19.博多湾の竹崎李長

「なんだこのくれぇのはぁ」


 壱岐の住民が異変に気づいたのは、蒙古帝国が対馬に侵攻した真っ最中であった。

 海岸には、真っ黒なクラゲかなにかのようなものが、びっしりと漂っていた。

 なんとも奇妙なものだ――

 と、思った男はそれを手に取る。


「馬くそじゃねぇかぁ、くそじゃ。なんでじゃ?」


 実際、山がちの対馬では大規模に利用することはできなかったが、蒙古軍は上級指揮官にいきわたるくらいの馬を運んでいた。

 狭い船倉に長時間留め置くことは、馬にとっても良くはない。

 対馬では馬も上陸し、新鮮な水、秣が与えられていた。

 そして馬糞はそのまま海に流されたのだ。


 この馬糞は九州まで流れ着いた。

 黒い浮遊物の襲来の件は複数の史料に記されている。

 すでに「狼煙」による蒙古上陸は知られていた。

 が、馬糞の漂着はその情報を更に裏打ちするものであり、また兵力の多寡を類推させるものであった。


 対馬での戦闘はほぼ終わっていた。

 虎猿、伊乃、破戒の三人。

 この時代独特の言葉で言うならば「悪党」であろうか。

 あらゆる政治権力にもまつろろわず、己が力だけで生きてた者だ。

 彼らはすでに対馬を出て、九州に向かっていた。

 大量の分捕り品と共にだ。


 そして、補給、休養、訓練を終えた蒙古・高麗を主体する侵略軍は、次の標的の攻撃に移ろうとしていた。

 

 壱岐の島――

 本土により近く、そこに住む人にとっては対馬より芳醇な土地を持つ島であった。

 壱岐の島は対馬のような山はなく平坦な地形となる。

 稲作、畑作に適した地は広大であるが、戦争をするには全く持って不向きであった。

 対馬のように、山岳が自然の障壁になることは無い。

 騎兵も自在に使え、圧倒的な兵力の集中投入が可能であった。


 要するに、島嶼戦という局面では、非常に防御が困難な地勢であったのだ。

 

 壱岐守護代、平内左衛門尉景隆へいないかげたかは、すでに大宰府に援軍の要請をしている。

 援軍は送られていた。

 銭で動く者どもが集められはしたが、二万を超える蒙古軍の前では全く持って、無力に近いものであった。

 最後に送られた、援軍要請の者が大宰府に到着したとき。

 すでに壱岐は蒙古・高麗軍に蹂躙されていた。

 辛酸を極める略奪、殺戮の炎は壱岐の島全島を舐め尽くしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 冬の玄界灘から冷たい風が吹いていた。

 博多湾の近く筥崎宮であった。

 九州各地の有力御家人だけではなく、非御家人(鎌倉幕府と直接主従関係のない武士)や、無領の武士まで、根こそぎ動員したかのような兵が集まっていた。

 また、九州だけではなく、他の地方からの御家人もいくつかは集結していた。

 その数は数千騎以上になろうとしている。


「どうしようもなか! なんばすりゃよかとよッ」


 肥後の国の武士、竹崎李長たけざきすえながは吼えた。


 見栄えのする男であった。

 漆黒の毛をした馬を引きつれ、、亀甲地の鎧直垂よろいひたたれに、萌黄糸威もえぎいとおどしの大鎧を身につけた武者だ。

 

 ただ、竹崎李長は無領の武士と言ってよかった。

 相続時のゴタゴタで気づけば所領の殆どを失っていた。

 地頭である兄より仕事を受け、なんとか糊口を凌いでいるといっていい。

 

「百騎は超えようかという御家人ばかりじゃ、全く目立つことなかッ!」


 竹崎李長はそういって自分の旗持ちである中間の男を鋭い目で見る。

 すまなさそうに、男は視線を避ける。別に目立たないのは彼のせいではないのだ。

 

「どうすればよかと? 三郎殿」


「おう、いかにも手勢が少なすぎたい――」


 零細御家人として、共に出陣した姉婿の三井三郎資長は思案気にいった。


(異国の兵はいつくるかよ、ここで敵の首級ばあげて……)


 と、思うものも、このような大軍が揃っていては自分の出番があるかどうか、手柄を立てる余地があるかどうか?

 竹崎李長には不安しかなかった。


「騎馬二騎……」


 口に出しても馬が増えるわけでもない。

 周囲を固める歩兵といえる郎党もふたりだけだ。


 たった四人がひとつの戦術ユニットとなり何が出来るか?

 異国の軍勢を蹴散らし、手柄を上げ、恩賞にあずかろうとする者は竹崎李長だけではない。

 名を聞くだけで震えがくるような名門・有力御家人が集まっているのだ。

 そのどれもが血に餓えた戦争中毒者で、日々隙あらば所領の拡大を狙い周囲を物色しているような餓狼の群れだ。


「先駆けしかなかろうばい」


「先駆け? 簡単にゆうても、でくるんか?」


 竹崎李長は形のよい眉を上げ、三郎に返答する。


 戦の手柄のひとつは敵陣に真っ先に突撃を敢行する「先駆け」というものがあった。

 が、手柄の重さでいえば「分捕り」には大きく劣る。

 敵を捕らえる、敵を殺す。

 この「分捕り」がなによりも評価が高い。


(この武者の数では、ワシらがどうにかする前に、根こそぎ分捕られてしまいかねんばい)


 いまいる陣から敵が襲来する。

 そして突撃――

 零細御家人である自分たちが、一緒に動き出して勝てるようには思えない。

 下手すれば、邪魔者扱いされ、味方の的にされかねない。

 理不尽な後弾うしろだまはこの時代でもあり得た。


「しっかも、大将の少弐資能は、ここを動くなちゅーとるっち」


 武藤氏である資能は、大宰府の長官である「大宰少弐」の地位にあった。

 そのため「少弐」と呼ばれている。

 今回の九州防衛軍の指揮官ともいえる立場にあったが全軍を完全に掌握しているわけではない。


 この時代の御家人、特に有力御家人は大きな自由裁量を持ち独自に動くことが可能だった。

 すでに少弐資能が掌握する肥後の兵以外、筑前、肥前などの御家人たちは動き出していた。


 一方で、少弐資能は、指揮下にある全軍を集結させ、内陸に引き込んでの殲滅を計画していた。

 実際問題、上陸時を襲撃するのが最も戦果が上がるであろうことは分かっていた。

 対馬ではそのような戦闘が行われたことが知らされている。

 ただ、九州防衛戦闘では数が問題だった。

 また、博多湾を上陸地点と想定してはいたが、それは確実ではない。

 早めに博多湾に全兵力を展開してしまうのは戦術的なリスクが大きい。


 確かに肥後だけでも兵の数は、対馬、壱岐に比べれば圧倒的だった――


 しかし――

「守るべき海岸線が広すぎる」と、いうのが少弐資能のひとつの懸念であり、大軍を奥まった地点に待機させる理由となっていた。


 二九歳の若き指揮官は迷い、そしてそのような決断に至っていたのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「大将殿に、先駆けの許しを得ようかい」


 三井三郎が言った。


「うーん…… 先駆けちゅーても四人ばい」


 竹崎李長は決して怯懦きょうだの男ではなかった。

 が、無謀なだけの男ではない。

 騎馬をいれて四人。先駆けをして生きて帰れる保障はなにもない。

 対馬、壱岐では御家人は全滅したという。

 決して生ぬるい相手ではないだろう。


 この異国侵略の機に、なんとか手柄を上げ幕府より恩賞を得ることが目的であった。

 討ち死にも手柄にはなるのだが、死んでしまっては恩賞の味わうこともできぬ。

 とにかく竹崎李長は地頭になりたかった。

 親戚、兄に頭を下げまくり、地べたを這いずるような思いはこれ以上したくなかったのだ。


「お侍様――」


 不意に声がした。そして唐突に人の気配を感じた。


「なん…… お前らなんぞ?」


 李長は、なんとも形容しがたい顔で、声の主を見た。

 声の主は坊主であった。

 なんとも脂ぎった、悟りや説法とは程遠い印象のある僧形の男。

 そして、長い髪の毛を弄っている……


(なんぞ? 巫女か? 戦場ぞ?)と思わずにいられない女だった。

 それも自分の故郷では目にしたこともない美貌の女であった。


 最後に、李長は息を飲んだ。

 李長とて人に遅れをとるような体格ではない。

 鍛えられた見事な身体をしているのは大鎧の上からでも分かるくらいだった。

 しかし――

 その男は全く比較にならなかった。

 そもそも、比較すること自体に意味があるように思えなかった。

 人と獣や怪物を比較する者はおるまいということだ。


「人手が入用でしたら、ご相談できまするが」


 僧形の男は、俗ッ気たっぷりの笑みを浮かべ、竹崎李長に言った。

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