雪にあしあと

七歩

01 門

 はじまりが苦手だ。はじめの一歩を大切にしたくて、特別なものにしたくてつい身構えてしまう。ちゃんとしなきゃ。叱られないように、機嫌を損ねないように。慎重になって、迷って、決められなくて、妥協して。はらはらしながら歩み出す。

 鞄に入りきらない荷物に囲まれわたしは頭を悩ませていた。服は要る。普段着はもちろん、ちょっとしたパーティ用のも持って行った方がいいかもしれない。下着はこれで足りるのか。日用品はどこまで詰めたらいいのだろう。

「こんなんじゃ駄目。絶対に無理。あの家まで何往復しなくちゃいけないの」

 引っ越し先は切り立った山の中腹、弟子入り先の魔女の家。空でも飛ばなければとてもたどり着けない。わたしに使える手段といったら箒くらいしかなかった。

「あの古箒、ただでさえ言うこと聞いてくれないのに何往復もとか無理だ。荷物が重いってだけで不機嫌になるかもしれないのに」

 母譲りの箒は神経質で、魔法は嗜む程度の日曜魔女のわたしに容赦ない。

 ひょんなことから魔女に弟子入りすることになった。時代遅れの魔法を学ぼうと決めたのは死んだ母親の影響も大きかったけれど、何より師匠に勧められたことが大きい。魔女になる決心などなかったわたしに「習ってから決めればいい」と言ってくれた。タイミングも良かった。弟子入りという形であれ母の死後、天涯孤独のわたしと共に暮らしてくれる人が現れたのは心強かった。

 それにしてもどうしよう。荷物が減る気配はない。むしろ増えているような。午後にはレイ先生が迎えにくるのに果たして間に合うのだろうか。


「なるほど。なるほどな」

 昼過ぎ。我が家の惨状を目の当たりにし、レイ先生は目を細めた。

「片付けられないのも諦めきれないのも血か? まさかこんなところで勝手に第一関門に苛まれているとはな。関門ならばこれから私が浴びるほど与えるから予習はいらないぞ」

 師匠となるレイ先生は死んだ母親の昔馴染みだ。十年以上前に喧嘩別れして母とはそれっきり。母は仲直りしたかったようだけれど、直接頭を下げられたわけでもないからと先生はいまだに許していない。

「リアン、お前がなんのためにうちに来るのかわかっているか。魔女になるためだ。私に入門するためだ。門をくぐるなら身軽なほうがいい。いつか帰るそのときに、たくさんの宝物を持って帰れるように。だから何もいらないよ。身軽になりなさい。お前はたくさんのものを身につけていずれこの部屋に帰るんだ。こちらに持ち込んでどうする」

 そう言って感情の読み取れない声で淡々とわたしを咎めた。お咎めとはいえ先生はいいことを言う。こういうところなのだ、わたしがレイ先生に惹かれるのは。胸がちくちくほかほかするようなことをまっすぐに伝えてくれる。わかりにくいところはあるけれど、きっと優しい人なのだと思う。

「でも全裸ってわけにはいかないじゃないですか」

 とはいえ、素直に受け取れないのもきっと母の血のせいだ。

「ほう言うねえ。いいからこの鞄にどうしても持って行きたいものだけを入れなさい。魔女見習いの服は私が用意しているから全裸の心配はないぞ。なんなら下着も揃えるが?」

「結構です」

「お前にとって大切なものだけ持ってくるといい」

 先生はわたしにやり直しを言いつけ、「アンヌの部屋で待っている」といい残し部屋を出た。アンヌというのはわたしの母だ。レイ先生がこの家を訪れるのは初めてだけれど、母の部屋など魔法の匂いでわかるのだろう。先生の母への友情はわたしにはまだ難しい。許せない人間の忘れ形見を弟子にしようというその気持ちはわからないけれど、そんな先生をわたしは間違いなく気に入っていた。


 荷物の見直しが終わるとすっかり日が暮れていた。服も日用品も諦めたのに鞄はパンパンで、「ずいぶん大切なものが多いんだな」と先生を呆れさせた。それでも荷物に反重力魔法をかけてちょっとだけ軽くし運びやすくしてくれるのだから、先生は優しい。

 箒を揃えて空を飛ぶ。夕焼け空をくぐり抜けたら、きっと新しい日常が待っている。


 

 

 

 

 

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