第10話 がんばる理由


 今回の件は喧嘩両成敗ということになった。

 リディアたちを煽った俺の発言は戴けないが、対するリディアも(制御が利かないとはいえ)仕返しが過剰であった、というのがイルザーク先生の所見だ。リディアの師である彼の意見が尊重され、寮監のアンジェラ先生も特に異論を唱えることなく、互いに処分なし。


〈太古の炎の悪魔〉の炎は万象の一切を焼き尽くす忘却の炎──というのが定説らしいが、リディアに魔力がないことも幸いして、魔力を喰い潰されるだけで済んだ。

 喪った魔力自体も数日で回復し、俺はまたいつも通りの日常を送っている。


「父上はなんと?」


 廊下ですれ違った兄貴と立ち話がてら訊ねてみると、兄貴はニコリと微笑んだ。


「心配しておいでだったよ」

「……今更おかしな嘘をつかなくてもいいですから」

「本当だよ。父上はいつもおまえのことを心配している」

「例の未来にならないように、ですかねー」

「ニーコー」


 兄貴は俺の頬を両手で挟んでぶにぶに引っ張り回す。隣にいたルウがぶっと噴き出した。きたねぇ。


 金髪美女の未来視の件を教えてもらったあの日から、兄貴との関係はほんの少し変わった。

 これまで兄貴は、いつか自分の手で俺を殺すのだと心のどこかで覚悟していた。ただ、俺が未来視のことを承知したうえで兎にも角にもエウフェーミア第一で動きたいことを知り、ちょっと肩の荷が下りたらしい。


 なんとなく、無理に兄貴ぶっていた部分が消えた感じだ。


 そうしてじゃれる俺たちの横を、ちょうど次の授業へ向かうエウとロロフィリカが通り過ぎていく。

 一瞬だけ菫色の双眸と視線が交差した。

 俺と視線を合わせたことを悔いるように俯いたエウが足早に去ってゆく。ゆるく波打つシルバーブロンドの後ろ姿を見送ったあと、兄貴とルウは揃って俺を見下ろした。


「……ニコ、僕、エウフェーミアときみの婚約解消だけは認めないよ?」

「エウの気持ち次第でしょう。僕は婚約当初からずっと、エウが望むならいつでも解消すると伝えてありますから」

「そんなことになればロウ家使用人一同の暴動が起きてしまう……」


 さもありなん。


 エウフェーミアとは相変わらず会話せず、つるむのは専らニコラ派の連中になった。同時にリディア派の生徒たちからは冷たい視線を頂くことが増えた。

 俺自身は別に何をするわけではなくとも、ニコラ派の連中が勝手にリディアやアデルを攻撃するのだ。これはずっと前から、それこそ入学時から続いている。いっとき大人しくなっていたデイジーも息を吹き返して、元気にリディアと言い合っていた。


 星降祭まであと一週間。





「怪しい匣も怪しい生徒もある程度はリストアップしてみたけれど、決定打に欠けるね」


 むむむと眉間に皺を寄せたトラクが腕組みをする。

 その向かいに胡坐をかいた俺は、トラクが調査してきた『怪しいやつ』リストをぼんやりと眺めていた。調査員はトラクの使い魔総勢三体。十五、六歳で使い魔との契約が三っていうのはなかなか常識外れなのだが、もう深く突っ込まないことにした。


「どれもこれも知らない名前だな」

「怪しいと思われる根拠も、悪魔召喚の噂があるとか家族が魔王軍に関わっていた可能性ありとか……確かに怪しいんだけどいまいち裏付けのとれないものばかりでね」


 脳内に召喚した政宗先生が、「物語論としてそれまで一度も登場しなかったやつがいきなり犯人とか裏切りとかはないと思うけどな」と難しい顔をしている。


 ちなみに匣リストの中には『ロロフィリカが実家から持ってきた自鳴琴オルゴール』とかいうものもあった。

 鍵がないと開かないタイプだが実家の母親が鍵をなくしたらしい。魔法でどうにかできるかもと休暇明けにバルバディアに持ってきたが、先生方が開錠魔法を使ってもだめだったので、中で何かが壊れてつっかえているのだろうと───


「いや捜してんの自鳴琴じゃねんだわ!」

「長期休暇明けに存在が確認された『匣』っぽいものを全部リストアップしているからねぇ」


 にしたって手当たり次第すぎる。


 あのとき喋ることができていれば、内通者教えてくれ、って言えたのになぁ。

 あいつの夢は、あれ以降見ていない。


「……思うんだけどな、トラク」

「うん?」

「こっちにトラクや母上みたいな未来視の魔法使いがいるんだから、向こうにも未来視がいてもおかしくないし、あるいはこっちに未来視がいることを想定して動いているかもしれないよな」


 そこまで言っただけでトラクも察した。


「向こうの動きのほうが早い、か……」

「いつの世もどこの世界も、悪いやつは頭がいい。そもそも防衛側のこっちは後れをとるわけだしな。あんまり考えず、どっしり構えたほうがいいのかも」


 魔王封印から二十年。すでに復活に向けた動きが見られることを、バルバディア上層部も、魔法教会も承知している。なんの対策も取らずに手をこまねいているはずがない。

 その結果が魔王復活の未来だ──と言ってしまえば、おしまいなのだが。


「これは俺の情報筋からの話なんだが、本来俺はこの間リディアとやり合った件で重傷を負って学外に入院している予定だったらしい」

「成る程……。現時点ですでに十分予定外ということか」


 トラクは小さく息を吐き、指先ひとつで薬缶の湯を沸かす。もう何も言わなくても俺のぶんまで淹れてくれるようになった。

 今夜はカモミールティーだ。

 トラクのベッドの上なので、零さないよう気をつけながら息を吹きかける。


「訊きたいことが一つあったんだけど、ニコラ」

「なんだよ。どういう情報筋かって質問はノーだぞ」

「そうじゃなくてさ。本当は、どういう経緯でシリウスさんを雇うことになったの?」


 そういえばリディアを煽るために嘘八百を並べたんだったっけ。

 慈善事業に尽力するのも貴族の立派な仕事のうち、というのは一般的な事実だが、あとは全部口から出まかせであった。


「ガキの頃、地元の港町をお忍びで散歩していたら、女にフラれて傷心中だった悪ガキのリーダーにケンカを売られたんだ」

「なんて??」

「で、俺がそいつをぼこぼこにしてたらシリウスが現れて」

「ニコラって本当にケンカ強いの!?」


 いちいち驚いているトラクは無視。


「そいつの頭を掴んで流れるような土下座をかましてさ、『ツレが悪いことをした、好きな女子にフラれたところなんだ、どうかこの土下座に免じて許してやってくれ』って。ツレのために一緒に頭下げられるやつなんだよ」


「……ニコラって実は不良なんだ……」


「誤解だ。俺は売られたケンカを高値で買うだけだ。──でまあなんだかんだあって、シリウスの家が金銭的に困窮したタイミングでロウ家に雇い入れた。頭いいし、運動神経も悪くねえし、何より人柄が信用できたから」


 けっこう長い付き合いのような気がしていたけど、まだルフの路地裏での出会いからは五年しか経っていないのか。


「もともと只人がやたらと差別を受ける現状が理解できなくてな。なんとかもうちょっとマシにならないかと……少なくとも産まれた途端に殺されたり捨てられたりするような状況を、変えたいと思ってる」

「うーんじゃあ、いっそ魔術学校を作っちゃうとかどう?」

「資金はどっから出るんだよ。只人に正しい教育をなんて言ったところで賛同者いねえだろ」


 トラクはにっこり笑って自分を指さした。


「少なくともほら、ここに一人。色々と顔も広いからお役に立てるよ。ね、いいじゃないか魔術学校、一緒に創ろうよ!」


「まあ俺がそれまで生き延びてたらな」

「ふふ。がんばる理由が一つ増えたね」


 琥珀色の双眸が実に楽しそうに煌いている。


 只人の社会的地位の是正──なんて夢物語をシリウスに語り聞かせたのは、あいつを従者として雇ってからすぐのことだった。

 只人に魔術を教える学校を創るんだと言ったら、シリウスは教師として一緒に来てくれるかな。


 来てくれるんだろうな。……あいつのことだから。


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