23.鷹島防衛戦・1274.1016 その2

「あははは、全滅か―― 対馬と同じだ」


 害意を全く感じさせない無邪気イノセントで透明な響き。

 伊乃は口を三日月の形としていた。


 笑み――


 明るさしかそこに無い。それが故に人間離れした笑みだった。


(あの女、来るのかなぁ。ぶち殺すんだけどなぁ。死んでないよねぇ~ 松浦党とかに殺されてたとかだと、がっかりだけど、ひひひひひひ)


 伊乃の頭の中では対馬で殺そうとした女の顔が浮かんでいた。

 股間が熱くなる。

 あの綺麗な顔をズタぼろに引き裂き、血まみれにしたい。

 長い緋色の髪を掴み、地べたを引きずりまわしたい。

 踵で脳天を踏みつけ、中身を全部ぶちまけさせたい。


(ああ、殺したい。殺したい。殺したい。あははは)


 伊乃は桜色をした唇を舐めていた。

 見る者の目を釘付けにするかのような秀麗であり妖艶ですらある姿。

 その薄皮一枚下には怖気をふるうほどの殺意をみなぎらせていた。


「殺したい……」


 不意に思いが口に出る。

 それはまるで、耳元で恋を囁くような声音だった。


 蒙古軍、緋色の暗殺者――

 李娜リーナ

 伊乃はまだその女の名を知らない。


        ◇◇◇◇◇◇


 一二七四年一〇月一六日――

 早朝であった。

 高麗で建造された軍船は、肥後・鷹島沖に巨石と木材で作られた碇を沈めた。

 その地――

 肥後・松浦郷の支配者である松浦党はすでに動いていた。


「きししいししぃ、来よたぁぁ、きたぞぉぉ、とむるぅぅ」

「き、来た、あ、兄者、き、た。ころ、す」


 松浦党――

 この地を支配する武士の一族の総称である。

 血のつながりを重視し、海に生きる獰猛な男たちの群れだった。

 平安後期には、女真族満州族の侵攻、「刀伊の入寇」に対し領土への侵入を一歩も許さなかった一族の末裔である。


 一族で動員された兵力は五〇〇を超えた。

 

「ふ、船で、ころ、せば、よ……かった」


 刃で切れ目を入れたような目をした男だった。

 この地の有力御家人である佐志房さし ふさしの息子であった。

 兄がなおす、弟がとむるという。


 玄界灘の潮風、荒波に鍛えられた猛禽を思わせる双眸の兄弟だった。


 直は見ただけで、へたり込むような巨大な長刀なぎなたを持っていた。

 刃の部分が鉄塊のように巨大だった。

 斬るというよりは、その質量で相手を砕くというような武器に見える。


 留は両手に太刀を持っていた。

 刀身はさほど長くない。

 船上の上での取り回しを重視したかのような兇悪な刃だった。


「けっ、さっきまで荒れていたのによぉぉ~」


 松浦党では、船による攻撃を帰途し、途中まで船を進めていた。

 しかし、波が荒くなり、上陸後の戦闘に切り替えたのだった。

 対馬海峡から玄界灘は、海流の影響、地形によりただでさえ、複雑な潮流となっている。


「ひひひ、まあ、いいやね。どっちでぶっ殺そうが同じじゃぁ~」


 長刀の石鎚をずぶっと砂地にめり込ませ、直は言った。

 この時代の武士の例に漏れず――

 いや、標準的な武士よりも兇悪なものを滴らせていた。

 陸戦においても、彼らは異常なほどの戦闘力を持っている。


「そ、そうか、兄者はか、かしこ、いのぉ」


 兄より頭ひとつ低い留が言った。

 ただ、その姿は異様だった。

 手足が短い。

 が、太い。

 異様に太い。

 骨格からして「人なのか?」と思わせるほど太いのだろう。

 高密度の肉の塊が、人の形をしているかのようだった。

 

 この時代、発掘された人骨の中には、鍛えすぎ骨が変形している者が見つかることがある。

 留は、後世の日本人から見れば、明らかに人類に加えていいのか?と、疑問に思うほどの異形であった。


        ◇◇◇◇◇◇


「広がれぇぇ、広がるんだぁぁ」


 抜都魯バートルの舳先で戎衣を来た男が叫ぶ。

 抜都魯バートルが兵を乗せ進む。

 蒙古・高麗軍の上陸が開始していた。

 銅鑼の音が響き、三角形の旗が風の中を舞う。


「盾、しっかり構えろ。斜めだ、斜めにするんだ!」


 対馬、壱岐のときのような矢の攻撃を警戒していた。

 密集しての上陸は危険だった。

 倭の矢は異常なまで強力だった。

 上陸時にストームの中に入ったかのような攻撃は避けようがない。

 揺れ、兵を満載している抜都魯バートル上は反撃も困難である。

 ただ、矢を防ぐことに専念するしかなかった。


「きやがった!!」


 ガンガンと音を上げ、鋼の嵐がやってきた。

 一撃で盾が粉砕され、兵が叫びを上げる。

 血の匂いが潮の匂いに混ざる。


「忌々しい、矢を放ちやがって」


 だが、上陸舟艇である抜都魯バートルを分散運用したお陰で、全体としての被害は局限されていた。


「問題は、上陸してからだ……」


 分散しての上陸は、兵の集合という点で問題があった。

 抜都魯バートル一艘には二〇人程の兵士しか乗ってはいない。

 近代軍のレベルで言えば「分隊レベル」といったところだ。


 要するにバラバラ各個撃破でやられたら、まずいということだ。

 兵力の分散と集中――

 おそらくは、近代以降の軍が抱える課題をこの時点の蒙古軍は抱えていたのだ。


 ヒュン――

 風を切り裂く音。

 その音を聞いた瞬間、すでに矢は舳先に立つ男の眼前にあった。

「ひっ!」


 男は己が脳天に倭の矢が突き立ち、脳髄を貫通するさまを思う。

 思うが――

 その瞬間は来なかった。


「避けろ」


「な、え…… あぅ……」


 男は言葉を失ったかのように意味のない音を吐き出す。

 己が脳天を貫くはずであった矢が眼前で止まっていた。

 眉間がむずむずするほどの至近。

 肌に触れるか触れないかのところだった。


「鈍すぎるぞ」


 海風に長い緋色の髪をたなびかせた女が言った。

 一切を拒絶し、その上で薄ら笑い浮かべているかのような声音。

 男の脳天を貫くはずだった矢を白い指で握っていた。


李娜リーナ……」


 男は搾り出すようにその名を言った。

 人の形をした兵器の名――

 それが、海風の中に溶けていく。

 高麗人でありながら蒙古の将軍となった洪茶丘直属の特務兵だった。

 彼女は鷹島上陸の尖兵だった。


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