この婚姻は誰のため?

ひろか

第1話

「アンシェル、おめでとう」

「え?」


 ぱちぱちと瞬く夕暮れ色の瞳。


「おめでた、だよ」

「えっ!?」


 アンシェルは驚きに口元を押さえ、ゆっくりとまだ薄いお腹に移し、そっと触れた。


「ほ、本当に?」

「ええ、本当よ」


 アンシェルの瞳からポロポロと零れる涙をジェンダは拭う。


「体調が悪いなら、呼べば医官が屋敷まで行くのに」

「ジェンダに診てもらいたかったし、それに、ここなら……」


 王宮の医局に勤める、アンシェルの幼馴染であり親友であるジェンダは大げさにため息をつく。


「あー、ハイハイ、愛しの旦那サマに会えるしねー」

「え、あ、そ、んなんじゃ……」


 アンシェルの夫は第一王子の側近であり、次期魔術師団長という出世頭の魔術士、カルラド。


「全く、あの男の溺愛っぷりは知ってたけど」

「できあい、なんて、そんな」


 真っ赤になって俯くアンシェルには聞こえないよう、ため息をこぼした。

 あの男が急いで子供を作った理由が想像がつくから。


「アンシェル、旦那様のとこまで送るよ、私も薬局に行くし」

「ありがとう」


 アンシェルの幸せそうな笑顔にジェンダも微笑んだ。



 アンシェルは元々、第一王子の婚約者だった。

 十歳で婚約者となり、王宮で妃教育を受け、誰もが次期王妃にと認める成長を遂げた八年後、高等学園卒業と第一王子の婚姻を控えたたったひと月前に、第一王子はアンシェルとの婚約を破棄した。


 第一王子は真実の愛、とやらに気づいたのだという。

 その真実の愛の相手は下級貴族の庶子であるマリンという娘だった。

 その娘とは、彼女が中途編入したという年から、二年もの前から愛を育むという関係を持っていたという。


 授業の後、毎日妃教育として王宮へ上がるアンシェルと第一王子の接点はほとんど学園内でのみだというのに、真実の愛に目覚めさせたマリン嬢のおかげで、二人の関係はますます希薄になり、加えて周囲の諫める声に王子はますますマリン嬢と“真実の愛”とやらを燃え上がらせたのだ。

 婚約者でありながら、第一王子に邪険にされるアンシェルを支えたのは、王子の側近である魔導科のカルラドだった。カルラドはマリン嬢と王子の関係を諫めながらも、アンシェルを慰める内、いつしか心を通わせるようになっていた。


 そして、第一王子の独断での婚約破棄に、カルラドはアンシェルへの愛を告げ、周囲の反対にもあったが、アンシェル自身がカルラドとの婚約を望み、それ以上大きく問題になることなく、二人は学園を卒業と同時に婚姻を果たした。





 アンシェルの夫、カルラドの声は薄く開いた扉の先、第一王子の執務室から聞こえた。


「どういうことだ! マリンの妃教育が一週間前から何一つ進んでないじゃないか!」


 また教師から逃げ出したのかと、呆れ、アンシェルはまぁ、と口元を押さえ顔を見合わせた。


「まぁまぁ、そう怒るなよ、マリンだって精一杯やってるんだ、息抜きだって必要だろ?」

「何を言ってる! あと一年半しかないんだぞ、王妃を納得させるレベルに達するまでに」


 精一杯でも足りないのだ。

 アンシェルが八年かけて妃教育受け、王妃が認めたものをたった二年で身に着けろと云うのだから。


「オレがなんのためにアンシェルと結婚したと思ってるんだ!」


 その言葉に、ピクリとアンシェルの肩が震えた。


「わかってるよ、カルラドには感謝してるさ」

「マリン嬢を王妃にするために、アンシェル嬢を引き取ってくれたことにはホント、感謝してるって」


「っ!」

「なっ……」


 ジェンダはよろめくアンシェルを支えた。


「カルラドのおかげで、公爵家と揉めることなく婚約の破棄ができたのだからな」

「公爵家に睨まれたら、影がマリンに何をするかわからなかったしな」


 公爵家の影。噂では、公爵家が抱える裏の組織だと云われている。どんな些細な事でも公爵家の思うように、都合の悪い存在を削る者たちだと。


「ふん、次期、魔術師団長の地位が貰えるなら、どんや汚い真似でも、なんでもするさ」



 細い肩を震わせ、ポロポロとこぼれる涙は先ほどのものとはまったく違う。


「行こう」


 肩を抱き寄せ、引きずるようにアンシェルを別室のソファーに座らせた。


「邪魔だった? ねぇ、わたくしが、邪魔、だった、から?」

「アンシェル、落ち着いて」

「ねぇ、マリン様を、王妃にするためだったの? だから、わたくしと、結婚したの?」

「アンシェ」

「わたくし……」


 下腹部にそっと触れ、止まらない涙をこぼす。


「わたくしは……」


 そのまま、アンシェルはくたりと気を失った。



「カルラド……、許さないからな……」




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