第7話

「これは、どういうことだ!」


 叩きつけたのはレナルドの置手紙。


 ──マリンは命をかけて守ります。

 と、二人の署名が入っていた。


「なんで、こんなことになった! 私の婚約者を攫い逃亡だと!? 何を考えているんだ! レナルドとフリスを捕らえろ!」

「止めたほうがよろしいでしょう、“知”と“剣”に裏切られ逃げられたなど知られたら、王族としての資質を問われ王太子の資格を失いますよ」

「うっぐ、くそ! アンシェルを連れてこい! 今すぐに! あの女さえいれば私はっ」


「アンシェルは渡しません」


「は? なにを言っているんだ? あ、あぁ、婚姻と引き換えの魔術師団長の座か、安心しろ、次期王となる私の“盾”はお前だ、カルラド」

「……ふっ。ええ、魔術師団長の座がほしかったのは、公爵令嬢であるアンシェルとの婚姻には、周りが納得できる程の、それなりの地位が必要だったからですよ。マティアス様には感謝しています。簡単にマリン程度の娘に乗り換え、アンシェルを手放してくださったのですから」


「なに……?」 

「アンシェルの価値に気づけない貴方には、彼女はもったいない」

「お、お前、はじめからアンシェルが目的だったのか……?」


「ふ、ふざけるな! あれは私の妃だ!」


「みっともないですよ、兄上」

「クリフト!」

「アンシェル嬢がいなければ、王太子として認められない自分の至らなさを棚に上げて、恥ずかしくないのですか? そんなんだから王族として忠誠を誓ったはずの“知”と“剣”に逃げられるんですよ」

「なっ、なんで、それを、お、お前か! お前が、私の側近をかどわかしたのか!」

「言いがかりはやめてください、てか、それボクじゃないし」

「うるさい、うるさい! お前のせいで!」


 掴みかかろうと伸ばしたマティアスの手を見えない壁が阻む。


「な、カルラド! 貴様! 誰のおかげで魔術師団長になれるとおもっている! お前は私の盾だろう!」


「違います。魔術師団長は王の盾。次期、魔術師団長である私は王太子の盾です。守るのは貴方ではない」


「なん、だと……」


 言葉の意味を理解し、カクンと糸が切れたように膝をつき、呆然と弟王子の顔を見上げる第一王子マティアス。



「ふふ、ねぇ、兄上、ボクの“盾”は優秀でしょ?」






 医局にカルラドがやって来たのは春の初め。

 久しぶりに会うその姿はしばらくまともに寝ていないのか、目の下に濃い隈を作っていた。


「寝不足、それだけね。薬を出しましょうか? 短時間でもよく眠れるやつ」

「アンシェルが足りない」

「薬は必要なしっと」

 はい、診察終わり、とファイルを閉じる。


「もうすぐ全部終わるから、迎えにいく……」


 春の祭典で第二王子、クリフト殿下が王太子として立たれることが決まった。同時に婚姻式を行いシルヴィア嬢が王太子妃として立つ。もう、アンシェルが王家に望まれることはないだろう。


 今王城は立太子に婚姻式と、準備に慌ただしい。


「こちらから会いに行くわ、“芽吹きの祝日”に」

「めぶきっ!?」

 ガタリと雑に立ち上がるから椅子が倒れた。


「カルラド、落ち着きなさい。まだ終わってないでしょう、アンシェルが納得できる姿を見せるんでしょ?」


 カルラドの唇が震え瞳が潤んでいく。


 芽吹きの祝日は、この春生まれた子供を祝うための祭日。春の女神の祝福を王族が代わりに贈り、この国の子供として登録する、貴族の子の出生届の日。


「だから、半年間会わせることができなかったのよ」

「……ジェンダ嬢……」

「なに、その呼び方、気持ち悪いわね」

「アンシェルを守ってくれてありがとう……」

「や。アンシェルのためだけだから」

 グズグズと涙を拭く男をとっとと仕事に戻れと、しっしと追い払う。


 そう、アンシェルのため。そう言いながら、自分の身勝手でもあった。

 アンシェルがずっと王太子妃として、次期王妃として、妃教育をかんばっている姿を見ていた。


「わたし……王妃にならないと、いけないのかな……」


 一度だけこぼれた、小さな本音に何も答えることができなかった。

 アンシェルから笑顔が消えていくのを、気づいていながら、何もできなかった。


 しかし四年前、学園の人気のない教室でカルラドは土下座で懇願してきた。


「頼む! アンシェル嬢の好むものを教えてほしい!」

「は?」

「趣味! 収集物! 何でも、全て!」


 アンシェルのことを知りたいと、近づきたいと、前髪が額に張り付くほど熱で顔を真っ赤にした男に、この男の方が相応しいのではないかと、アンシェルの笑顔を奪った第一王子よりもカルラドと一緒の方が、アンシェルが笑っていられるのではないかと、そう思ってしまったのだ。


 あの子の努力を無駄にさせることになるのは分かっていた。

 それでも、大切な幼馴染の、あのころの笑顔を取り戻したかった。




「ジェンダおかえりなさい」

「ただいま、今日はどうだった? 気分は?」

「へーきよ、ふふ、何度も蹴るのよ、ほらここ」

 大きく張ったお腹はもういつ生まれてもおかしくないほど。


「あー、ほんと元気な子ね、もうすぐ会えるねー」


 願ってしまうのはやはり、


 アンシェルに似ますよーに、アンシェルだけに似ますよ―に! カルラドにはカケラも似ませんよーに!



 そんな願いも空しく、春の白花が咲き始めた早朝、アンシェルは元気な男の子を産んだ。

 カケラもアンシェルに似たところのない、父親に似すぎた赤子を。




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