第8話 悪役坊ちゃん傷心中


 ──熱で意識が朦朧としていたのでよく憶えていないが、そういえばシリウスが変なことを言っていた。


 親父殿が、俺に、『ハコ』の在処がどうとかこうとか。


 ハコってなんだよ、宝箱か? ロウ家には歴史的に価値のあるものも色々あるけれど、ハコなんて漠然とした問いじゃ解らない。容れ物としてのハコなのか、もっと別の意味でのハコなのか。コンサートホールやライブハウス、交番のこともハコと言ったりしたけれどこの世界にはないし。


「親父殿のお宝が隠された箱とか? そんなの暴きたくねえ~」


 うっかり独り言を洩らしながら、俺は休日のバルバディア敷地内をてこてこ歩いている。


 エウフェーミアに「ニコなんてきらい」と言われたあの休日から、はや一週間が経っていた。

 酔っ払いどもの屍を背になんとかバルバディアへと帰りついた俺は、その後さらに兄貴から追撃を受けることとなる。


 エウに預けていたルウとトラクへの返礼品を受け取ると同時に叩き込まれた急所への一撃。



──「エウフェーミアはしばらくおまえと距離を置きたいそうだ」



 兄貴は慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま続けた。悪魔の微笑みかと思った。


「学院の結界は元々、知識の流出を防ぐ意味で『外に出て行かせない』方向に強く張られていた。ただ先日の魔物の襲撃を受けて『外から入って来られない』方向にも強力になったらしいから、しばらくエウフェーミアの身の回りは安全だろう」


 だから心配せず距離を置かれろ、この愚弟グズが、ということである。


 その言葉通り、入学してからずっと一緒だった食事は別々になり、授業を受ける際はあからさまに離れたところに着席された。寮に戻ったら即行で部屋に閉じ籠もっているらしく姿も見せない。同室のミーナに様子を尋ねると、元気にはしているがとにかくニコと会いたくない、という。


 なんというかだいぶ嫌われたみたいだ。

 とはいえ、どうにかして星降祭の夜の魔王復活を阻止したい俺にも一人の時間が必要だった。


 たいへん不本意だしかなりショックだし正直泣きたいが、魔王について調査するための余裕ができたと思えばまだ耐えられる……いや耐えられない……いやいや、耐えろ、俺。

 二十七プラス十五歳のいい歳した坊ちゃんが、婚約者に嫌われたくらいでなに情けないこと言ってんだ。





「魔王について知りたい?」


 ぱちくりと目を瞬かせたイケオジのアキ先生の研究室でコーヒーを頂きながら、俺はこっくりうなずいた。

 教職員寮とはまた別に先生たちは自分の研究室を持っている。魔法使いとは、その魔法をもって国土を防衛する守護者であり、よりよい魔法を国民に提供する彼らにとっての賢者であると同時に、魔法を探究する研究者でもあるからだ。


「先生もご存じかもしれませんが、父の治める領地に〈暁降ちの丘〉があり、先日魔王第三配下サー・バティストの襲撃によって複数の死傷者が出ました。魔王復活に向けて動き始めた勢力がある。万が一の際、最初に血に染まるのはロウ家の領地です。故郷には只人の友人もいます」


「成る程。それで改めて敵を知ろうと?」


「はい。バルバディアで守られている自分に何ができるかと考えたとき、第一に学ぶことだと思いました。魔王については公開されている情報も多いけれど、ゴラーナ大賢者のご意向で、あえて秘匿されていることも多いと聞きます。卒業研究もこの方針でいきたいので、基本的な知識から浚い直したいのです」


 アキ先生は目を細めた。


「『忘れて生きていけることこそが真の安寧』というお考えだね。ある意味では真実だし、ある意味では情報統制だ」


 艶のある茶金髪を掻き上げて、アキ先生は長い脚を組み替える。

 相変わらずハリウッドスターみたいな人だなぁ。ハンサムだし上品だし王家の親戚筋という噂もあるし、主人公たちのピンチに駆けつけてほしいタイプのキャラだ。だからこそ裏切られたときの衝撃も大きそうだから、超過酷なファンタジーなら裏切り者枠だな。


 なんか色っぽいしいい匂いするから変なフェロモンでも出てそうで、正直この人のことは苦手なんだが、背に腹は代えられん。

 彼がベルティーナ王国の魔法史学の権威であることは事実だ。


「……魔法使いと只人との一番の違いはなんだと思いますか? ロウくん」

「はあ。魔力があるかないか、ではないのですか?」


 魔術、そしてシリウスやリディアたちの存在からも明らかなように、この世界においてもごく少数、魔力を持たない人間が産まれることもある。

 ただし難しいのは、魔力の体質は全て親から子へ受け継がれると考えられていることだ。


 この世界にはまだ遺伝学という分野がない。多分近いところまで研究は進んでいるが、もとの地球でいうメンデルの法則なんかの発見にさえ至っていないのが現状だ。

 遺伝の顕性と潜性の概念がない。

『突然変異』という発想もない。



 ゆえに魔力のある親から只人が産まれると、まずは母親の不義を疑われてしまう。



 だから只人の子は九割方、産まれた時点で死産と偽り捨てられる。大きくなったとしても、魔力を持っているのが当然のこの世界では心身障碍と同等かそれ以下に見做されるため、まともな職には就けない。生活は貧しく厳しい。只人同士で身を寄せ合い貧民街スラムを形成することも珍しくない。

 魔力の有無で人生が決まる世界だ。


 しかしアキ先生は微笑んで、首を横に振った。


「魔力の有無は、たいした違いではないんですよ。魔法でなくとも魔術を使えば、ごく弱い魔力の人間と同程度の生活を送ることができますからね。現状の差別的な扱いについては嘆かわしいことですが、これは社会的な問題であって根本的な差異とは呼べない。では何かというと、寿命です」


「ああ……」


 俺は思わず吐息に似た相槌を打っていた。


「ベルティーナ王国における平均的な魔力量の国民の寿命を一とすると、只人の寿命は〇.七倍。バルバディア魔法学院に在籍する生徒になると大体三倍以上からとなります。であるからして、普通の国民が婚姻関係を結ぶ場合は一般的に、魔力量の大体等しい相手を選ぶことが多いですね」


 同程度の魔力を持った親同士からは、ふつう、同程度の魔力を持つ子が生まれる。

 当たり前の話だが、これもまた只人が排斥されがちな世情を生んだ構造の一つなのだ。


「そしてここで悲劇が生まれた。〈魔王〉と呼ばれるより以前、ただの力ある優秀な〈魔道師〉だった『彼女』は、只人の男に恋をしました」


 俺は思わず瞬きを繰り返していた。



「魔王とは──女性だったのですか?」



 てっきり男性形でイメージしていたし、絵本や小説に語られる場合もそんな描写をされている。

 アキ先生は驚く俺に「そうなんですよ」とうなずいた。


「魔道師の称号を持っていた魔法使いにとって、只人の人生は一瞬でした。そして彼女は愛した男ともう一度生きたいと願い、死者を蘇らせるための魔法を研究しはじめてしまったんですね」


 天海のくじらの三原則───


 一つ、死者を蘇らせるべからず。

 一つ、過去を変えるべからず。

 一つ、魔力を譲渡すべからず。


 天海のくじらの領域は地上だ。三原則を破ろうとするならば、くじらの加護が及ばない冥海の底の冥界へと堕ちればよい。

 そこはあらゆる死、悪意、憎悪、悪魔、魔物の棲家であり、地上で罪を犯してくじらの加護を失った死者が辿りつく場所でもある。


「死者蘇生の研究を魔法教会に知られた彼女は冥界に逃げ込み、少数の手勢とともに研究の拠点を置きました。やがて生身の彼女は冥界の瘴気に中てられて正気を失った。自分がなんのための研究をしていたのかも忘れ、ただ『只人』の儚い定めを憎む想いだけが澱となって残り、自らを〈魔王〉と称し、地上に躍り出ては只人や魔力の弱い人々を気まぐれに蹂躙するようになります。──暗黒の八百年のはじまりです」


「……なんというか。魔王が最初は恋する乙女だったなんて、小説みたいな話ですね……」


 俺の反応を面白がっている様子のアキ先生はそっと席を立つと、背後に聳え立つ背の高い書架をあれこれ探した末、三冊ほどの本を引き抜いた。


「実際の歴史なんて、フィクションよりもばかばかしく嘘みたいな内容が多いものですよ」


 事実は小説より奇なり、ってやつかな。

 現実がすでにファンタジーなこの世界で適用できる諺かどうかは怪しいけど。


「この三冊を貸してあげます。魔王誕生から封印に至るまでの記録と研究書。基礎からのおさらいというなら最適でしょう」

「ありがとうございます」

「ところで……」


 アキ先生は研究室をくるりと見渡すと、右手を一振りして室内に防音魔法をかけた。

 祈詞の省略、杖の不使用。熟達の〈魔導師〉レベルに達するとこういうことも可能になる。


 俺は祈詞も杖も、いかにも『魔法使い』って感じがしてけっこう好きなんだが、例えば魔王軍との戦いなんかじゃそういった一瞬の手間が命取りになったりするのだ。

 ずずいと顔を近づけてきたアキ先生から、ふわりと花のにおいが香る。

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