【文学フリマ東京11/22 本文サンプル】ディストピアアンソロジー『検閲済』

@kawawatari

プロローグ




 もう読むことができなくなるかもしれないと恐怖心を抱くまで、読書が大好きだと思うことはなかった。だれも呼吸が大好きだとは思わないように。

                         ――ハーパー・リー





 極楽東京 二×××年、十一月

 イエロー車両のモノレールに乗り、三駅先のアイル・ステーションで降車する。窓の外は大変な雨で、ビル郡や海も冷えた灰色に滲んでいた。『ブンガクフリマ配布会』はレクリエーションビルのひと部屋で行われるらしい。濡れずに済むのと、僕の住居から程よい近場である点がオールド・ワイズ・マンに選ばれたのだろう。

 レクリエーションビルは煉瓦の壁でぐるりと囲われた、随分と古びた五階建ての建造物だった。エレベーターに乗りながら折り畳み傘を丸め始め、フロアを歩きつつ携帯バッグにもたつきつつしまっていると、薄茶色の髪の女が控えめに声をかけてきた。彼女は赤い服を着ていたので、僕は慌てて居住まいを正した。

「身構えないで結構、今の私は配布会スタッフですから。今日はブンガクフリマ配布会に?」

「ええ、オールド・ワイズ・マンの素晴らしい提案に従って。急な休みだったので、お恥ずかしながら何も予定がなかったのです」

 そこまで言ってしまってから、僕は彼女の気分を損ねなかったか心配になった。ブンガクフリマ配布会にまるで興味がないことが筒抜けの返答だったからだ。

「まあ、では初めていらっしゃったのね。ではブンガクフリマ配布会の楽しみ方の説明が必要かと思うのだけれど、どうかしら」

 しかし彼女は親切で、下階級の僕にも笑顔を絶やさなかった。

 スタッフの女性は僕にフロアマップを手渡し、まず僕らの居場所を指差してくれた。このまま直進して角をひとつ曲がると、すぐに入り口があるらしい。

 会場内部は大きく二スペースに分けられる。マップの大半を占める方が配布スペース、実際に本を受け取るスペースだ。そしてマップの隅に作られた小さな四角が立ち読みスペース、本を受け取る前に内容を確認出来るらしい。殆どの人は最初にここを訪れるそうだ。

 配布スペースでは長方形のテーブルが連なって等間隔に並び、筆者がそれぞれ自分の本の前に座っている。本を貰いたい人は、各テーブルへ赴き筆者から直接受け取るのである。本は印刷数に上限が設けられている為、人によっては終了までになくなってしまうこともあるらしい。

「ここまでで質問は?」

「はい、ひとつ。でも、もしかしたら不愉快に思われるかもしれませんが」

「どのようなことでしょう」

 女性は不思議そうに続きを促した。

「いえ……素人の質問で申し訳ありませんが、ここにはどのような本があるのですが? それは街の書店で配布されている基本五種の冊子と何か違いがあるのですか?」

「基本五種と比べられては困りますね」

 女性は苦笑した。

「仰る通り、ここにある書物は殆どが基本五種の焼き直しです。日本国民芸術クラブに所属する国民は、皆極楽東京、及び国家を完璧に管理する『オールド・ワイズ・マン』システムの優秀さを讃えたくて仕方がありません。百人居れば、百通りの素晴らしさが見えるでしょう。我々は世界一のシステムにより、絶対的な幸福を享受している。ブンガクフリマ配布会はその確認の場でもあります」

 ブンガクフリマ配布会は、女性の回答通りの場所だった。通路を歩けば右も左も俯く人とオールド・ワイズ・マンを称賛する書物で溢れ、しかも中身も類似や重複、基本五種からの引用で溢れ、ひっそりとカバーを入れ替えても暫くは、もしかしたら一生誰も気付かないだろう。

 僕はゆっくりと通路の合間を歩き、一番奥まで到達した。

 そこで足を止めた。

「あなたは筆者ですか?」

 僕は特殊警官が座るテーブルに近寄り、五冊ほど積まれた本を指し示した。そして僕が思った通り、警官は笑ってそれを否定する。

「違いますよ。このテーブルを含め、ここ一列の筆者は皆メンタルクリーンセンターで療養中です」

「一列全てですか……?」

 僕は改めて、通路を奥まで見た。椅子に座った特殊警官がざっと三十人ほど並んでいる様子を眺め、視線を落としてテーブルの上を見た。

「本は好きに持って行って下さい。ただ、どれもまともに読めるとは思いませんが」

「どういうことでしょうか?」

「読めば大体分かりますよ……何も分からないということがね」

 導かれるように、僕の指は目の前の本に触れていた。




『検閲済 編/■■■■■』




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