第5話 星降る夜の騒乱(1)
デイジーの言葉を最後まで聞くことなく、俺は生徒たちを掻き分けて、ひと際目立つバターブロンド目指して駆けだした。
色んな生徒の背中や肩にぶつかりながら、ルウとリシ嬢と三人で談笑していた兄貴の肩を掴む。
「ニコ。そんなに焦ってどうしたんだい」
「兄上!──兄上、エウフェーミアにおまじないを教えましたよね?」
そうであってくれ。
あのときエウは兄貴から教わったと言ったのだ。ニコにいいことが起きますように、とはにかんで。
だから違う。
自分の真名を口にするなんてそんなこと、自分の身の上を重々承知していたエウがするはずない。
しかし兄貴は、その透きとおる天海色の双眸をきょとんとさせた。
「おまじない?……なんのこと?」
「あー、アレか、最近下級生の女子の間で流行ってるやつだろ? 両想いになれるおまじない、ってやつ」
ルウの言葉にリシ嬢がうなずく。
「わたしも聞いたことがあるな。一般家庭から来た女の子に特に流行っているんだって? あまりよろしくない風潮だね」
俺は近くにいた同寮生の腕を掴んだ。
一般家庭出身の女子だ。ロロフィリカやリディアとも仲が良い。
「両想いになれるおまじないってのは誰から聞いたんだ!?」
突然の問いに目を白黒させながらも、彼女は少しの間、視線を右上に向けた。
「確か、ロロフィリカじゃなかったかな」
凄まじい勢いで記憶の断片が脳裡に明滅する。これは走馬灯かというほどの速さで。
「…………ロロフィリカ?」
「うん、多分、あの子の通ってた学校で流行ってた、とかだったと思うけど」
植物学のフィールドワークの朝。談話室でエウとロロフィリカが話していた。「何、絶対試してみてって」「それは女の子同士の内緒なの」内緒話もするような女友達ができたのはいいことだ。
ロロフィリカは深奥の森のなかで「トラクも来て」と手を引き、俺とエウが二人になるように計らった。エウが俺におまじないをしたのはそのときだ。誰もいない深奥の森のなかで、ふたり、だから。
ふたりじゃなかったとしたら。
あのとき見かけた灰色の猫が例えばロロフィリカの使い魔だったとしたら?
───あたし、ちょっとだけニコラのこと好きだったよ。
「……クソが!」
思わず悪態をついていた。
ホールには人が多すぎる。慌てて走り回るより、魔力感知でエウの魔力を捜した方が早い。
足の裏から薄く薄く氷のように広げた魔力が、祭りに高揚する生徒たちの魔力を通っては抜け、通っては抜ける。ホールにいない。さっきまでロロフィリカと二人でそこにいたのに。エウの菫色の魔力を捉えられないまま、中庭へと向かう。
二つの月が翳を落とす夜。薄紫のドレス。波打つ銀髪。
誰かに手を引かれて、まろい笑い声を上げながら中庭を散歩する後ろ姿──
「エウフェーミア!!」
捉えた、と思った瞬間、くすんだ青い魔力がその肩を呑み込んだ。
ロロフィリカだ。
目が合った。
ざまぁみろ、と、その唇が動く。
カッと体中の血が沸騰したそのとき、ホール中の窓が、けたたましい音を立てて割れた。
甲高い悲鳴が上がる。半狂乱になった女子生徒たちの悲鳴に紛れて、何頭もの魔物の咆哮がホールのシャンデリアを震わせた。
窓ガラスを割って飛び込んできたのは夥しい数の魔物の群れだ。
先頭で四肢を踏みしめて唸るは双頭の虎。黒と白の縞模様、額から突き出た毒々しいツノに、骨と皮ばかりの黒い翼、どこからどう見たって冥界の領域に棲む魔王軍の使い魔だ。
一瞬にしてホールは大混乱に陥った。
兄貴とルウは素早く杖を取り出し、下級生に避難を指示しはじめる。
「双頭の虎。アキ先生の講義でやったな。第三配下サー・バティストの使い魔だ」
「従えているのはうちで飼っている魔物だろう? 様子がおかしいように見える」
ルウとリシ嬢が顔を見合わせ、兄貴を振り返る。
「ブルーバックス、ディアトリマ……高位の魔物ばかりだ。精神に干渉する魔法か、それともおかしな薬でも使われたのかもしれないね」
パーティーに参加していた先生方が虎の魔物と対峙し、生徒たちは悲鳴を上げながら次々ホールから避難していく。そのなかの何名かは冷静に杖を持ち、先生方の援護に回りはじめた。
人波に逆らうようにしてトラクが駆け寄ってきた。
「ニコラ、無事!?」
「──ロロフィリカだ。エウを連れて中庭から消えた!!」
トラクの琥珀色の眸が剣呑に細まる。
そしてなぜか、兄貴の隣で杖を構えて魔物に応戦しようとするリシを仰いだ。
「リシ! こちらにはじき伯父上が到着する。外にも魔物がいないとは限らない、生徒の避難誘導を頼むよ」
「は?『伯父上』……!?」
振られた彼女も瞠目したが、即座に理解を示して跪く。
突然膝をついたリシに呆気に取られたのは兄貴とルウだ。他の生徒は幸いそんな余裕はない。
「──殿下はどちらへ!?」
トラクの視線は、今度は俺を向いた。学院の敷地内の感知を続けていた俺の答えを待っている。
エウフェーミア。
ニコの魔力ならどこにいてもわかるよと、そう言った。俺だってそうだ。当たり前だ。魔力の感知をするようになって一番はじめに覚えた魔力の手触りは、おまえだ。
エウの銀髪が脳裡に揺れる。
菫色の眸。その光の軌跡。
どれだけ遠くにあっても、どんな群衆の中にいても、絶対に見失いはしない。
やがて、深奥の森のなかで仄かに揺らぐ菫色の魔力をつかまえた。
「深奥の森だ。ジェラルディンたちの拠点になっていた、あの白い石の……」
トラクは素早く杖を抜いた。
金色の魔力が足元から立ち昇り、俺と彼とを包み込む。
「──洗心の石舞台へ!」
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