第4-17話 僕の悩みを話したい

 机に伏せていた。本当に、僕はどうしようもないやつだ。


「大丈夫か?」


 かけられた声に顔を上げる。青い髪に茶色の瞳。確か、ハイガル・ウーベルデンだ。ちゃんと話すのは初めてかもしれない。


「全然、大丈夫じゃない」

「だろうな」


 ハイガルがお茶を注いできてくれた。僕は、ありがたくそれをいただく。


「ハイガルくんでいい?」

「ああ。別に何でも。榎下、だったか」

「僕のことは、あかりって呼んでよ。僕さ、ずっとハイガルくんと話してみたかったんだよね」

「そう、なのか?」

「そうそう。だから、気軽に話しかけてよ。ね?」

「お、おう……」


 引かれたかもしれない。まあ、人の心など完全には読めないので、考えても仕方のないことだが。


「ハイガルくんって、ルジさんの知り合い? 魔族?」

「ああ、そうだが……」


 今度は、怯えているように見えた。この話題は続けない方が良さそうだと判断し、僕は話を変える。


「そっかそっか。何か、僕に聞きたいこととかある?」

「えっと、急に、言われても」


 どうやら、ハイガルは本気で困っているらしかった。あまり、知らない人と話すのが得意ではないのかもしれない。


「だよねえ。じゃあ、僕の話聞いてくれる?」

「ああ、それなら」

「ありがとう。僕さ、知っての通り、勇者なんだけど。実は、異世界から召喚されたんだよね」


 僕の経験上、この話題に食いつかないやつはいない。違う世界のことを聞ける機会など、そうそうないのだ。色々な疑問が湧いている頃だろう。


「へえ……」

「反応うすっ。てか、あんまり、異世界とか興味ない感じ?」

「そうだな。この世界のことすら、俺はまだ、知りきれていない。知らないだけで、この世界にも、楽しいことは、たくさん、ある」


 そんなことを言う人には、初めて出会った。それは、新鮮で、


「──めちゃくちゃ、いい考えだね。まあ、異世界はいいや。それで、勇者になったから、修行したんだよ。一年でやっと基礎が分かったかな? もう、僕ってとにかく、人間としてのスペックが低いからさ、一年頑張っても、全然強くならなかったんだよね。あ、魔法は最初から強かったけどね?」

「魔法が強いのは、すごいことだ。それに、一年間の努力は、決して、無駄には、ならない」


 自虐にも丁寧に対応してくれる。なんとなく笑って流すという風ではなく、ちゃんと、話を聞いて、考えを返してくれる。優しい。調子が狂う。


「……ありがとう。ま、そういうわけで、昔、本当に勇者なのか、って疑われたんだよね。そのあとすぐに、王様が病死しちゃって。僕が殺したんじゃないかって、疑われたりして。僕、つい、エトス──王子を、思いっきり殴っちゃったんだ」


 さあ、今度はどう返してくるか。


「ほう。なかなか、やるな」


 なるほど、そうきたか。


「でしょー? それで、なんやかんやで、マナを連れて逃げてきたんだよ。それでさ……」


 なんやかんやと、話していた。僕ばかり話していたが、ハイガルはちゃんと最後まで聞いてくれた。


 そして、僕は、ハイガルの顔を見る。ハイガルはただ、じっと、僕の言葉を待っていた。三十分ほど、僕は、口をパクパクさせているだけだったが、ハイガルは何も言わなかった。


「……昔から、やりたいことがあったんだ。それを、実現させることができるかもしれない方法が見つかって。だから──魔王と、手を組んだ」

「そうか、魔王様と」

「そう。僕がやりたいことっていうのは、絶対にやっちゃダメなことなんだよ。僕の道は、いつでも、残酷で、非道で、日の当たらない場所にある。だから、それに、マナを関わらせるわけにはいかない。それで、婚約を破棄したんだ。……どうせ、ろくな死に方しないだろうし。距離を置く方が、良かったんだよ」


 何が望みかまでは言わなかった。ただ、やっと、人に言うことができた。どうしてか、彼には打ち明けられた。


「言えて、ちょっとだけすっきりしたよ。ありがとう、ハイガルくん」

「俺は、かなり、もやもやするけどな」

「あはは。君って、面白いんだね」

「そうか?」

「うん。もっと、早く話しておけば良かったよ」


 ハイガルは僕のことなど気にせず、マイペースにお茶を飲んでいた。何を話しても反応が薄いというのも、僕的には安心できる。人は他人のことに興味などないという考えが、僕の根底にあるからだ。飾らない反応は、少なくとも、僕にとっては好ましい。


「王女には言わないのか?」

「言わないよ。言ったら、きっと、自分のせいだって責めるじゃん。僕をちゃんと見てなかったからだって」


 あのとき、マナに止められていたら。僕は、きっと、魔王と手を組むことを、選んではいなかっただろう。だが、過ぎた話だ。僕のために感情を割いてほしくないと思う一方で、そこまで思われているのが嬉しくもある。


「クレイアには?」

「まなちゃんは、正論しか言わないからなあ……」


 ちゃんとマナと話し合えだとか、魔王と手を組むなんてあり得ないだとか、悪いことしようとしてるならやめなさいだとか。そういうことを言ってくるのが目に見えている。


 だから、僕は、まなちゃんには何も言わない。すべて、分かりきっていることだ。分かっていても、できないからこその、今なのだ。


「ハイガルくんはどう思った? やっぱり、望みを叶えるなんて、やめた方がいいと思う?」


 ハイガルが言わずにおいた感想を、僕はあえて聞いてみる。それだけ、彼に興味が湧いたのだ。


「──誰にでも、一つや二つ、後ろめたいことは、ある。誰かを、殺したい、とか、酷い目に合えばいいのに、とか、そんなことを望むやつは、いくらでもいる。望むこと自体は罪ではない。そして、望みを叶える手段が見つかったなら、そのために、多くを犠牲にしようとする心も、分からなくはない。ただ──」


 ハイガルはそこで言葉を区切って、瞑目し、


「今あるものを失ってまで、やる価値があるかどうかは、考えた方がいいと思う。一度、失ったものを手に入れることは、難しいから」

「……そうだね。その通りだよ。本当に」


 よく知りもしない彼の言葉が、心に深く刺った。不思議と、ハイガルの言葉はすんなり頭に入ってくるのだ。


「それで、実際、王女のことはどう思ってるんだ?」

「え? 何、急に?」

「なんだ、そんなに好きじゃないのか? 隣の部屋からは、絶えず、マナ様愛してるだとか、大好きだとか、耳たぶの曲線まで可愛いとか、存在が黄金比とか、あなたの細胞の一つになりたいとか、発狂する声が──」

「いや、好きだけど? めちゃくちゃ好きだけど? 死ぬほど愛してますけどー? はー? ギルデなんかに負けるわけないじゃん? ねえ?」


 僕はギルデが将来、薄毛になるよう、心の底から祈った。すると、ハイガルは満足そうに笑いながら頷き、立ち上がった。


「俺は、何も聞かなかったことにする。ルジもギルデも、クレイアも、王女も、何も聞いていない」

「え? ちょっと待って」


 僕はとっさに魔力探知を発動させる。ギルデは、よく見ると狸寝入りだ。ルジさんに至っては堂々と聞いていたし、階段の方からまなちゃんらしき足音も聞こえる。そして、玄関の前には、マナらしき気配があった。


 ──僕が話すのを待っていたらしい。


「……ハイガルくん、いつから知ってたの?」

「何のことやら」

「僕、もう君を信じないからね!?」

「それは光栄なことだな」


 ハイガルという男は、僕が思っていたようないいやつじゃないらしい。最後に、皆を道連れにした。なんというやつだ。


「楽しかった。また話そう、あかり」

「君に話すことは何もないから!」

「ははは」


 長い前髪を揺らして、ハイガルは笑いながら部屋へと戻った。僕は腹いせに、小さく肩を震わせているギルデへと、怒りをぶつける。


「てか、何? 耳たぶの曲線とか、細胞の一つとか、ほんと引くんだけど、マジ変態じゃん」

「う、うるさい! だいたい、君だって、昔、地面になって踏まれたいとか、一生匂い嗅いでたいとか、脇ぺろぺろしたいとか、言ってたじゃないか! うへー、きっもちわるい」

「き、記憶にないから、言ってないですー。そもそも、君はマナを見すぎなんだよ。減ったらどうするの? ねえ?」

「僕はちゃんと許可を取っているんだ! だいたい、お前の方がマナ様に近づきすぎなんだよ! 昔はともかく、今はただの元カレ。つまり、ただの他人じゃないか!」

「……はぁー?」

「なんだ、やるのか?」

「調子に乗るのも大概にしなよ!?」

「ちょっと、やめなさいよ──」


 そうして、まなちゃんは眉間のシワを揉みながら、階段を降りてきた。そして、こう言った。


「マナに一番愛されてるのは、あたしに決まってるでしょ?」


 僕たちは固まった。そして、何も言えなくなって、静かに席についた。


「冗談のつもりだったんだけど……」


 まなちゃんには冗談のつもりでも、絶えずマナを見ている僕たちにとっては、大ダメージだ。事実すぎる。


 そして、彼女は、何かを思い出したかのように、見るからに不機嫌そうな顔をして、


「あたしって、そんなに正論ばっか言ってる?」

「あー、いやー、うーん。そんなこともないかも?」

「嘘ね。許さないわ、あかり。陰口なんて最低ね」

「盗み聞きしてたのそっちじゃん!?」

「たまたま降りようと思ったら聞こえたのよ。たまたま、偶然ね」

「嘘だっ! てか、ルジさんも、いるなら言ってよ!」

「なんのこつばっち? わそお、言葉が分からんじゃけん」

「嘘つけ!」

「……あたし、宿題やらないと」

「僕も、今から板立ち上げないと」

「板って?」

「スレッドだよォ……! お前のあることないこと、仲間たちと共有して、こき下ろしてやる……ふへへへへ……ヒャーッハア!」

「ほんとにやめて!?」


 ギルデもぶつぶつ呟きながら、部屋へと戻っていった。


「わそは、庭ね掃除じゃっけするばっり」

「あのやる気がないことで有名なルジさんが!?」


 そして、ルジさんがドアを開けると、そこには、桃色の髪の毛の少女の姿があった。


「ぽっころー」

「……ぽっころです」

「中に入んなばす」


 ルジさんに促されて、マナはロビーに入ってきた。そして、沈黙が訪れる。


「てか、また盗み聞きしてるよね!?」


 さすがの僕でも、二度も同じ手にはかからない。僕はマナの手を取り、瞬間移動した。

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