第6-9話 まあいいけど
そして、始発にも乗り遅れた私は、慌てて支度をしていた。
「あんたたち、なんで起こしてくれなかったの!?」
「だってー、すやすや寝てたからー」
「ああ。ぐっすり眠っていて、起こしづらかったな」
「そんなことはどうだっていいの! ただでさえ、一日遅れてるんだから……あー、もう!」
「まなさん。落ち着いてください」
「ええ、そうね、落ち着くわ……」
最近、何かとイライラしていけない。歳のせいかもしれない。いや、単に、食事が少ないために、脳に栄養が足りていないのだろう。うどんも吸収されなかったわけだし。もったいないことをした。
「ユタさんのところへ行かれるんですか?」
「ええ。あんたは、もう行ってきたって感じね」
「はい。ですが、まなさんは行かない方がよろしいかと」
「なんで? てか、あんた、女王になったんじゃなかった?」
「いいじゃないですか、誕生日くらい羽目を外したって。公務の方は……まあ、置いておきましょう。考えても疲れるだけなので」
重要なことを置いておかれた気がするが、思えば、私は国政についてよく知らない。まあ、周りに興味がないのは、いつものことだ。
「まなさんは、どこまでご存知なんですか?」
「何の話?」
「五年前に、戦争があったことは?」
「さすがに知ってるわよ。エトスが亡くなったって聞いたわ」
「まなさんのお父様もですよね」
「ああ、そうだったわね。まあいいけど」
確か、結界を張って死んだのだったか。相変わらず、どこまでも魔族思いの魔王だった。家族よりも魔族の未来を優先していた。
「……何が、まあいいんですか?」
マナが少し怒ったように問いかけてきた。なぜ、怒っているのだろうか。
「あたし、何か、気に障るようなこと言った?」
「──本当に、私が言わないと分かりませんか」
マナはさらに剣幕を強める。思い当たる節がないわけではないが、
「あんたが怒ることないじゃない。あたしと魔王の問題なんだから。どう思おうと、あたしの勝手でしょ?」
マナの視線が鋭く光ったような気がした。私はその瞳から目をそらし、長い白髪を手櫛でとく。
「本は、読みましたか?」
「本? ……あ。あー、あれね。すっかり忘れてたわ」
私はリュックに入っている、白い装丁の本を思う。何が書いてあるかは知らないが、八年経ったら読んでもいいと、以前、マナに言われた本だ。それから、ちょうど、八年になる。
「まあ、売るにも売れないし、たいした荷物にもならないから、持ち運んでただけよ。意外と軽いし」
どうせ、他にリュックに入れるものもなかったので、入れておいた。リュックを開けることなんて滅多にないので、すっかり忘れていたけれど。
「……きっと、私が命を落としても。まなさんは、まあいいやで済ませて、すぐに忘れてしまうんですね」
「ええ、そうね。きっとそうに違いないわ」
マナが何を言っているかは知らないが、とりあえず肯定しておく。もう、何もかも、すべて。どうでもいい。まゆさえ、いてくれれば。
ふと見ると、マナは右手を握り、寒そうに擦っていた。
「──指輪、まだ持ってたんですね」
「ああ、これ? 売ろうとしたんだけど、こんな状態じゃ売れないって言われたのよ。あーあ、あのとき、あかりに時を戻してもらえば良かったわ。なんで断ったのかしら」
マナは手を握ったり開いたりして、深呼吸をしていた。私はそれを半分くらい意識に入れて、絡まる髪に苦戦していた。
「れなさんが亡くなったことは、ご存知でしたか?」
「そうらしいわね。ずいぶん騒がれてたから。本当に有名だったのね、あの人」
「……それだけですか?」
「ええ。それだけよ。もうあたしとは関係ないし。あれから、一回も会ってないし。手紙も来てないし」
マナは手を強く握ったまま、目を閉じていた。私は髪をとくことを諦め、半ばから絡まったまま、リュックを背負って立ち上がる。
「まな、もう行くの?」
「もう、って言うほど早くないわよ。それに、行かないでどうするの?」
「ここまで来ると、急いだって、たいして、変わらないだろ」
「そ、そんなことないわよ。少しでも早い方がいいはずよ」
「誕生日は昨日だけなんだろ?」
「もう、ほんっとうに、うるさい!」
「ははっ」
マナがどこか痛そうな顔で、私を見ていた。多分、二人が見えないから、どうしていいのか分からないのだろう。まゆのことはすぐに忘れられても、ハイガルの方は記憶に残るだろうし。
それでも、私にはちゃんと見えている。
「まなさん」
「ああ、マナ。何?」
「どうして、ユタさんに会おうと思ったんですか?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「──答えてください」
マナは真剣な表情で尋ねた。たいした理由ではないのだが、聞かれたので答える。
「今でも別に何もしてないんだけど、ユタをよろしくって、色んな人とかドラゴンに言われたから。……まあ、これで、魔王に即位したら、一応、ユタも大人になるわけでしょ? だから、もう面倒見なくてもいいわよねって、その確認だけしておこうかと思って」
「……それで?」
「それでって、それだけよ。簡単に言えば、ちゃんと縁を切ろうかと──っ」
──一瞬、何が起こったのか、分からなかった。
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