愛された淑女

洗脳済み捕虜

愛された淑女

ハルミの恋愛は、またしても短い期間で幕引きを迎えた


2週間前出会った相手は大手ゼネコンの社長で、いわゆるお金持ちであり

彼からの突然のプロポーズを受けたハルミは、

何度人生を繰り返しても、なかなか巡り合えぬと思われる幸運に、

それはもう舞い上がるほどに喜んだ


しかし、そのうちに

この社長は、遊びとして他にも何人もの女と交際していることがわかり、

しかも、関係がバレても、誰とも別れることもせず

「愛しているのはあなただけだ」などと、ふざけたことを宣うので


ハルミは、

この男は金を持っているというだけで傲慢になり、

品位のかけらも持ち合わせてはいないのだ

私が老いれば、きっと若い女ばかりで、こちらに見向きもしなくなる

ここで結婚を決めるより次を探したほうが賢明だ、

と判断し、さっさと別れてしまったのだった。

別に、金持ちでなくてもよい、とも思った


しかしながら、ハルミは焦っていた

ハルミは自他共に認めるほどの美女であったが、

20代半ばを過ぎて内心追い詰められていたのだ。


運命の相手を見つけるのは並大抵のことではない

自分に寄って来る男が、

純粋に好意を持っているのか、

不純に行為をしたいだけなのか、心の中はわからないのだ

まずは、一生を共にできるくらい魅力的な相手を探し出さねばならない

その相手が未婚であり、尚且つ自分のことを好きになり、

一生裏切らず、人生を幸せで彩ることができる確率は

それこそ宝くじに当たるくらいのレベルで稀なことである気さえした。


半ばヤケになり、

コンビニで買った安酒と焼きプリンを口の中に押し込んで

ハルミはベッドに寝転がった

眼下に広がる無数のゴミを眺めながらついて出た溜息が

より一層悲壮感を醸し出していた


「悩んでますなぁ、お嬢さん」


突然頭上から声がして、

ハルミは飛び上がりそうなほどに驚いた


全身毛むくじゃらで、その姿に似合わぬ背広をきつそうに身に着けて

大きな口が、邪悪な笑みのせいで耳まで裂けたようになった異形が

ハルミの部屋の天井に張り付いていた。


ハルミは恐怖で顔を強張らせながらも、声を絞り出した

「ひぃっ…あ、あなたは何なの?」

どう見ても人間には見えなかった


「そうですなぁ、人間たちには悪魔だの妖怪だの言われておりますよ、

まぁ、一目ぼれってやつでしてな、美しいあなたのことを気に入ってしまいましてね、

参上した次第でございますよ、吾輩のことは、悪魔とでも呼んでください。」


悪魔は金色の目をバチバチさせながらお辞儀をしてみせた


「うぅぅ…」

突然のことに、ハルミが思わず泣き出してしまうと悪魔は慌てて

「お嬢さん!、吾輩は悪魔なんて言われてますがな、悩みを解消したり、運命を変えたり、お客様のお願いを叶える仕事をしておりますよ。そんなに怖い奴ではありません。安心なさい、取って食うなんてことは致しませんよ」

と早口で捲し立てた。


「……願いを叶えてくれるの?」

ハルミが少し落ち着いて聞き返すと、悪魔はニコリと笑ってこう答えた

「まぁ、神様のように、なんでもかんでもというわけではありませんな、

契約というものがございます。願いを叶える代わりに見返りの品をいただくのです。

貴方の運命の方をきっと見つけて差し上げますよ、そして、見返りに吾輩が頂きたいものは、魂でございます」


ハルミは仰天して、またしても泣きそうになりながら

「嫌よ、魂なんて!私は死にたくない!契約なんてしない!」

こんなふうに言い放った


すると悪魔は一瞬怪訝そうな顔をして

「誰があなたの命なんて言いましたか、実のところ将来ね、

お嬢さんは4人の子供を産む運命なんですな、

そのうちの一人を妊娠の前に、魂だけ頂きたいのでございます。

つまり、あなたは、あなたを心から愛する男と出会えます、

そして、いずれ3人のお子様を育みまして、

それはそれは幸せになれる、というプランを吾輩は持ってきたわけですな。」

と自信ありげな様子で語りはじめた


ハルミはどうするべきか悩んだが、

育てた子供を目の前で殺されるわけでもなく、

むしろ4人なんていらなかった上に

確実に自分を愛してくれる相手を紹介してもらえる、

またとないチャンスであると感じた。



そしてハルミは悪魔と契約を交わした



契約書:ハルミ殿を一生涯愛する男を見つけます。

成功報酬として、将来産まれるはずだった子の魂を頂戴いたします



そして、悪魔の指図通りにハルミは寂れた商店街に来たのだった

普段は立ち入ることなど皆無のシニア世代向けの喫茶店で、

アールグレイの紅茶とルバーブのパイを注文して待っていると


「お待たせいたしました」

肌の綺麗で線の細い可愛らしい笑顔のアルバイトの青年がやってきた


目と目が合い、二人はすぐに恋に落ちた



青年は、喫茶店で老夫婦の下で働いていたが、

低賃金でのアルバイトであった為、ハルミを養う余裕が無かった

そして、貧乏から脱却し、ハルミのような美人を幸せにするためには

とても大きく成功するしかないと思った


修行して自分の店を持とう、そして一流のパティシエとして有名になろう

ハルミさえいれば俺は頑張れる、どんなハードルも超えていける

君は、俺に夢とモチベーションを与えてくれたんだ

愛している


一方ハルミのほうはすぐに冷めてしまった

大成功をおさめる者がほんの一握りだということを彼女は知っており

青年の努力は、おそらく徒労となるだろうと思ってしまったのだ

運良く成功できたとしても、おそらく10数年先になるであろう

そして、自分はこれから3人の子供を産む運命だ

苦労する未来しか見えなかった

大きく成功しなくていい、そんなに多くを求めてはいない、と彼に言っても、

彼は、自分がつまらぬ男であれば、きっとハルミを誰かに取られてしまう

とでも思っているのか、聞く耳をもたない


出会ってから2週間が過ぎていた

ハルミは溜息をついた


「悩みは尽きませんなぁ、お嬢さん」


天井からぶら下がった悪魔がハルミの顔を覗き込んだ


「悪魔さん、彼はね、私の言うことに耳をちっとも貸してくれないのよ、大成功することを夢見るばかりでね」


ハルミが悪態をつくと、悪魔が苦笑いして答えた

「言うことを聞くばかりが愛ではないということでしょうな、彼の愛とあなたとの相性が悪かったというだけのことです。彼が嫌ならばもう一度、吾輩のサービスを利用してはいかがですかな?まぁ、子供は2人に減ってしまいますが」


「そうね、今の日本で子供3人は多いわね、せいぜい1人か2人よ、

もっと私のことを言うことを聞いてくれて、もっと愛してくれる人がいいわ」




次の男とは、ビリヤード場で出会った


相手は一回り以上年上の恰幅の良いヒゲを蓄えた男で、

紳士的な印象の男であった

話せばユニークな話題に事欠かず、持ち物のセンスも良い

二人は他愛もない話で、

自然と何時間も話をしていることに気付き、お互いに驚いた

間も無く恋が生まれた


ヒゲの男はなんでもハルミの言うことをうんうん、と聞いた

そして、掃除、洗濯、料理、裁縫、すべてをやってのけた

そのうちに、ハルミの進路上の扉を開くのも、

排泄して汚れた可愛らしい尻を拭くのも、

美しい足に靴を履かせるのも、

自慢の料理をスプーンで皿からあの桜色の唇に運ぶことも、

全ての事柄やってあげようと心に決めていた


お姫様、なんでも言うことを聞いてあげる

君の手を煩わせるものすべてから、君を解放してあげよう

君は僕だけに頼るんだ、僕が君のすべてになろう

愛している


一方、ハルミのほうは、男に気味の悪さを感じ

すでに愛はひとかけらも残ってはいなかった

きっとこの男は、誰に頼ることもなく、なんだってできるし

私が居なくなったところで、他の愛しいお人形役を見つけて

きっと、おなじようにするだろう

人間として当然の支えあいというものが全く感じられない

私が産む2人の子供も同じようにこいつの愛玩人形になるのであろうか

はたまた、この男とおなじような気色の悪い従者に育つのだろうか


出会ってから2週間が過ぎていた

ハルミは溜息をついた


「おやおや、まだご満足いただけないとは」


いつもの声にハルミが顔を上げると

悪魔がカーテンレールに絡まりながら、ニコニコ微笑んでいた


「悪魔さん、彼はね私をお人形のように扱うのよ、

言うことを聞いているようで、逆に私を支配しているようなの、

気持ち悪いのよ耐えられない」


ハルミの訴えに、悪魔は目をパチクリさせて言った

「ここまでの愛はなかなか得られないものですよお嬢さん、お気に召さないのであれば致し方ない、また吾輩の力が必要ですかな?しかし、気を付けてくださいな、次を探せば、子供の数はたった1人ですよ」



「ちゃんと私が何を感じているのかを考えてくれる人がいいの、

私の見た目も中身も全部愛してくれる人がいいのよ」


次の男とは、明け方の海岸で出会った


美しい景色を見るのが好きなのだと言って、

屈託なく笑うその男は、とても凛々しい顔立ちで

ガッシリとした体格の好青年であった

他に誰もいない場所での、突然の出会いも相まって


二人はすぐに恋に落ちた



このガッシリとした好青年は、

ハルミを鉄格子付きの部屋に閉じ込めた

そして、事あるごとにハルミを殴り、罵り、笑った

耐えきれずハルミが泣き出すと、可哀そうにと抱擁をした

毎晩、ハルミを縛り上げ天井に吊るしては、

なんと素晴らしい光景であろうかと歓喜の涙を流した

ハルミにできる夥しい傷は、全て、この男の舌で癒すこととなった


たくさんの君が見たいんだ、きらめく涙も、血も、尿も、

傷ついた姿も、恥ずかしい姿も、汚れた姿も、見たいんだ

是非とも、嫌悪しておくれ、恨んでおくれ、軽蔑しておくれ

君の全ての感情の向かう先が私になる、

君の心は全て私のものだ、なんて素晴らしいのだろう

愛している



ハルミは、当然のことながら、逃げ出したいと願っていた

しかし、頭が働かない

思考をしようにも、男の声や動作が目の奥にチラついて

どうにもならなくなってきていた

しかし、このままであれば屈折した愛を、一生受け続けることになる、

そして、この男との間に子供まで産まれてしまう


出会ってから2週間が過ぎていた

ハルミは天井から吊るされながら

震えながら小さく溜息をついた


「これは、なんとも難儀なものですな、前回より一層支配されてしまうとは」


ハルミが吊るされた高さと、悪魔がぶら下がった高さとが一致し

真逆の表情をした二人の視線がかち合った


「結婚して、子供を産んで、人並みに幸せになりたいのよ」

ハルミの目から涙が零れた


すると、悪魔は目を見開いて

「でもねお嬢さん、あなたにはもう選択肢が無いのでございます。この暴力男の愛は深い、絶対にあなたを逃がさないでしょうな、この男と結ばれ子を成すしか道はありませんな」

と呆れた口調で言った


ハルミはしばらく唸って、曇った頭の中で必死に考え、引き絞るように声を出した

「こんなところに居るのは嫌なの、残りの子供の魂を捧げるから…私をこの男から逃がしてちょうだい」


「簡単な願いです、さぁお逃げください」

悪魔が微笑みながら、頭上に手を翳すと

ハルミは隣県の知らないアパートの一室に居た


悪魔は

「ここが今日からあなたの家です。家賃も間取りも似たものを選びました」

とハルミに優し気に声をかけた

家財の移動や転居手続き等の諸々も一瞬にして済まされていた


「もう紹介はできませんし、子供も望めませぬが…、吾輩は応援しております、見守っています、あなたの幸せの未来を誰より祈っております。では…また…」


悪魔がさよならの挨拶をしても、ハルミは何も答えなかった




ハルミは体以上に心に傷を負っていた


仕事をすることも趣味を楽しむこともできず

過去の男に恨まれ追われ閉じ込められる夢や

魂を奪われた子供たちが血の涙を流しながら

呪いの言葉を投げかけてくる悪夢に苦しんだ

ストレスで髪は抜け、舌は味を失い

肌は艶を失い、目は落ち窪んだ


そのうち、入院することとなり

彼女は更にやせ衰えたが

そんな時に最後の恋が訪れた

それは、その病院に勤める一人の雇われ医者であった


ハルミは自分の過去の過ちや、悔しさや悲しさ

悪魔への怒りや、もう子供を望めない絶望を

全てその医者にぶつけた


医者は彼女に深く同情し、共に涙を流した


彼は優しい、彼はわかってくれる、彼が好き


医者は既婚者であったが

彼女を幸せにしたいと心から思った

しかし、彼女にはもう子を成す能力が無く

常に過去の恐怖の記憶に苛まれていた

美しさも意欲も味覚さえも失った彼女が

これからの未来で、世の理不尽に耐えられるはずもない


君をこの世の苦痛から解放してあげようね

愛しているよ


医者が点滴に今まで見たことのない大量の薬剤を投入するのを見て

ハルミは喉の奥から沸きあがるような絶望の叫喚を上げた


その刹那、空気がゾル状の粘液のように重くなり

時計の針も、医者も、点滴の中の薬液も、動きを止めた


「こんにちは、お嬢さん」

悪魔が医者の後ろからひょっこり顔を出した


「何?助…けてく…れるの?」

ハルミが声を振り絞った


「これからの道は、お嬢さんに選んでいただきますよ、このまま医者の愛を受け入れ死ぬか、あなた自身の魂を捧げて頂き、吾輩と永遠の時を寄り添って過ごすかのどちらかになりますな。吾輩もあなたを愛する者のうちの1人でございます。あなたの子供達の魂も一緒ですよ。さぁさぁ、地獄の焔で共に焼かれましょうぞ」


なるほど、とハルミは全てを理解した

最初から、この悪魔は自分が目当てだったのだ。



「誰がお前なんかと過ごすか」



時が流れ始め、ハルミの体に薬が注入された。

心臓が止まり、彼女の魂は口からこぼれ落ち、そのまま、ふわふわと空に飛んでいった。


「生まれも生き方も違う相手に、性質の違う愛は簡単には受け入れてはもらえないですなぁ」


飛んでいく彼女を愛おしげに眺めながら悪魔は言った。


「愛しておりますよ、もちろん、来世も」


そして、再び彼女が生まれ変わるまでの暇つぶしとして、

再び、全身をブランドで固めた煌びやかなゼネコンの社長の姿になり、

華やかな街を闊歩するのであった

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