第5-10話 煩わしさから解放されたい

「あの子がそんなに大事なのですか?」


 そう姉に問いかけられて、無視した。今日は前回と違い、儀式のために肌を手入れされることもなくて楽だ。れなの茶番につき合う必要もないし。もちろん、あれがまなでないということには気がついていたが、それを逆手に取って、まなをからかっている。


「なぜあの子なのです? 魔法が使えないこと以外、至って普通の子に見えましたが……」


 腕に手のひらで泡を伸ばしていると、モノカが正面から覗きこんできた。


「なぜです?」

「教えません」

「取って食べたりしませんから、どこがいいのか教えてくれません?」


 モノカの指が、私の腕をなぞり、泡をすくう。


「すべてです」

「すべて、ですか。ふふふっ、それは、嘘ですね」


 モノカの言葉に、一瞬だけ体を洗う手を止め、しかし、すぐに再開する。モノカは指ですくった泡を私の頬につけて、


「名前。は、お嫌いでしょう?」


 そこに、マナ、と書いた。私はちりちりとかゆみを訴える頬と全身に、シャワーを浴び、泡を洗い流して立ち上がる。


「愛しています。名前も含めて、彼女のすべてを」

「──ふふふっ。そんなに真剣にならなくても。ほんの少し、からかっただけでしょう?」


 私は広い浴槽に、顔の半分まで浸かり、ぶくぶくと音を立てる。


「怒りました?」

「怒ってません」

「嘘ですね。ふふふっ」


 モノカは自分の体を洗い終えると、わざわざ隣に座ってくっついてきた。


「いつの間にそんなに成長してしまったんですか?」

「何の話ですか」

「おっと、怖い怖い。そんな顔をしていては、まなさんに嫌われますよ?」


 私は彼女がやるように、眉間のシワを伸ばした。


「なんだか、一年で、私やトイスより、歳上になってしまったみたいですよ?」

「つまり、老けたと、おっしゃりたいわけですね」

「そんなこと言ってませんよー。もう、相変わらずひねくれてますね。それとも、怒ってます?」

「怒る? なぜ私がお姉様に怒らなければならないのでしょうか?」

「まあ、白々しい」

「そっくりそのままお返しします」


 モノカは口元を手で隠して、笑った。何が面白いのか分からない。理解したくもない。


「それでも、私は、あなたの、たった一人の姉ですから」

「当然です。……それとも、私が悪かったと、泣いて詫びる素振りでも見せれば、いいのでしょうか?」

「何をしても、この事実だけは変わりようがありませんよ。ふふふっ。でも、それはそれで、少し見てみたい気もしますね」

「そうですか。見られるといいですね」


 追いかけてくるモノカから距離を取りつつ、私はしっかり浴槽に浸かる。そして、外に出て、今度は髪を乾かす。この長い髪はなかなか乾かないので、いつも、億劫になってしまう。


「魔法で乾かしたりしないのですか?」

「髪についた水分を一滴残らず魔法で蒸発させるなんて、愚か者のやることです。万が一、髪が焼けたり、切れたりしたらどうするんですか」

「なるほど、いつもはあかりさんに乾かしてもらっているのですね?」

「そういう無駄な技術だけは高いですからね」

「ふふっ、それなら、私が乾かしましょうか?」


 ドライヤーと、鏡に映るモノカを見比べる。モノカの赤髪は肩を過ぎるくらいの長さだ。とっくに乾いていたが、私がいないと部屋に入れないので、待っていた。


「いえ。自分で乾かします」

「そうですか? 遠慮しなくても──」

「自分でやりたいんです」


 そうして、乾かし終わるまでに一時間ほどを要した。その間、モノカは椅子に座って本を読んでいた。


 私は髪をとかし、抜け落ちた毛髪をすべて燃やす。


「あらあら、燃やす必要はないのでは?」

「いいんですよ、これで。私はまなさんの所へ戻ります」

「私も一緒に行きますよ? ふふふっ」


 その楽しそうな笑顔を不審に思いつつ、モノカと部屋に戻り、少しだけ不安を覚えながら、扉を開ける。


 そこには、ベッドで眠るまなの姿があった。私はその姿に安堵を覚え、頭をそっと撫でる。相変わらず、色違いのサイドテールは、寝るときにもつけている。


「あら、眠っていますね」

「まったく。警戒心というものがありませんね、まなさんは」

「それだけ、マナを信頼しているのでは?」

「そうなんでしょうね、きっと」


 まなに触れていると、なんとなく、落ち着く。それは、魔力が非活性になるというよりも、そこに、まながいるという安心感が得られるからだろう。


「いつの間にそんな顔をするようになったのでしょう? この子は、あなたにとって、何なのですか?」

「まなさんは──」


 私はまなの頭を撫でながら考える。友人、片思い、恋人、親友──、どれも、私が彼女へ向ける気持ちを表す言葉としては、しっくり来ない。


「……強いて言うなら、家族、でしょうか。まなさんは、そんな風には思っていないでしょうけどね」

「あなたが私たち家族の前で、そんな顔を見せたことはありませんよ?」

「まなさんは、私の一番大切な人です。誰よりも大切な、たった一人の存在ですから」

「でしたら、あかりさんはどうなるんです?」

「まなさんに比べたら、あかりさんなんて、路上の石と比べても遜色ない程度の存在です。いえ、それ以下ですね」

「……それ、あかりさんが聞いたら泣きますよ?」

「あかりさんの涙なんて、取るに足りないものです。あってもなくても同じです」

「なるほど、照れ隠しですね?」

「断じて違います」


 モノカに捕まると、根掘り葉掘り、色んなことを聞いてくるから、煩わしくて仕方ない。昔から、よく喋る姉だった。今もそんなところは変わらない。


「あかりさんに、泊まっていくと連絡しました?」

「はい、一応。言わないと、鬱陶しく喚かれそうだったので」


 念話したら、あかりは子犬のように喜んで出た。私は、城に泊まります。とだけ伝えて念話を切った。


「もう寝ます」

「えー? もう少しお話ししません?」

「しません」


 部屋の灯りを消して、まなに布団をかぶせて、隣で寝る。


「あなたはそっちのベッドで寝てください」

「なんでですか? 仲間外れですか?」

「あなたが、まなさんに何をするか分からないからです」

「何もしませんよー、もう!」


 とはいえ、前科がある私の方が、何をするか分かったものではない。だが、今回は怪しい薬もないし、大丈夫だろう。多分。寝ている間に何かしてしまったら、許してほしい。


「ふふふっ、おやすみなさい、マナ」

「おやすみなさい、お姉様」


 そうして、私は深い眠りに落ちた。

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