句読点
スミンズ
1
「今晩は寿司が良いねえ」母が笑った。私は薄く笑い返すが、本当は杞憂である。母の言う「寿司」とは、スーパーの安い奴ではなく、2、3人前で3000円はする出前のやつである。
決して高くはないが、十分な給料を貰っているはずなのに、そのお金は親の食事代で溶かされていく。母は父の給料明細を見たことがないほど父親のお金使いに興味を持たないが、それを知ってか知らないか、両親は揃って娘の私に同居と食事代を求める。一方の父は、給料のおよそ半分をギャンブルに使っている。
理不尽だと、私はいつでも思うのだけれど、その度いつも母の言葉が頭をよぎるのだ。
「今まで誰に食べさせて貰ったと思っているの?」
そしてそんな言葉がよぎる度、理不尽だという考えを捨ててしまう私が、なんと滑稽なことか。
擁するに、母親への愛を消すことができないでいるのだ。だから、私はためらい無くスマホで寿司の出前を頼んだ。しかしそんな勢いの中、微かに、どこかで、このままでは私は壊れてしまうと悲鳴をあげていた。
「ラーメン屋のチャーハンが旨いからからって、なんかチャーハンだけ食うともったいないと思うじゃん」IT企業の同期、
「別に思わないし、そんな食べたら太るよ?」
「午後腹へったら仕事できなくなるだろ?だから溜め込むんだよ。それに太ったら太ったでそのとき痩せりゃ良いじゃん」そう言うと彼はラーメンを啜り始めた。彼はそう言うが、そのときというのが来はじめていることに気付いていないのだろうか?
「それより、なんで隼人は私にラーメン大盛を頼むの?巻き添えにする気か?」
「巻き添え?」
「いや、なんでもない」そう言うと頭をブンブンと振った。
「お前ってさ、なんか遠慮してるように思うんだよ」
「いや、そんなこと無いけど」
「してるさ。同期だって言うのにようやくここ最近タメ語で話してくれるようになったし、第一飯の時も『私が払います』っていっつも。割り勘にしようとか、じゃんけんで決めようだとか、あれなら今日は奢ってー、とかそんなでいいと思うんだがな」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ」彼は水をぐいっと飲んだ。
そんなもの。そんなものなんだ、と私は思う。だからこそ、私は最近、昼間だけ浮世離れした世界にいるように感じる。特に隼人といると……。
夜、家に帰るのが憂鬱になっていくのだ。
「今晩はハンバーグで良いや」帰りの電車の中、母からたった一文のメールが届いた。見ない振りをしたいが目に付いてしまったら仕方ない。もしこれでハンバーグでなければ、どやされるだけだ。私は急遽自宅の最寄り駅近くのスーパーでハンバーグの具材を買うことにした。
今日は隼人が奢ってくれたから幾分楽ではあったが、まだ50代に入ったばっかりの働ける大人の食材も一緒に買うというのが痛い。
買い物を済ませると、セルフレジの無愛想な挨拶に見送られてスーパーを出る。外はもう真っ暗だった。
「お帰り。遅かったわね」母はそう言った。
「ごめん」表面ヅラだけでそう言うと私はキッチンへ急いだ。リビングには父もいた。日本酒をちびちびと飲み始めていた。ばかにしやがってと思いながらも知らんぷりして炊飯器を急速で設定し、挽き肉からハンバーグを作り始めた。
出来上がった頃には21時近くになっていた。定時退社をしっかり保証してくれる会社に入れたのに、なにか損をした気分にさえなる。
「はい、いただきます」そう言うと母はハンバーグを口にする。
「うん。そこそこ美味しいわ」と言って微笑んだ。父は無言で食べ続ける。
そして、ちびちびと酒をなめ続ける。
無言の食事というのはいい気分がしない。だが話題がないのだ。仕方ないと思いつつ、内に秘めた感情ごと飲み込むようにご飯を食べ続ける。それがいつものことだから、仕舞いにはなんでもなくなってきている。そんな自分が悔しいと言う、矛盾した感情さえも、私はただ刻みながら、沢山の中のハンバーグの一辺を食べ尽くした。
そして私はみんなのご飯がすむと食器を洗い始めた。早く寝たいこともあって、少し急ぎぎみに洗った。すると突然、父親が「このやろう」と言って怒鳴り始めた。そのやろうと言うのが自分だと言うことに気付いたのはすぐだった。振り向くと父親は私を手招きしていた。私はそっちへ歩いていく。
「座れ」私は言われるままにそこに座った。
「最近お前は雑だ。皿洗いもガチャガチャうるさい。帰ってくんのも遅い。見ろ、時計を。もう10時を過ぎてるじゃないか。明日も仕事があるんだぞ。何とかしないか!」そう言うと父は酒を飲んだ。
「大体なんだお前は、大雑把で、まるで女って感じがせん。どうなんだ、ああ?」
私は手をぎゅっと握りしめた。いつものことだ。そう心のなかで呪文のように唱えた。
だが、衝動と言うのは唐突に起こるものなのだ。
父の日本酒の瓶を私は無意識に取り上げた。するとそれを、思い切り……。
床に叩きつけた。ギリギリのところで自制がついたが、それは部屋のなかで粉々に砕け散っていた。そして、破片は見事に私の足首だけを傷つけた。
馬鹿みたいだ。私はそう呟くと、振り返りもせずにリビングを出て、玄関に置いたまんまだったハンドバックを手にすると、あてもないまま駅の方へと歩いていった。まだ、口のなかに残るハンバーグの後味が、気味悪かった。
私は、
「ふう」静かに息をはくと白い煙が上がった。ああ、今日はこんなに寒かったんだと気がついた。
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