第7話 悪役坊ちゃんヤケになる
「エウフェーミアさんの目の前で他の女の子に花束なんて渡すからだよ」だの「しかも犬猿の仲のリディアにまで。そりゃ妬くわ」だの、なんもわかってねぇ呑気な女二人に励まされたあとの記憶がない。
はっきり言うが、エウは俺にたいそう懐いている。
そして婚約者として紹介されたあの日から七年、俺だってエウを大切にしてきた。親父殿の決めた婚約者だからではなく、彼女の身上を聞かされた友人の一人として、せめてあの小さな女の子の痛みや悲しみが和らげばいいなと思っていた。
とかいって具体的に何をしてやった覚えもないが、それでも心を開いたエウがちょこちょこと後ろをついてくる姿は見ていて安堵した。
小動物みたいで可愛い。
いつか「好きな男の子ができた」って言いだしたら、相手の男を俺が見極めてやる。
そしてそいつがいいやつなら、エウのことを任せられそうだと思えば、周りの誰が反対したって俺は味方になってやるしベックマン氏が反対するなら殴り飛ばしてやるぜ、くらいの気持ちで、なのに、なのに、なのに───!
「エウにきらいっていわれた」
気づいたら知らない路地をふらふらしていた。
ショックだった。
ニコラ生史上最大のショックだ。
娘に「お父さんきらい」って言われた父親の気持ちってこんな感じかもしれない。いや、父親になったことも、娘がいたこともないけど。
ニコなんてきらい。
ニコなんてきらい……。
ニコなんてきら───
「やめよう! メンタルが死ぬ!」
どうにか我に返って周りを見渡すと、知らないうちにずいぶんと寂れた地区に迷い込んでいたみたいだった。
美しく区画整備された中央地区と較べるとごみごみしている。繁華街のなかの入り組んだ路地裏といった雰囲気で、昼間だというのに人の気配が薄い。
王都にもこういう地区があるんだなと意外に思ったものの、東京に歌舞伎町、大阪に宗右衛門町があったのと同じなんだろう。
それにしたって中央広場からはかなり距離があるはずだ。どんだけ歩いてきたんだ、俺は。
「なーんか懐かしい雰囲気だな」
ロウ家の故郷の港町を彷彿とさせる薄汚さだった。
あそこは歓楽街というよりも下町的なごみっぽさだったけれど。
「オスカーの愉快な仲間たちは元気にしてんのかな……」
ルフにおいてオスカーが束ねていた悪ガキたちも、それぞれに行き先を見つけたはずだ。
一足早くシリウスが領主の邸(我が家だ)に就職を決めたのを皮切りに、オスカー他数名がヴェレッダ騎士団に入団、外国を回る商船に雇われたのが数名。家業を継ぐといって料理人になったのや、職人に弟子入りしたやつもいた。
俺が領主の次男と知ってもざっくばらんに接してくれる気のいい仲間たちだが、なにせ就職先がばらばらすぎて、先日の長期休暇にも全員とは会えなかった。船に乗っている連中なんて無事かどうかも不明だ。
魔法の世界なんだから、海の上のやつとの郵便設備がもっと整ってもいいんだけどな。
先生にいい魔法がないか聞いてみようか。
ほとんど現実逃避でそんなことを考えていると、通りかかった店先から男が五人ほど出てきた。
昼間っから飲み屋に入り浸って酒でも飲んでいたのか、顔が赤いし酒臭い。黄色く汚れたタンクトップや擦り切れたズボンを着た労働者階級の男たちだった。
なんとなしに視線を逸らしたつもりだったが、どうも気に障ったらしい。
「おい」
無防備にしていた手首を掴まれる。
「随分身なりのいいお坊ちゃんがこんなとこに何の用だぁ?」
「……少し道に迷いまして」
ケンカ売る気満々のおっさんどもが、見た目ただの儚げ美少年のニコラの周りを囲んだ。
酒を飲んで前後不覚、そこに現れた身形のいい坊ちゃん。仕事前にちょっくら脅して金でも巻き上げてまた酒を飲むか女引っ掛けるか──という浅い魂胆が見え透いている。
「へええ! んじゃぁ案内してやるよ。なにオレらこの辺のモンだからよぉ」
「いや結構。一人で帰れますので」
「まあそう言わずによぉ。ちょっくら小遣いくれたらちゃんと目的地まで届けてやるって」
「いいとこの坊ちゃんだろ? そのくらい恵んでくれてもバチ当たんねぇよなぁ?」
……まあ、なぁ。
ニコラとして生まれたおかげで幸い衣食住には困らず、いい暮らしをさせてもらってきた。
食うにも寝るにも困ったことはないし、魔力はあるし、親父殿は存命だし、虐げられた経験もなし。
俺は恵まれている。
だというのにエウフェーミアを泣かし、ロロフィリカの気持ちを無碍にし、リディア相手に嫌みったらしく振る舞い、そのくせ今のところ何一つとして成し遂げていない。
ニコなんてきらい。
ニコなんてきらい。
ニコなんてきら……やめよう傷つく。心が抉れる。
「おい聞いてんのか?」
「怖くて声も出ねえか?」
全く俺は一体なんのためにニコラとして生まれたんだろう。
八巻で魔王軍に寝返り九巻で死ぬためか? 俺が死なないと世界は救われないのか? でもいま自分の手の届く範囲にいる女の子たちさえ傷つけているこの俺が、死を以て救世に貢献することなんて本当にできるのか?
ホント俺なんのために転生してんだ?
なんで本来のニコラじゃだめだったんだ?
ひとつもわかんねえ。
……何一つわかんねーが、こいつらにカツアゲされてやる道理なんぞないってことだけは確かだ。
「つーか痛い目見たくなきゃあ財布置いてどっか行けや!」
男たちのなかで一番ガタイのいいやつが、酔っ払いらしい喧嘩っ早さで拳を繰り出した。
片手を掴まれていた俺は避けることもなく顔面に一発食らう。眉間から額の辺りに鈍い衝撃。一瞬だけくらっとしたが意識を失うほどでもない。
よし。
よーし、よし。
「殴ったな。この俺を」
「……は?」
抱えていた荷物を足元に置いた。返礼品の数々と、エウが俺に投げつけてきた多肉植物の鉢だ。倒れないように位置を調整してから、脱いだジャケットをその上にかける。
「俺はこれからおまえらをボコボコのけちょんけちょんにするが、正当防衛だから仕方ねえな? 先に殴ったのおまえらだもんな? こんな傷心中の儚げ美少年のこの俺からカツアゲしようとしたんだもんな?」
「いや自分で儚げ美少年とか言うなよ」
「もやし小僧が何言ってんだ──」
右の拳を思いっきり振りぬいた。
俺に最初の一発をくれた大男の顔面を打ち抜く。
そう、この、曲げた腕を伸ばした瞬間の筋肉や骨や関節の伸びるような感覚、指の背が他人の肉にめり込む感触、骨と骨がぶつかる衝撃、一発で相手が倒れてくれたときの爽快感。
ああ目が覚める。
ここで「ヒエエエ」とか「すいませんごめんなさい」なんて謝られたら、一応常識あるバルバディア魔法学院生として、戦意喪失した相手を追撃するわけにはいかない。
しかし酔っ払いどもは額に青筋を浮かべながら指の骨をバキバキ鳴らし始めた。
「小僧てめえ本当に痛い目を見たいらしいな……」
おうおう血の気が多くてお有難いことだぜ。
いやほんと忘れがちだけど俺って元やんちゃ坊主なんだよ。
「痛い目見るのはテメエらのほうだクソオヤジども。かかってこいよ軽く相手してやるからよ」
現役引退して長いけど。
最近お坊ちゃまが板につきまくってるけどさ。
ニコなんてきらいとか言われて超超傷ついてる、ちょっと情けない悪役坊ちゃんなんだけどさ。
「いま俺ものすごく機嫌が悪ィんだわ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます