14.局面打開

 戦は楽しい――

 洪茶丘こうちゃきゅうは思う。


 佐須浦の蒙古・高麗軍の本陣司令部のパオであった。


 いや、正確に言うならば戦の中で発生する略奪、蹂躙、虐殺が楽しいのだ。

 死の恐怖に震える人の絶叫も、すがり付くような命乞いも、怨嗟えんさの声も耳に心地よかった。


 圧倒的な暴力により屍を築くのは、最高の愉悦を我が肉の内に溢れさせる。

 洪茶丘は手を見た。自分の手だ。

 乾いた血で汚れている。

 手のひらを合わせこすると、手垢と血が混ざった紙縒こよりりのようなものが出来上がる。

 出来上がった紙縒りは、地図を広げた台座の上に並べられていた。

 血は昨夜犯した倭の女の者だった。

 腸を引きずり出し、血まみれの中で犯してやったのだ。

 

(最高だ……)


 洪茶丘はうっとりと昨夜のことを脳内で反芻はんすうする。

 血の暖かさ。そして、だんだんと温度を失っていく女の肉――

 その中を穿り返し、貫き、精を放つのは最高だった。

 己が肉まで蕩けて、肉の中に放たれているような錯覚を覚える。

 最後に首を切り落とし、血を浴びながら腰を振る。


 夫、子の見てる前でだ。

 叫び、嘆き、悲しみ、慟哭の声が、なによりも気持ちよかった。

 言葉が分からずとも、万国共通だ。


 洪茶丘は、血と手垢で作った紙縒りを作る。

 泥と血の混ざったような色をした紙縒りが地図の上に何本も置かれていた。

 洪茶丘は手を止める。


(国府を潰したら、もうめぼしい物はなかろう――)


 洪茶丘の中では対馬での戦はもう終了していた。

 佐須浦での倭兵の攻撃は驚くべきものであったが、それはもう二度と出来ない類の戦いだと思っている。

 こちらも大きく兵を減らしたが、奴らは兵を半減させているはずだ。

 まだまだ、味方の兵は二万を超える。

 所詮、戦は数である――

 どのような優秀な武器をもっていようが、どのような勇猛の兵がいようが、圧倒的な数の前では意味のないことだ。

 洪茶丘はそれを知っていた。だからこそ、高麗を見限り、蒙古に付いたのだ。

 蒙古は、武官を蔑視はしない。力のある者を正しく評価する。

 だからこそ、自分はこの地位にいるのだと、洪茶丘は思う。


「洪茶丘様!」

「ん? なんだ」


 それは、戦場からの伝令であった。

 まだ早すぎるのではないか?と、洪茶丘は思う。

 捕虜であった倭人の話では島の反対側まで、三から四刻(六から八時間)はかかるという話だ。


「ん、李娜リーナの隊の者か?」

「はい」


 パオに入ってきたのは女であった。

 洪茶丘直属で、戦場の目となり耳となり、情報を集める者である。

 李娜リーナというのは、隊長の名であった。


 伝令は告げた――

 戦いは倭の伏兵により一方的になっていること。

 先行していた百戸隊が全滅。

 

「莫迦な…… ありえぬ……」

「事実です」

「ぬぅぅ」


 洪茶丘はガンっと机を叩いた。

 垢と血でできた紙縒りが飛びちる。


「崩せ―― 李娜リーナに伝えよ」

「もう、動いております」

「そうか…… ふふ、そうか」


 洪茶丘は口に下卑た笑みを浮かべる。 


「あ奴が動くのであれば、もう問題はなかろう……」


 洪茶丘はキュッと目を細め、その言葉を口にしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 戦はもはや「戦闘」と言ってしまうには、あまりに一方的であった。

 数名の兵が逃走する。


「うぁぁぁあ!」


 悲鳴のような大音声で、高麗兵のひとりが何かを投げた。 

 崖上の宗助国の兵たちに向けてだ。


「む? なんじゃ」


 宗助国は奇異の声を上げる。

 齢六八の古強者にして見るのが初めてのものだ。

 六寸か七寸二〇センチ程度の黒い球が、力なく飛んでくる。

 どうみても、届きそうにはない。

 

 が――


 轟音と煙ともに、その球が破裂した。

 濛々たる煙が視界を塞ぐ。

 一発だけではなかった。

 逃げにかかった、高麗兵たちが次々とその球を放り投げた。

 続けざまに耳を貫くような轟音。

 

「ぬっ――」


 コンッと兜に何かが当たった。

 鉄片のようであった。

 

「これは…… なんじゃぁ?」


 煙が視界をふせぎ弓を放つどころではなかった。

 下の山道では、虎猿も動きを止めていた。

 その顔に驚きの色は全く無い。

 ただ、起こった事実を闇のような双眸で見つめているだけだ。

 視界を塞がれ、追撃ができなくなったことは確かであるが、それ以上のことは何もなかった。


 高麗兵が使用したのはいわゆる「鉄砲てつはう」だ。

 黒色火薬ブラックパウダーを使用した原始的な火薬兵器であった。

 鎌倉武士はこの兵器に苦戦したという説が根強かった。

 この説は、最近になり発掘された未使用の「てつはう」から否定的な意見が強くなっている。

 また、国内ではなく「元史」などの史料においては攻勢時に使用する兵器ではなく、退却を支援する「煙幕弾」のような運用が記載されている物が見つかっている。

 発掘された「てつはう」を分析した結果、当時の黒色火薬の成分は、木炭の割合が多く、爆発というよりは「爆燃」に近い現象を起こしたのではないかと推測されている。

 破裂するてつはうの破壊力はたいしたことがなかった。

 それであっても、初見の鎌倉武士が驚いたことは確かであろうし、本来繊細な生き物である馬に対しまともな動きをできなくする効果はあったであろう。

 ただ、鉄片などが混じっているにせよ、その殺傷能力は限定的であり、退却時の煙幕に使用されたという説が有力視されている。


 今回も撤退、逃走という点においてだけは、十分にその効果を発揮したのであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「むう、少し取り逃がしたか……」


 宗助国が言った。

 煙は晴れた。

 そこには、生きた敵はいなかった。

 骸と血で泥濘となった道だけが残っている。


(少し上げすぎたか……首ひとつ銭一貫文)

 

 宗助国は虎猿の尋常ではない殺傷能力の高さを思う。

 本来、首ひとつを得るのは並大抵の苦労ではない。

 それをあの男は、枝でも払うかのように敵の首をはねねる。

 最初の値付けが甘かったかと思うが、それは後でどうにでもなろうと思う。


「次はどうでてくるか?」


 宗助国の後ろから、まるで彼に話しかけるかのような声だった。

 三人の内のひとり、坊主姿をした者だった。名は忘れた。


 宗助国はその言葉を受け、考える。

 まず、ここに我らがいるのは知られた。

 敵はどうでるか?

 力押しでくるのか?

 迂回してくるのか?

 船の移動を考えるのか?


 宗助国は佐須浦海岸の見張りに着いている者に厳重に見張るように言った。

 今すぐには動くまい――とは、思うが敵はその選択肢も取りうる。


「迂回か……」


 その問題点を口にし、この周辺の地形を思い浮かべる。

 そう簡単に背後に回れる地形ではないが、不可能ではない。

 以前も思ったのだが、少人数なら可能だ。


「陽動もあるか――」


 少数を背後に回し、一気に下の山道を通過。

 この位置まで迫ってくるという方法をとれないこともない。

 なにせ兵の数が違う。

 もし、敵が出血をものともなしない強兵であれば、数によってこちらの攻撃を突破される可能性もないではない。


 どちらにせよ、自分たちの兵には限りがある。

 出来ることは、限られていた。

 

「力押しで来ても、耐えられそうであるな――」


 先ほどの人とは思えぬ虎猿の人を粉塵とするかのような戦いを見ている。

 銭は惜しかったが、今は虎猿の力でなんとかなりそうであった。

 一番良いのは、戦働きをして、その後に流れ矢にでも当たって死んでくれればいいのだが……


「そうよなぁ、戦場いくさばに流れ矢はつきものよ。ひひぎぎぎぎ」


 我ながらいい事を言ったというように、宗助国は笑った。


        ◇◇◇◇◇◇


「本当に別嬪やのぉぉ」

「そうでもないですよ」

「んにゃ、わしは天女様かと思ったぞ」

「そんな、確かにわたしは美人だけどね。さすがに天女は、ないですよ」


 激戦が繰り広げられた断崖から奥まった場所。

 広葉樹林が生え、落ち葉とどんぐりが堕ちている地面に、百姓と伊乃がいた。

 戦の激しさなど関係ないという感じで談笑しているのだった。


「これで、もうちっと胸があればのぉ」


 そう言って無遠慮に伊乃の胸に手を伸ばす百姓おやじ。

 すっと、白い指先が動き、一瞬で百姓の腕を握る。


「あたたたたた!! いたぁぁぁ!!」

「だめですよ。お痛は」

「あがぁぁ、勘弁してくれ」


 手首を握られた百姓の指から手のひらが紫色に変色していく。


「!!」

 

 伊乃は百姓をそのま振りました。

 まるで簿布のように体が振り回された。

 その体に、矢が立った。


「ぎゃぁぁぁ!!」


 その場にいた百姓たちが矢で射抜かれ倒れていく。

 いずれも、脳天を射抜かれ《ヘッドショット》ていた。


 伊乃は百姓だったも物の肉体を盾として矢をふせぎ、地を転がる。

 そして、矢の飛んでくる方向を見やった。

 一〇人くらいの兵――


「敵――。上等よ」


 伊乃は百姓を投げ捨て、弓と矢をとる。

 太い木の後ろに隠れる。

 ガンガンと木に矢が突き立つ。


「女…… なの……」


 一瞬だけ、相手を見やる。

 敵の中にひとり、鮮血をぶちまけたような、長い髪をした者がいた。

 長い髪を二箇所で結わき、風の流れの中で舞わせていた。

 肌に密着し、体の線を浮き上がらせる服を着ている。

 その線は女であることを、この距離からでも主張していた。

 美麗な、寒気のするほどに美しい女であった。


 伊乃の身の内に高圧の殺意が生まれていた。

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