラスメイトです」

「ふぅん」


 どこか怪しむような目つきで、オレの頭から足先を眺める謎の美人お姉さん。すげぇ居心地が悪い。


「んで。どうしてクラスメイトが、こんな時間まで女の子の部屋に居るの?」

「それは……オレ、家出しているんですよ」

「家出?」


 思わずウソをついてしまう。

 こうなったら続けるしかない。


「はい。ちょっと家族と喧嘩して……やけくそになって山にまで来たんです。それでコンビニに寄ったら偶然星宮と会って、家に泊めてもらえることになったんです」

「へー。彩奈ちゃん、相変わらずお人好しだなー。警戒心なさすぎ」

「そうっすね」

「……やっぱり、アレしちゃう気?」

「は?」


 ニヤッと笑みを浮かべる謎の女性。


「アレと言えばアレでしょ、アレ。健全な男女が一つ屋根の下……何も起こらないわけがないでしょうよ!」

「なんか急にキャラが変わったっすね」


 最初は良い感じのお姉さんだったのに、今は漲るハイテンションお姉さんみたいになっていた。

 なんか変態の匂いがする。

 ……いや、決めつけるには早いな。


「あ、私の名前は門戸千春。職業はエロ漫画家です!」


 めっちゃいい笑顔で胸を張って言うじゃん。いや自分の仕事を誇りに思うのは素晴らしいことだ。

 どんな職業であれ。


「リクくん。気軽に私のことを『もんもんちゃん』て呼んでねー」

「……やらしい意味に聞こえるのはオレの考えすぎですか?」

「え? エロ漫画家のもんもんちゃんが悶々してるって? やだもう、リクくんのすけべ~」

「よし分かった貴方は変態だな」


 門戸だから、もんもん。

 そしてエロ漫画家……。

 うん、まずいだろ。色々な意味で。

 しかも普通にオレのことを名前で呼んでいる。距離が初っ端から近い。


「ねね、すこーし相談があるんだけどさ」

「なんすか」

「アレをやるときは、なるべく壁に寄ってくんない? 私、隣の部屋だからさ」

「はぁ……アレってなんすか」

「それはセッ――――」

「いい! 言わなくていいです」


 セッの時点で全てを察した。アレの時点で気づくべきだったと後悔。

 やべえ、この人、コンビニ強盗より手強い。


「家出男子とギャルが一つ屋根の下で織りなす純愛ストーリー。そして最後には……あ、やばい、閃いた。ストーリーのネタ、思いついちゃった。ごめんリクくん、家に帰るわ!」

「貴方、ほんと何しにきたんですか……」

「ん~? 久々に彩奈ちゃんの叫び声が聞こえたから様子見に来たんだよ。んじゃね~」


 軽く手を振り、門戸千春さんは隣の部屋に姿を消した。

 半端ねえ、嵐みたいな人だ。

 コンビニ強盗を正面から捻じ伏せたこのオレを、こうも簡単に振り回すとはな……!


「…………カルボナーラ、食うか。冷めちまうわ」


 あのお姉さんのことは、あまり深く考えないでおこう。

 もう会わないだろうし(そうであってくれ)。



 ◯



「それは大変だったねー。千春さん、結構クセがすごい人だったでしょ?」

「すごいどころかぶっ飛んでる。あの短い間に強烈なインパクトを残してくれた」


 風呂上がりの星宮が「あはは……」と苦笑をこぼす。

 今の星宮はピンク色のパジャマを着ていた。頬にベッタリと貼り付いていた涙の跡も消え去り、ドライヤーでしっかりと乾かされた髪の毛は艶を帯びて照明を反射している。


「ごめんね。彼氏と勘違いされて嫌だったでしょ?」

「嫌ではなかったけどな。少し驚いた」


 星宮には門戸さんと何を話したのか伝えている。

 と言っても、アレの下りは伝えていない。伝えられるわけがない。


「さて黒峰くん」

「はい星宮さん」


 改まるオレたち。星宮はベッドの上で正座している。オレは床で正座した。


「どこで……寝る?」

「玄関――――はダメなんだよな。じゃあオレはここで寝るよ」

「ここって……床?」

「うん」

「体、痛くならない?」

「大丈夫だろ、これくらいなら」

「……分かった。でも無理しないでね」

「おう」


 星宮は「じゃあ明かり、消すね」と言いながら部屋の照明を消した。部屋内は暗闇に包まれる。


「おやすみ、黒峰くん」

「おやすみ星宮」


 布団をかぶる音を耳にする。

 ぼんやりとした暗闇の中、星宮が横になる輪郭が見えた。

 ……オレも寝るか。

 ごろん、と床に寝そべる。思ったより背中が痛いかも知れない。

 まあ大丈夫だ。とある暗殺者や殺し屋が、浴槽で寝ているのを漫画で見たことがある。なら床で寝るくらい問題ないだろう。


「…………」


 まさか星宮と同じ部屋で寝ることになるなんてなぁ。

 あぁ、幼馴染になんて言い訳しよう。

 いや、言い訳の必要はないのか。

 もう振られた後だし。


「……」


 明日から、どうしようかな。

 幼馴染と顔を合わせることになるのは絶対だ。

 オレ、どんな顔をしていればいいんだろう。

 これはオレの予想に過ぎないが、あの幼馴染のことだから……いつものように普通に接してくる気がする。

 そう考えると、何だか悔しくなってきたぞ。


「すぅ……すぅ」


 安らかな寝息が聞こえてくる。

 寝るの早いな。

 オレもさっさと寝よう。

 今、うだうだ考えても仕方ない。

 もし幼馴染が何食わぬ顔で「おっはよー!」と挨拶してきたら、「うるせえ! この思わせぶり女め!」とキレてやるか。

 うん、そうしよう。

 と、できるはずもない計画を企てながら、意識が徐々に薄れていくのだった。

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