第1節 おしつけがましい好意
第1-1話 静寂な日々を送りたい
私は、救いようがないほど、愚かだった。
***
「は?」
「だから、宿題写させてよ、お願い!」
「は?」
「お願いします、まな様!」
「は?」
「ねえー! 一生のお願いだってー!」
窓際一番後ろの席の住人が、私に宿題を見せろと言ってくる。彼は何を言っているのだろうか。わけが分からない。
「諦めた方がいいですよ、あかりさん。まなさんはおそらく、何を言われているのかさえ、理解できていません」
「言語翻訳バグってるのかなあ……。まあいいや、じゃあ、アイちゃん写させて」
アイちゃんと呼ばれた、あかりの隣、私の後ろの席の住人は、あかりの発言を鼻で笑う。
「はっ、私が宿題をやってきているとでも?」
「だよねえ! 今やってるもんねえ!」
後方の彼女の机では、あと五分で締め切り予定の宿題が、猛スピードで解かれている最中だった。教科書を写しているかのように、スラスラと解いていく。
「すごーい、書くの、はやーい!」
私の隣席、窓際の少女が感心した様子でそう口にした。彼女に関しては、全くやる気がないので、見せてほしいとすら言わない。
「──あたし、出してくる」
「え、あ、ちょ、まっ」
「正直に謝ったら、先生も許してくれるんじゃない?」
「いやいや、十回連続で忘れたら、単位出さないって言われてるんだって!」
「それは十回連続で忘れる方が悪いわ」
大声で話していたため、当然、クラス中に聞こえた。もちろん、教卓にいた先生にも。
「それで、今回が十回目だが。お前はそんなに単位を落としたいのか、榎下朱里」
「げっ、ティカ先生……」
教卓と、そこから一番離れた窓際後方の席。その距離をとったまま、二人は話し始める。教師と生徒の会話にクラス中が注目する中、私は宿題を提出して、すぐ席に戻った。
「まあ、幸いにも、私は生徒思いの優しい教師だ。──放課後、職員室に来い」
「いやあ、用事があるので、今日だけは見逃していただきたく……」
「それも十回目だ。異論は認めん」
「お慈悲を……!」
「さあ、授業を始めるぞ」
宿題はともかく、クラス中の注目を浴びて、なおも平然としていられるのはある種の才能だと思う。
「なんとか間に合いました」
ちょうど、後ろの席の少女が席に戻ったところで、起立の号令がかかった。
衣替えの季節だった。クーラーは来週から稼働する予定で、大半の生徒が夏服を着用していた。窓は開いていたけれど、私の周りに風は吹いていなかった。
私は春から着ている制服の袖を、ピンと伸ばした。
***
「はあー、疲れたー」
あかりは部屋の机にうつぶせる。かれこれ、一時間ほど、指導されていたようだ。
「自業自得です」
「これからはせいぜい頑張るのね」
「それ、先生に同じこと言われたんだけど……」
先生と同じことを言うなんて、私も常識が身に付いてきたということだろうか。なかなか、誇らしい。
「うわ、嫌味のつもりだったのに嬉しそう……。ってか、疲れたー!」
「よしよーし、あかりくん、頑張ったねー」
「誰か労ってえ」
「わーい、無視だー!」
無視されても嬉しそうにしているのは、私の姉、まゆみだ。諸事情により、同じクラスに在籍しており、私と隣の席。宿題を出したことなど一度もないが、先生から呼び出されたこともない。
「しかも、宿題、余分に出されたしさー?」
「それやるだけで、成績つけてもらえるんでしょ? ありがたく思いなさい」
「まなちゃんは優等生だねえ……」
そんなに勉強が嫌いなのに、なぜ高校に通っているのだろうか。確かに、進学する人の方が圧倒的に多いが、別に義務教育ではない。
「あかりは魔法が得意なんだから、働けばいいんじゃないの?」
「働く? 何それ、今より楽なの?」
私は何も言う気になれず、代わりにため息をつく。隣にいた桃髪の少女が、寝転がって天井を見つめながら、冷たく言い放つ。
「楽だと思うなら働いてみてはどうでしょう? あなたがいなくなって、先生方もせいせいすると思いますよ」
「辛辣……」
私たちはあかりの部屋に集まっていた。とはいえ、同じ宿舎に住んでおり、私の部屋はここの隣なので、たいした手間ではない。
ともかく、だらける三人を横目に、私は早速、今日出された宿題に手をつける。
「あー、まな、宿題なんかやっちゃ、いけないんだー」
そう言って、まゆは私の背中に体重を預けてくる。彼女は極端に背が低く、床に正座する私の頭が、顎を乗せるのにちょうどいいらしい。
「うっわ、真面目ー」
「なぜ宿題なんてやるのですか?」
「むしろ、あんたたちは、なんでやらないの?」
「だって、やりたくないじゃん?」
「今やる必要性を感じませんね」
「やらなくても死なないでしょ?」
「あんたたちね……」
あかり、マナ、まゆと、揃いも揃って、なんと適当な連中なのだろう。取り巻きたちに宿題させろ、なんて、先生から言われるこっちの身にもなってほしい。
「さっさとやりなさい。教えてあげるから──」
「僕、アイス食べたいなー」
「私も食べたいです」
「わたしもー!」
「買いに行こうか」
「はい、行きましょう」
「行こ行こー!」
──駄目だ、全く聞く耳を持たない。こいつらをどうにかできる人など、この世にいるのだろうか。いるなら、代わりになんとかしてくれ。
「まな、行かないの?」
「まなちゃん、早く!」
「はあ……行けばいいんでしょ、行けば」
「よろしければ、抱えて──」
「結構!」
──一体、いつから、私の生活はこんな風になってしまったのだろうか。
立ちあがり、しばし、放心して、宿舎の白い天井を見つめる。そこに、景色が浮かんでくるようだった。
姉であるまゆはともかく、二人と出会ったのは、かれこれ二ヶ月ほど前。それは、まだ入学したばかりの頃だった。
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