第3-22話 母の手紙を読みたい
それから数日後。私は学校に復帰した。確か、一週間、休みがもらえたはずだが、とてもそんな気がしない。とはいえ、時の流れは私の心までは待ってくれない。遅れた分、より勉強しなければ。
そうして、学校から帰宅すると、珍しく、ル爺に呼び出された。
「それで、用事って?」
真っ白な封筒があった。表紙に手紙と書かれていた。お手本とまではいかないが、綺麗な字で、好ましく思えた。
「こりがん、まなさんど分だっち」
「もしかして、全員分あるわけ?」
「たびん」
封筒を開け、三枚組になった紙を取り出して、冒頭を見ると、マナへ、と書かれていた。その横には、マリーゼ・クレイアより、と書かれている。母の名前だ。
「律儀な人ね」
私はル爺に見つめられる中、手紙を読まずに封筒にしまう。
「後で読むわ」
すぐに読みたかったが、その感情が大きいばかりに、私はそれをすぐには読めなかった。一度気持ちを落ち着かせて、と考え、どこか、一人になれる場所はないだろうかと、さまよい、電車に乗り──気がつくと、チアリタンに吸い込まれていた。まあ、半ば、意思を持ってきたのだけれど。そして、チアリターナがいる洞窟へと、私は足を向ける。
「またそちか……」
チアリターナは私の顔は見飽きたといった様子で対応してくる。会うのは三回目だし、面倒に思われるようなことをした心当たりもないのだけれど。
「人のいない場所とか知らない?」
「──仕方ないのう」
チアリターナがため息をつくと、クマが現れた。字だけ見るとなかなかに衝撃的な光景だが、実際に見ても恐怖しか感じない。
「先日のクマじゃ。そちがたいそう気に入ったらしい」
「え、ちょっと……」
私はクマに首の動きだけで、背中に乗るように指示される。そうして、ゆっくり乗ると、急に走り始めた。
「うわあああっ!!」
ジェットコースターとは、こんな感じの乗り物なのだろうか。多分そうだ。だとしたら、一生乗りたくない。
「あー、疲れた……」
クマは私を下ろすと、すぐ森に帰った。少しの間、気を休めていると、辺りに、なんの気配もないことに気がつく。焼け残った木があるだけで、草は全て焼けていた。
「本当に一人にしてくれたのね」
本当の静寂があった。自分の音しか聞こえなかった。血脈が鼓膜を揺さぶっていた。呼吸の音が、やけにうるさく感じられた。
私は地面にそのまま座り、手紙を開ける。少し躊躇いながら、そこに、目を通した。
──マナへ。あなたと出会って、私はすぐに、あなたが私の子どもだと気がつきました。私と同じ白髪に赤い瞳は、確かに珍しいけれど、それ以上に、あなたがあなたであることを、私は心で感じたような気がします。
***
病室の白いベッドで、なんとか意識を取り戻した彼女──マリーゼ・クレイアは、手紙に何を書こうか、決めかねていた。何しろ、それが、可愛い娘への、初めての贈り物だったからだ。
「でも、まさか、生きているなんてね」
死んでいると思っていた娘が生きていたことを知り、そして、皮肉にも、自分の命が長くないことも悟った。
「白髪に赤い瞳の女の子の魔族は、忌み子として、産まれてすぐに殺す必要がある。そう、あの人は言っていたけれど」
事情はどうあれ、今、マナが生きていることは事実だ。そして、産まれてから、娘に何もしてやれなかったのも、また、事実だった。マナが産まれてから十六年。娘が、本当は生きていた、なんて都合の良い知らせが来れば、どんなにいいか。そう思わない日はなかった。
「きっと、最期に、神様が奇跡を起こしてくれたのね。……ついでに、私のことも助けてくれればいいのに」
マリーゼは窓の外をぼんやり眺める。自分はもうすぐ死ぬのだと、実感していた。そして。
自分が死んだ後で、ユタが一人にならないだろうか。レナは寂しがったりしないだろうか。マナは、私が死んだと分かるのだろうか。
そんなことばかり考えた。考えたところで分からないことばかりを、考えるようになった。だから、死ぬ前に何かしておきたいと思うようになった。
「マナは、一体、どんな人生を送ってきたのかしら。レナから、少しだけ、聞いたけれど」
何も知らなかった。自分の娘だというのに、どんな性格かも、何が好きで何が嫌いかも、生きていることさえも。
父親に似たのか、目つきが鋭く、強い瞳だった。初対面で怖がられたりしていたら可哀想だなと思った。でも、それ以上に、マナは可愛いから、きっと大丈夫だ。サラサラの髪だった。きちんと、手入れしているのだろう。まだ、少し幼さの残る、愛らしい顔つきだった。──知らない間に、幼い影は、もう、ほとんど残っていなかった。
いつまでも眺めていたかったけれど、困っているのが分かって、私は温かい頬から手を離した。
そして、咳き込む私の背をさすってくれた。優しい子だった。どんな風に育ってきたのか、何も知らないから、真っ直ぐ育ってくれただろうかと、心配だったけれど。杞憂だったのかもしれない。私が思うより、マナはずっと強い。
ユタを叱ってくれた。その声が聞こえて、私はとても安心した。ユタは人より少し、調子に乗りやすいところがあって、自分の力を制御しきれていない。だから、誰かが見ていて、叱ってやらないと、ダメなのだ。それを、あの子はきっと、よく、分かっている。
そして何より、マナには友だちがいた。だからきっと、大丈夫だ。
──本当は、いつまでも、三人を見守ってあげたい。けれど、私はもう生きられないから。三人で支え合ってくれたらと思う。
「それにしても、ユタを知らないなんて、私の娘は、相当、世間知らずみたいね。魔法も使えないみたいだし……大丈夫かしら」
魔法が使えないことに関しては、さほど心配していなかった。今までそうして生きてこられたのだから、これからも、強く生きていけるだろうと。そう、信じられるだけの強さを、彼女の瞳に感じたような気がした。
ただ、使えない理由が、気にかかっていた。もちろん、マリーゼに知る由はないし、知る権利があるとも、到底、思えなかった。心配するのは自由でも、マナが自分を信じて、相談してくれるかどうかは、別問題だ。実の母親とはいえ、マナは私を知らないだろうし、彼女からすれば、ただの他人だ。頼ってほしいけれど、信頼を築く時間もないし。
「私は、きっと、このまま、マナのことを何も知らずに死ぬんでしょうね」
一体、今まで、何をしてきたのだろうか。何か困っていることはないだろうか。悩んだりしていないだろうか。そんなことを考えていた。
しかし、会いに行こうにも、彼女は自由に動けない。一人では立って歩くことすら、難しくなっていた。
だから、彼女は動く手で、絵を描くようになった。窓の外から見える雲や空、木々や、楽しそうに遊ぶ、子どもたち。
「景色ばっかりで、さすがに飽きちゃったわ。……誰か、話しに来てくれないかしら」
カムザゲスやレナは頻繁に足を運んでくれる。ユタは最近、来なくなってしまった。マナは、一度も来ていない。まあ、母親らしいことなど、何もしていないし、そもそも、知らせてもいないのだから、来ないのも当然だけれど。
それから、想像した。子どもたちが笑っている姿を。三人が何の憂いもなく、幸せに暮らせる世界を。姉弟の繋がりを。きっと、ユタが戦争を終わらせて、国を平和に導いてくれるだろう。レナは賢いから、人間と魔族の仲を取り持って、円滑に話を進めてくれるかもしれない。マナは、きっと、一番、差別される辛さが分かっている。
レナが言っていた。きっと、マナは来てくれる。だから、マナのことはマナに聞いて、と。そして、期待せずに待ってあげて、と。
──いつまでも、待っていた。ずっと、毎日毎日、待ち続けた。ベッドの横の椅子に座って、色んな話をしているマナを想像したりもした。マナは、何を語ってくれるのだろうか。楽しみで仕方がない。
「私の可愛い子どもたち。──どうか、幸せに」
手紙は、その一言で締めくくられていた。
三枚目には、母が書いたと思われる絵が入っていた。それは、私とユタとレナが、三人一緒に笑っている絵だった。
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