第4話 鬼の目にも涙
召喚魔法にてやってきた、日本の俺が死んだ事故原因である張本猫──もとい神さま・シズル。
シズルにストーキングしてもらっているのはリディアだ。大体いつも一緒にいるアデルの精霊の眼にも、神さまであるシズルが本気で
ちなみに狙われているエウフェーミアのほうには、城下町で「ニコなんてきらい」と言われたあの日から、兄貴が使い魔をつけてくれているので無問題だ。……ああ心の傷が痛む……。
シズルは日本でうっかり事故に遭いかけるどんくささとは裏腹に、誰かの召喚魔法に応えたと知られたらちょっと面倒くさいレベルに格が高いそうだ。だからシズルのことは同室のトラクにも、兄貴にも内緒にしている。
「リディアが部屋に戻ったぞ」
トラクが大浴場で入浴している隙に、シズルは机の上に降り立った。
薬草学のレポートを書いている俺の手を蹴らないよう器用に避けながら、左手の傍に腰を下ろす。
「なかなか一人にならないなぁ、あいつ」
「全寮制で一人になるタイミングなどそうそうないであろうに」
それもそうだ。
エウフェーミアに避けられている現在でも、俺は食事をトラクと一緒にとり、授業中は周りに生徒がいて、寮に戻ればハウスメイトの目がある。塊になって動く習性のある女子(偏見だが)なら余計、一人になる時間なんてないだろう。
俺はレポートを書く手を止め、頬杖をついた。
シズルの青い毛並みをなんとなしに撫でながら溜め息をつく。
「……そういえば、シズル。事故に遭って死んだ俺の魂をこっちに連れてきたって言ったけど、神さまレベルならそういう無茶も罷り通るわけ?」
「一定の神格であれば容易いことだが、世界を超える人間の魂のほうが普通は持たないな。死んだ瞬間に、その衝撃で魂はばらばらになるものだから」
「じゃあリディアとアデルは肉体があるから〈穴〉を越えられたのか。……俺の魂はばらばらにならなかったってこと?」
「おまえの場合は、おまえの魂を必死に抱きしめていた者がいたからな」
驚いてシズルを見ると、薄い黄色の双眸は静かにこちらを見つめ返す。日本の真冬の夜空に浮かぶ細い三日月を思わせるような、しんとした瞳だった。
俺の魂を、必死に抱きしめていた者。
……誰だ?
「両親なら健在だった。当時死んでた親戚っていうと、父方のじーさんくらいだけど」
「──我々は、冥界の死者を語る言葉を持たぬのだ」
すまない、とシズルは頭を垂れた。
◇ ◇ ◇
なぜだか、あいつのような気がしていた。
死んだ俺の魂がばらばらにならないように、あの細い両腕でいっぱいに抱きとめて、「だめだめ、まだ死んだらダメ」「不良だったくせに何でこんな事故でうっかり死ぬの!」とワアワア騒いでいる様子が、なんとなく想像できる。
一緒にいるのだろうか。
俺と、今も。
そう思うとなんだかいつも以上に気配に敏感になってしまう。少しの空気の揺れや、人の気配、足音、魔力の残滓、話し声、物音。そのどれもに、もう何十年も前にお別れしたあいつの残り風を感じたくなる。
紛れもない感傷だった。
そうやって──誰もいない背後の空間を振り返ったり、静寂に耳を澄ましたりする俺に、トラクが首を傾げ始めた第九の月、最終週。
俺はヒュースローズ寮の談話室で、ハウスメイトとカードゲームに興じていた。トラクは情報収集のためちょっくら出てくると夕食後に消えたので、今周りにいるのは所謂ところの『ニコラ派』連中である。
談話室の隅では今日も今日とて、ダンスパーティーに向けてダンスの練習をする一回生の姿が見られる。
最近ようやく引きこもりを脱却したエウも、いまだ足元が怪しいロロフィリカにつきっきりで指導しているみたいだった。
「キャー! ごめんエウフェーミア、足の指大丈夫!?」
「へいき。ロロフィリカ、そんなに緊張しなくても、男の子のリードに任せればいいんだよ」
「それは相手がダンス上手な場合でしょうが!」
また足踏まれたのか。
ロロフィリカの高い声に反応してそちらを向くと、男役を務めていたらしいエウと目が合った。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙、と、なぜか周囲から集まる視線。
エウはこの上なく気まずそうな顔で唇をへの字に曲げると、怒りか苛立ちかで頬を赤く染め、きゅっと眉間に皺を寄せた。俺からは逸らすまい。
なにせニコなんてきらいと泣いて兄貴の背に隠れたのも、しばらく俺と口を利きたくないと言いだしたのもエウなのだ。
エウが俺と話す気になるまでは、俺からは話しかけない。
俺だってちょっとは傷ついたからな!……嘘ですやけっぱちで屍の山を築く程度にはショックでした。
エウはやがて、ぷいっと子どもじみた仕草で顔を背けた。
俺も静かにテーブルの上に広がるカードへと視線を戻す。周りにいたハウスメイトたちが「大丈夫なのかい」と訊ねてきたので、キラキラお坊ちゃまモードで微笑んでおいた。──これが大丈夫に見えるなら目玉ごと洗ったほうがいいぜクソ野郎。
そういやリディアの姿がなかったな。アデルはいつもいないけど。
フとそう思った瞬間、足元にスルリと何かがすり寄ってきた。視線を落とすと、シズルがこちらを見上げてクッと顎で寮の出口を示している。
「シズル……?」
「ニコラ、どうかしたのかい」
「ああ……いや、すまない。魔法史学の講義室に忘れ物をしたことを思い出した。少し出てくるよ」
手の中で温めていた上がり直前の手札を付近の野郎に押しつけて、俺はよっこいせと腰を上げた。
消灯時間にはまだ余裕があるが、二つの月は完全に上りきっている。
じきに訪れる寒冷期に向けて徐々に気温が下がり始めているからか、敷地内に人の気配はあまりない。すぐさま顕現したシズルが「あっちだ」と三歩先を走りはじめた。
「いささか憚られるが──リディアが一人になったところを掴まえろというのが、指示であるからな」
「憚られる?」
生徒寮エリアを抜け、校舎棟エリアへ差し掛かる。
たかたかと軽やかに駆けるシズルが足を踏み入れたのは見覚えのある棟だった。授業ではあまり使用しないが、前期に一度だけ迷い込んで散々な目に遭った場所だ。
……第二のイベントとして、リディアと二人で閉じ込められた隠し部屋のある棟。
懐かしさに思わず目を細めてシズルのあとを追うと、四階に至る階段を折り返したところで、リディアとばったり行き会ってしまった。
「なっ……んであんたがこんなとこにいるのよ!」
「……一人で考え事をしたいときに最適の隠し部屋があるのでね」
もちろん真っ赤な嘘。
前期のあのときは、一体どこでイベントが起きるのかわからなかったので、色んな校舎を片っ端から歩き回った結果リディアと会ったのだ。だからこの校舎を訪れるのもこれで二回目。
「きみのほうこそ、こんな時間に一人で何を?」
「わ、私にだってねぇ、色々一人で考えたいことはあるんです!」
リディアはすんっと鼻を鳴らして、手の甲で口元を隠した。
前髪で隠れた目元にきらりと光るものが見える。
涙だ。
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