第十章 星降る夜の騒乱

第1話 縦令天海のくじらが許したとしても


 さらさらのバターブロンドに、透明なブルーアイズ。

 陶器みたいにつるんとした肌、金髪美女の母親に似た端麗な顔立ち。

 鏡の中のニコラは、日本人だった頃の俺とは似ても似つかない美少年だ。もうすっかり慣れたけど。


 エウフェーミアのドレスに合わせて仕立てたスリーピースはダークグレーで、光の当たる角度によって紫の光沢が入っている。どこからどう見てもお高い一張羅。さすがに十五年もこっちで生きていれば、それなりに振舞うことも憶えた。


「……なぁんか顔が強張ってんだよなァ。緊張が顔に出てら」


 ぐにぐにと顔をマッサージしてやると、擦れた辺りの肌が赤くなった。やべぇ。

 ニコラの体って基本的に白くてヒョロヒョロだから、ちょっとの負傷がやたら目立つんだよな。手足がすぐ折れそうで不安になったから昔筋トレしたけど、筋肉がつきにくい体質だということが判明して終わっただけだった。


 支度を整えたトラクが声をかけてくる。


「ニコラ、準備ができたなら行こう?」


 トラクの衣装は、琥珀色の双眸によく映える、ミルクチョコみたいな色のスーツだ。

 服も靴も城下町で買えるような安物だろうが、立ったときの爪先の向きや背筋の伸び具合、部屋のドアに手をかける指先に至るまで、どう見ても身分ある人の立ち居振る舞いだ。

 呆れ半ばに声をかける。


「トラクおまえ、もう少し孤児らしく振舞った方がいいぞ……」

「しまったな。高貴さが溢れちゃってる?」

「おお、溢れちゃってる」


 大真面目にうなずくとトラクが肩を落とした。


「そこは『調子に乗るな』って突っ込んでくれないと、恥ずかしいじゃないか」


 ボケのつもりだったのか。




 いよいよ迎えた〈星降祭ほしふるまつり〉、当夜。

 別の言い方をすれば、リディアとアデルの物語第四巻ラスト、魔王復活の夜、である。


 トラクや兄貴から仕入れた情報によると、今夜、俺の故郷ルフにある〈暁降あかときくたちの丘〉には親父殿率いるヴェレッダ騎士団、魔王封印の英雄である剣聖ザイロジウス率いるベルティーナ魔導騎士団の第三師団が控えているという。

 バルバディア魔法学院とフィーカ城には、〈深奥の森〉の地形を利用してベルティーナ魔導騎士団の第一・第二師団、そして魔法教会の招集に応えた〈魔導師〉以上の魔法使いたちが布陣。有事の際には王国精鋭の武力が突入することとなっている。


 バルバディアの生徒たちは何も知らされず──もしかしたら勘のいい者はある程度の警戒を抱いているかもしれないが──、ダンスパーティーの開幕を心待ちにしていた。


「ま、物々しいことは武闘派の皆さまに任せて、とにかく僕らはエウフェーミアさんから離れないことだね」

「そうだな。最終的にはそういうことだ」


 頷きあい、俺たちはドアを開けた。


 男子寮の廊下はいつもより浮ついた空気に包まれている。

 男が着飾るのには限界があるが、こういうパーティーではやはり女子が普段の何倍もキラキラして見えるので、どいつもこいつも浮足立っているのだ。

 文化祭とか体育祭の前後って謎にカップル増えるんだよなぁ。

 どこの世界の学校も、年頃の男女は考えることが一緒だ。


 一階の談話室に到着すると、俺たちは隅っこの壁際に寄った。

 エウフェーミアの姿はまだ見えない。

 着飾った男女が次々と腕を組み、寮を出て行く。単身寮をあとにするのは、他の寮にパートナーがいる連中だ。パートナーがいないやつはそもそも欠席するほうが多いだろう。


 ぼけっと中空を睨んでいると、深い藍色のカクテルドレスを着たデイジー・ジェーペスが取り巻き数名とともに近づいてきた。巻いた髪や眸の色がオレンジ系だから、ドレスが落ち着いていても華やかに見える。


「御機嫌よう、ニコラ」

「御機嫌よう。デイジー」


 ここ数日ですっかりニコラ派筆頭となっているデイジーは、ごく自然に俺の横に侍る。

 本日の取り巻きはいつもの女子と、それぞれのパートナーの男連中だった。全員そこそこの家柄のやつら。俺の隣でのんびりしているトラクを除いて『貴族組』と呼ばれ、リディアら『庶民組』とは何かと対立しあうグループになっている。


 まあメインはデイジーVSリディアなんだけど。

 男連中はアデルに足を引っ掛けたりちょっかいかけたりしているらしい。暇なやつらだ。当の暇なやつらは、早速只人二人を扱き下ろす気満々で、厭味ったらしい笑みを浮かべている。


「あの只人たちがどういう服で来るかが見ものだな」

「大体あいつら、こんなパーティーに出席するのは初めてなんじゃないのか?」

「リディアのほうはダンスの練習をしていたみたいだが──なあニコラ。あいつどうなんだい」


 残念ながらリディアとアデルは欠席だよ、という言葉は胸のなかに秘めておく。俺が知っているのはおかしい。


「……まあ、何度か脛を蹴られた程度だよ」

「あんなやつに世話を焼くなんて全くニコラは慈悲深い」


 貴族組の彼らは、けっして脳みそ空っぽの性根腐りまくった阿呆どもではない。

 そもそもバルバディアに入学を許可された時点で魔法使いのタマゴとしてはかなり優秀な部類に入る。家族からの期待も大きいだろうし、本人たちも入学当初は実力に見合った自尊心とプライドの持ち主だった。


 だからこそ、当たり前に魔力を持ち、貴族で、それなりに優秀だった彼らは、魔力もなく庶民の出でありながら魔術を使いこなす只人アデルに成績で負けたことが許せないのだ。


 それで「この僕(私)が只人なんかに負けるはずがない、あいつは不正に入学したのだ」──とまあ、こうなっている。

 理解も納得もしてやれないが、要はアデルに劣等感を抱いているんだよな、こいつら。

 リディアはぽんこつだから単純に「なんで入学できたんだこいつ」となるわけだが。


「……そういえばトラクは結局誰にも申し込まなかったのか?」

「まあね。あんま興味ないし」


 今年の星降祭で魔王復活の儀式が行われると考えているやつが、呑気に女の子をつかまえてダンスなんてできるわけないか。

 自分で訊いておきながら勝手に納得していると、エウフェーミアが談話室に入ってきたのが見えた。可愛く着飾ったミーナと別れて、俺のほうにやってくる。


 俺が声をかけるより先にデイジーがひらひらと手を振った。彼女は基本、すんごい典型的な意地悪伯爵令嬢だが、身内認定したやつにはそこまで攻撃的ではないのだ。

 ちょっと陰湿なところもあるので、あーあ、と引くことも多いけど。


「御機嫌よう、エウフェーミア。素敵だわ」

「御機嫌よう、デイジー。あなたも、ドレスとても似合ってる」


 ぎこちない笑みを浮かべているのは、十中八九どころか百パーセント俺と気まずいからだ。

 デイジーが隣を空けたのでそこに収まり、体の前で手を組んでうつむく。見事にこっち見ない。ちょっと傷つく。……けど、そうなるように冷たく接して仕向けたのは、俺だ。


「……ニコ。あの、待たせてごめんなさい」

「いや、いま来たところだ」


 ふわふわと揺れるシルバーブロンド。アップにしているせいで普段より大人びて見える。袖や裾から伸びる白い手足、上品に揃えられたパンプスの爪先、黒レースの手袋。

 極めつけに、どんな宝石も敵わない菫色の眸。


 エウのために仕立てられた薄紫の膝丈ドレスは完璧に似合っている。

 仕立屋さんグッジョブ。こんな状況じゃなきゃ、バシバシ写真を撮って実家のメイドたちに見せびらかしてやりたい。あーシリウス悔しがるだろうなー。

 俺の荒れ狂う内心に気づいているらしいトラクが顔を逸らした。おい笑うな。

 あああああ、でも可愛い。


 見てうちの婚約者。こんな大きくなって。出逢った頃は死体か等身大の人形かってくらい表情がなくて、声を聞くにも時間がかかって、自分の意思を表すことさえできなかったのに。

 そのくらい傷ついていたのに。



 傷ついて──自分を責めて、必死に魔力を制御して、いつも人を気遣って……穏やかで、優しい。



 そんなこの子の命が今夜限りだなんて、許してなるものか。

『縦令天海のくじらが許したとしても』。



「……手を。エウフェーミア」


 差し出した右腕にそっと手を添えると、エウは躊躇うようにゆっくりと瞬いた。

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