9.舟艇機動奇襲の可能性

 厳原の国府に宗助国の軍勢が到着したのは、戦闘の翌日の未明であった。

 戦塵を浴びた兵たちの内、生還できたものは三〇〇名を切っていた。

 四から五倍に達する蒙古・高麗上陸軍との戦闘で二〇〇名以上が戦死していた。

 負傷者にいたっては、無傷な者がいないと言ってもいい有様だ。 

 そこかしこで、負傷兵の手当てが行われている。

 負傷と疲労が武士たちの肉体を襲っていた。

 が、その士気はまだ高い。


「がぁぁぁ。くせぇ」

「我慢しろ」


 鎌倉時代の矢傷の治療は「馬糞」を塗りこめるというものだ。

 内臓が飛び出るような傷には、内臓と一緒に馬糞を詰める。

 さらには、水で溶いた馬糞を飲むということも行われる。


 鎌倉の世であっても馬糞を水に溶かしたという最悪の飲み物を飲みたい者などいない。

 ただ、抵抗するものは、羽交い絞めされ、強制的に飲まされていたということが記されている史料もある。


 このような治療では逆に死ぬのでは?

 と、思うかもしれない。

 が、人体の回復メカニズムには現代でもまだ不明な点がある。

 プラシーボ(偽薬)効果などその最たるものであろう。

 馬糞であっても、治る者は治ったし、駄目な者は駄目だった。

 ただ、それだけである。この時代、出来ることは限られる。


 対馬守護代である宗助国は手傷を負いながらも生還していた。

 彼の息子である宋馬次郎、養子の弥次郎など主だった者は無事であった。

 大鎧の強靭な防御力は、蒙古の主兵装である短弓の攻撃に耐えた。


「殺すぞぉぉ、ひと段落したら、また戦よぉ~」


 宗助国は傷に馬糞を塗られ笑みを浮かべていた。

 汗と血と馬糞が混ざり合い、どろどろになった上に布が当てられる。

 まさに血と糞の匂い。戦場の匂いだった。かぐわしい。


「馬糞さえ、塗っておけば問題なかろうよ」


 鎌倉武士の標本のような彼にとって傷に馬糞は信仰レベルだ。

 それゆえに、細胞ひとつひとつまでが傷の治癒へと強制起動させられる。


「首だぁ、もっと首を飾らねばならん」


 撤退の中、わざわざ持ってきた敵の生首を屋敷の周囲に晒している。

 狩り獲った敵の首を並べるのは、なんとも気持ちがいいものだと、宗助国は思う。

 目玉を穿りかえされ、どす黒い血の塊で染まった眼窩を持つ首。

 頭蓋を破壊され、割れ目から溢れた脳漿で顔を化粧した首。

 無傷でキレイな首は少なかったが、それもまた戦の風情というものだ。

 宗助国は悪くは無いと思い、ひとり頷いた。


「殿、水を」

「おうよ」


 配下の者より渡された水を一気に飲んだ。

 口の中の血の味が水とともに喉に流れ込む。

 それも、戦の甘露のようなものだ。美味いと、宗助国は思う。

 水を一気に飲み、周囲を見やる。

 六八歳と思えぬギラギラした視線だ。

 たがの外れた狂気の色がその瞳に浮き上がっている。


(さて、動けるものはどれほどか?)

 

 戦の楽しみに酔っている様でありながら、戦力の再編成について冷めた思考をする。

 生粋の戦人戦争中毒者であり、武篇の者であった。


(やはり、夜襲か)


 日中、日の沈むまでを休憩時間に配当し、日没後動けるもので佐須浦方面へ移動すべきか、と宗助国は考える。


 戦闘が行われた対馬・佐須浦の海岸から厳原の国府までの山道は二十一キロメートル。

 峻厳な山道だ。標高差四〇〇メートル以上のアップダウンがある。

 鍛えられ、地理に明るい宗助国の軍勢であっても行軍には五時間以上がかかった。

 戦闘直後の疲労、負傷を考えると奇跡のような速度ではあった。

 それを基本にして、戦線佐須浦への進出を考える。


 夜間、海岸に布陣しているであろう、敵拠点への強襲――

 国府にはまだ数会戦行えるほどの矢の備蓄がある。

 兵糧も代え馬も問題はない。


(兵は百かそこからか――)


 宗助国は再編生後の戦力に見当をつける。

 夜間強襲であれば、兵の数はさほど問題はない。

 むしろ精鋭を選抜すべきだった。

 周りが敵ばかりなのだから、手当たりしだい首を狩ればいい。

 狩り放題だ。


「父上」

「ん、なんだぁ? 馬次郎よ」


 息子の馬次郎の呼びかけに思考が中断される。


「蒙古の船はこちらへ来ませぬか?」

「船か……」


 不意をつかれた思いだ。

 確かにその可能性はあった。

 軍船により厳原に侵攻することは可能だった。

 島の南側を回り、佐須浦の東にある厳原に沖に出ることは可能だ。

 

「見張りを出さねばならぬか」

「すでに出しております」

「そうかよ」

 

 父、宗助国はなかなか出来るではないかと、息子を見つめる。

 厳腹沖の見張りはいい。すべきだった。

 しかしだ――


(冗談ではないわ。船でこられたら、こちらが危い)


 宗助国は数万とも思える蒙古の軍勢に対しても負けることなど考えない。

 殺しまくって、勝つ――

 どんな手段をつかっても勝つ。

 滅び、敗者の美学など微塵もない。

 まさしく前期封建制の中に生きる武士であり、勝たねば何も得られず、全てを奪われるということを骨の髄で知っていた。

 その冷徹な論理が、自軍の危険を知らせていた。


「うかつには動けぬかよ」

 

 積極的な攻勢に出て敵にダメージを与えても、本拠地である厳原を奪われては戦闘目的を達成するのは困難になる。

 宗助国は考える。

 対馬の占領を防ぐこと。

 敵の大きな被害を与え、本土進攻を遅らせること。

 さすがに、今の手勢で本土進攻を諦めさせることは無理であろうというのは宗助国にも分かっている。

 

「蒙古は何を狙っておるのだろうな」

「我らの殲滅でしょう」


 涼しい顔で、当たり前ではないかと、宋馬次郎は言った。

 ギロリと刃を含んだような視線を息子に向ける宗助国。


「まあ、やらせはしませぬが」


 父の物騒極まりない視線を真正面から受け、馬次郎は言った。

 ふてぶてしさすら感じる表情を浮かべている。


「ぬぅ……」


 息子の言いたいこと。その読みについては分かった。

 確かに、蒙古の兵団を乗せた船の動向が不明ではうかつに動けそうもなかった。


物見監視兵を置いておくべきだったか――)


 と、一瞬だけ思うが、船の移動速度と山中を行く者の移動速度を考えると、佐須浦近くに物見を置いても問題の解決にはなりそうになかった。


 いっそ国府を捨て、物資を山中の拠点へ移動させるか――、と考える。

 なんとも消極的であり腹の立つ考えであったが、負けぬためにはそれも慮外にすることはできない。

 

「どう思うかよ」

「来る、来ないは分かりませぬが、ここを拠点とするのは下策かと」

「国府を捨てよと?」

「いたし方ありませぬ。負けぬためには」


 戦の勝利を最優先する息子の言葉は分からぬでもない。

 が、守護代の立場としては面白くはなかった。


「下知を待て」

「はっ」


 話を打ち切る。

 とにかく、次の手を考えなければいけない。

 ここに残り上陸してくる敵を撃つか?

 佐須浦の敵に夜間強襲を仕掛けるか?

 国府を捨て、山中の拠点に退却するか?


 だが、どれを行うにせよ今すぐ動くことはできそうにない。

 今しばらく、考える時間はありそうだった。

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