第6話 星降る夜の騒乱(2)
強引なトラクの空間転移魔法によって、瞬きののちには暗い森のなかに立っていた。
高位魔法である空間転移なんぞ、バルバディアの上回生でも使いこなせる者は少ない。兄貴でさえ人を運ぶまでの域には達していないのだ。本当に一体何者なのやら。
先程リシはとんでもない呼び名を口走って跪いていた気がするが、怖いので思案の外に放り投げる。
洗心の石舞台が、闇夜のなかにもぼうっと白く浮かび上がった。
半年前、リディアとともに恐る恐る足を踏み入れた静謐な石造りの建物だ。あのときは森のなかで陽射しを浴びる様子がどこか神秘的だったが、夜の闇のなかに在るとなると印象はまた違う。
かつて〈災禍〉の右脚を封印していた、わすらるる地の一つ。
足元を転がる水の玉を蹴飛ばし、狭い通路を抜けて、崩落した天井から月の光が差し込む内部へ駆け込んだ。
「エウフェーミア……!」
月明かりのなか、祭壇の上に二つの人影があった。
エウの小さな体を押し倒すようにして、ロロフィリカがその細頸を絞めている。
頭が真っ白になった。
腹の底から湧き上がったあらゆる怒りが、そのまま魔力の色となって燃え上がる。限りなく透明に近い天海の色の魔力が炎のように滲み出て、ぱちぱちと音を立てて爆ぜた。
俺の足音に気づいたロロフィリカが顔を上げる。
エウの白い指先が、ロロフィリカの腕に爪を立てた。幾筋もの引っ掻き傷がエウの抵抗を物語る。
「あれっ、来たんだ。ニコラ」
そいつは、いつもと変わらない調子で無邪気に笑った。
「──ロロフィリカぁぁぁっ!!」
喉が裂けるかというほどの怒号とともに、俺の魔力は火花を散らしながらロロフィリカへ襲い掛かった。気だるげな仕草でエウの首から手を放し、杖を抜き、一振りすると、石舞台の白い床が盛り上がってそのまま盾と化す。
ロロフィリカが無言魔法を使おうが、俺の渾身の魔力が霧散しようが、今はとにかくエウから引き離さなければ。
白石の盾の向こうでぐったりとしているエウの銀髪目掛けて駆け寄ると、待ち構えていたロロフィリカは嬉しそうに、そしてどこか不快げに眉を顰めていた。
「ニコラなら突っ込んでくると思ったよ!」
彼女の杖先は俺を向いている。
しかしその魔法が発動するよりも早く、何もない中空から突如、木々がうねり出てロロフィリカを捉えた。樹木魔法に空間転移を重ねたトラクの援護だ。両足を掬われて地面に倒れたロロフィリカは即座に杖を振ろうとしたが、両手も背中でひとまとめにされ、杖を取り落とした。
「きゃあああ!?」
「二対一だ。悪いね、ロロフィリカ」
「……トラク!?」
考えなしに突っ走った俺の後ろで、通路から隠れて様子を窺っていたトラクが姿を見せる。俺がエウを追ってくるのはともかく、どうやらトラクの存在は予想外だったらしい。
そこまで確認した俺はエウの体を抱きかかえ、少し距離を取って、顔を覗き込んだ。
頸についた赤い手形が痛々しいが、意識はある。
「エウフェーミア。大丈夫か」
大丈夫なわけがないのに、凡庸な言葉しか出てこない自分の貧相な語彙に反吐が出そうだ。
銀色の睫毛が震えた。薄く開いた眦から、はらはらと涙が滑り落ちる。
呼吸も意識もあるが、体が動かないみたいだった。目蓋と唇が痙攣するように震えているのは、無理やり動かそうとしているからかもしれない。
「ロロフィリカに真名を呼ばれた?」
「…………」
眼球がうなずくように上下する。
近づいてきたトラクがその様子を眺めて、うん、と小さくつぶやいた。
「多分、古代魔法だね。体の動きを魂から縛る類いのものがあるから」
「解けるよな?」
「うん。彼女、無言魔法は使えるけど、そこまで強力なわけじゃないみたい。真名で縛って動きを止めてからゆっくり魔石を奪おう……という算段だったのかな、ロロフィリカ?」
トラクの問いに対する答えはなかった。その余裕に、少し嫌な予感がする。
魔王復活なんて大事をロロフィリカ一人で成し遂げるわけがない。暁降ちの丘を襲撃したのも、先程ホールに突っ込んできたのも、魔王第三配下サー・バティストの手の者だ。ご本人さまご降臨、なんて笑えないけど、このままボケッとしていたら確実に来る。
透明な涙が滑り落ちる頬を撫で、乱れた銀髪を撫でつけた。
ロロフィリカに中庭から連れ去られて、ここで二人きり、何をされたのか。何を言われたのか。
……何を、知ってしまったのか。
「ごめん。ごめんな。遅くなってごめん……」
「…………」
嗚咽に呼吸を乱す小さな体を抱きしめて、その体温を確かめる。
……生きてる。
エウの肩は氷のように冷えきっていた。ダンスホールは暖かく調節されていたから、薄いドレス一枚のままなのだ。とりあえず体を離して、俺の着ていたジャケットを上から羽織らせる。
「ニコラ、早めにここを離れよう。ロロフィリカは止めたけど、このあとがどうなるか」
「ああ、わかってる……」
そのとき、ふと、足元に濁った色の魔法陣が輝いた。
エウを抱えて飛び退ると、険しい表情で唇を噛むトラクが俺たちの前に出る。魔法陣の色は魔法使いの魔力の色だ。こんな汚い魔力の持ち主を、少なくとも俺は知らない。
警戒を最大限引き上げ、即座に応戦できるよう魔力まで練り始めた俺たちの前に、二つの人影が現れた。
「……えっ、ちょっと何!? あいつはどこ行ったのよ!?」
「トラク? と、ニコラと……ベックマンさん」
リディアとアデルの……主人公コンビ。
危うく魔法をぶっ放すところだった俺とトラクが前のめりによろめくと、同じように触媒を手にしていたアデルが慌てて瓶に栓をする。
辺りを見渡したリディアが「ここ、来たことある」とつぶやいた。
そうだな。おまえと来たな、半年前に。
「二人とも、どうしてこんなところに?」
場を代表してトラクが訊ねると、アデルが言いづらそうに口を開く。
「少し事情があって、厄介な相手に命を狙われてる。恐らく空間転移で飛ばされた。早く逃げて先生のところに行かないと──」
「……っていうかちょっと、ロロフィリカじゃない! 何やってんのよ!」
トラクの魔法で拘束されたまま転がっているロロフィリカを見て、リディアが目尻を釣り上げて怒りだした。
わたわた駆け寄ろうとするリディアの後ろ襟をアデルが引っ掴む。
おお……アデルがリディアの舵を取っている……なんだか新鮮だ。
「リディア、ちょっと黙って。この状況も場所もタイミングも無関係なはずがない。僕らの知らないところでも何かがあったんだよ」
……ん?
魔王復活の儀式の場にこの二人が現れる、ということは。
ここからが、物語の展開の始まりなんじゃ……。
「おいリディア、ちょっと待……」
思わず普通に話しかけそうになった俺の声を、ロロフィリカの甲高い笑い声が遮った。
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