4.蒙古・高麗軍、佐須浦上陸

八幡愚童訓はちまんぐどうくん」という史料がある。元寇における貴重な第一級史料と評されていた。

 元寇より七〇~八〇年近く後の世、石清水八幡宮の神官職によって記された物とされている。

 近年まで、対馬における戦闘状況の詳細ついては「八幡愚童訓はちまんぐどうくん」に記載があるのみと信じられてきた。


 それによると――

 守護代・宋助国が率いる軍全は数千の蒙古・高麗連合軍に蹂躙され全滅。

 元・高麗軍の集団戦法に鎌倉武士は個人戦を挑み、バラバラで戦い殲滅された。

「てつほう」という火薬玉が大きな威力を発揮した。

 対馬の住民はは根こそぎ殺されたか捕虜となった。 


 と、いうようなことになっていた。

 しかし、この史料の信憑性――

 特に戦闘の実態については、信用ができないという評価が定まっている。

 史料全体を俯瞰したとき、その内容は全くの出鱈目といってしまうことは出来ない。

 ただ、想像で補完された記載が多いというのも事実ファクトである。


 リアルタイムで書かれたものでないこと。

 恩賞において武士の競争相手であった石清水八幡宮の関係者が書いたこと。

 中世の軍事常識から考え、ありえないことが複数個所あること。

 

 などの理由から戦前より懐疑的な見方をする史学者も多く存在した。

 更に、二十一世紀に入り『高麗人民連邦の自由化、情報公開チョンボゴンゲ』により多くの史料が見つかることになった。とくに中世から近現代に関する多くの史料が発見され、今までの定説が覆されることも多くなった。


 文永の役における対馬の戦いも、定説、通説を覆すものであった。


        ◇◇◇◇◇◇


 対馬――

 佐須浦の海岸である。

 守護代・宋助国の手勢、重甲騎馬弓兵八〇騎が矢を放つ。

 二三〇センチを超える長大な弓は、前後に竹を張り、藤をまき付け漆を塗った物である。

 完全な合成弓コンポジットボウである。

 握り手は、下から三分の一の位置にあり、騎乗での操作の障害になりにくい。

 また、自然に仰角が付くため、飛距離が大きくなる。


 これは、対米戦争における、皇国陸海軍戦闘機が機銃・機関砲に仰角をつけ装備しているのに似ているのではないだろうか。

 要するに矢であれ、弾丸であれ、砲弾であれエネルギーを与えられた物体は放物線を描き飛翔するという理屈である。

 であるならば、仰角は命中率を上げ、飛距離を伸ばす効果を上げる。


 その矢の速度はどの程度か?

 三十三間堂の軒下約百十二メートルをほぼ水平に飛ぶ矢は秒速九〇メートルを越える可能性がある。

 これは、現代の競技用和弓の1.5倍の速度となる。

 計算上、三〇メートル以内の距離であれば二センチの通常鉄板をぶち抜く。

 その威力は近代の軍用ライフルと大差がない。

 

 そのような凶悪極まりない威力を秘めた矢が百本近く射出された。

 最も海岸に迫っていた抜都魯バートルまで六〇メートルほど。

 実戦における有効射程エフェクティブレンジ限界であった。


「あぎゃぁぁぁぁ!!」

「あいごぉぉぉぉぉ!!」


 浜風に混ざり、悲鳴、うめき声が届く。

 宋助国は断末魔の高麗兵の奏でる戦の調を聞く。

 耳に心地よいと心底思うのだった。

 死に際の人の上げる声は何と気持ちいいのだと。


(蒙古か高麗か知らぬが、もっと殺してやる)

 

 六八歳の古強者は、捕食獣の笑みを浮かべていた。

 宋助国介はえびら(矢を収納できる箱)から矢を抜き出す。

 合戦における矢の平均的な定数は六〇~七〇本といわれる。

 矢をつがえる――


「殺せぇぇ! もっとだ! この対馬から生かして返すなッ!」

 

 大音声と弓の弦が弾ける音。

 鋭い風きり音を上げ、矢がはしる。

 矢は篠竹に焼入れをして一直線に加工したものだ。

 このような手の込んだ矢を使う国家は、中世の地球には存在していない。

 この時代最高の精密加工兵器だ。


 鏃には複数の種類があるが、使用されるのは貫通力、飛距離を重視した「征矢」だ。

 大鎧を貫き、距離によっては馬の身体すら貫通しかねない代物だ。


 凶悪極まりない対馬・鎌倉武士団からの斉射は、元・高麗連合軍の抜都魯バートルを的確に狙う。恐ろしい程の収束率であった。


 盾を立てる兵もいたが、盾ごと貫通される。盾を貫いた矢に頭を田楽刺しにされ、なにかの前衛芸術のようになっている兵もいた。高麗兵だった。

 

 危険な尖兵、補給、雑用などに使われるのは、被征服国の民であった。

 言ってみれば、高麗政府が差し出したどうしようもない貧民の群れだ。

「倭では略奪し女を犯し放題である」と聞かされ、臭くとてつもなく不潔な船内で膝を抱えていた者どもだ。

 玄界灘の波濤に揺られ、平衡感覚はまだ狂ったままだ。

 それでも、高麗の地で王朝に見放され、生存限界ギリギリの中にいた彼らにとっては「まだマシ」な状況であった。

 

「速くしろぉ!! 速く! てめぇ! 速く漕ぐんだ」


 盾の後ろに頭を隠しながら、漕ぎ手に絶叫する高麗兵。

 一〇戸長として、この船の兵を束ねるものだろう。


 盾は剣山のようになっていく。ズブズブと矢が刺さり、豆腐に箸を刺すように貫通していく。

 

 盾を斜めにすることに気づいた兵はなんとか、矢の攻撃を凌いだ。

 身を低くして隠れる。

 言ってみれば避弾経始スロッテッドアーマーを作ったようなものだ。

 

 ガリッと船首が何かを噛んだ。

 抜都魯バートルが、波打ち際に乗り上げたのだった。


「上がれぇぇ! 上がるんだ!」


 高麗兵の一〇戸長が声を上げた。

 抜都魯バートルから高麗兵が降りる。水しぶきを上げ、浜に駆け込んでくる。

 そして、矢が刺さり剣山のように、後世の表現でいえばサボテンのようになっている盾を展開する。


 矢はそこにも次々降ってくる。

 浜を走っていた高麗兵が目玉を打ち抜かれ、後頭部まで矢が貫通する。

 そのまま、ひっくり返って、手足をバタバタさせていた。

 己の身に何が起きたか分らず、走り続けているつもりであろうか。

 

 海岸にはさほどの間を置かず、次々と抜都魯バートルが乗り上げる。

 船を進めたタイミングが大きく狂わなかったからだろう。

 ある程度広い範囲であるが、完全にバラバラという状態ではない。

 連携行動が可能な状態での上陸であった。


 それは、宋助国の率いる武士団にとっては、面倒な状況といえた。

 運動戦となった場合、敵の数があまりにも多すぎる。

 船上で死傷させた兵は少なくは無いが、戦術的には限定的なものであったからだ。


 重甲騎馬弓兵たる鎌倉武士たちはそれぞれ、自分の手勢を連れそれぞれの目標に向かっていく。


「いけぇぇ! 分捕れぇぇ!」


 分捕り――

 つまり、敵の首を獲れと叫び、馬と共に突撃。

 間合いを詰めれば、弓の効果は増す。

 この時代、弓には零距離射撃の技術すら存在していたのだ。


 対馬における血みどろの戦いは始まったばかりであった。

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