第27話 外套
何とはなしの抵抗を覚えつつも、「DD's DOUGHNUT」を検索した。SNSのフォロワーは2999人。多いのか少ないのか、ジリアンにはわからない。三千人めのフォロワーになるべきかどうかも。
フォローボタンに伸ばしかけた人差し指を引っ込めて、出店予定の記事をタップする。今日の日付のところまでスクロールさせるや、よく知った駅名が目に飛び込んできて、心臓が大きく打った。駅周辺であれば、初めて会った夜にキッチンカーを停めていた、ロータリーの出口での出店に違いない。
ちょっと出かけます、と言い置いて、すっかり慣れた道を下る。「サンバリー」を通り過ぎ、「ハニーハウス」の可愛らしい外装を横目に、駅に向かった。
果たして、月の輪号は想像通りのところにいた。駅の駐車場に車を停め、小走りで道路を渡る。客の姿がないことに安堵する己の小ささには苦笑するしかない。
「こんにちは」
ディディエはジリアンを認め、にっこりと笑んだ。メニューを指さし、今日はレモングレーズがあるよ、と胸を張る。あの夜からずっとレモングレーズのファンで、見かけるたびに買っていると覚えていてくれたのだ。
彼は確かにジリアンを助けてくれた。あの夜もそれからも、常識的な距離で控えめな言葉をくれた。幾重もの偶然と幸運の果てに、今日がある。
「今さらですけど、あの時はありがとうございました。ディディエのドーナツとは、あの日みたいに偶然に出会わなきゃならないと思うんですけど、今日はどうしてもドーナツが食べたくて、検索しました。……気持ち悪いですよね、ごめんなさい」
「ドーナツ屋さんは商売だからね、そんなの全然気持ち悪くない。むしろ探してくれてありがとうって話だよ。中にはおれとつきあいたいとか、アドレスを交換したいとか、一緒に写真を撮ろうとか、もっとびっくりすること言うお客さんもいるよ。でもお姉さんは違うでしょ。……っていう流れで何だけどさ、名前、訊いてもいい?」
「ジリアンです。ジリアン・ハーシバル」
うん、と頷き、ディディエは自らの白い髪を引っ張った。
「おれはこんなだからね、すごく目立つ。男の人にも女の人にも珍しがられる。客商売だから、ある程度は我慢して愛想笑いで付き合うけど、やっぱり受け入れられない一線はあるからさ。……お客さんにこんな愚痴を言っちゃだめなんだけど、今だけ許して」
「ええ、……はい」
「ひとはかようにドーナツの穴を求めるものなんだなって実感するよ。穴があってもなくてもドーナツなのに、穴を埋めるなにかを探してしまうんだってね。よそから持ってきた穴が自分の穴にぴったりはまるわけじゃないのに」
いつものドーナツ哲学を聞きながら、ジリアンは頷く。
「……だからさ、ぜんぜんガツガツしてないジリアンを見て、すごく安心したんだ。こうしてドーナツのほら話も聞いてくれるし……素直すぎるのかな、嫌な思い、たくさんしてきたんじゃないかって心配になる」
「ほら話なんですか」
「そうだよ。たとえば、『最近寒くなってきましたね。ドーナツも外套を着る季節です』なんてグレーズのかかったドーナツの写真を添えてさ、そうしたらいろんなところでコートとドーナツが連想されるかもしれない。高度な情報戦ってわけ」
それが「高度な情報戦」かどうかはさておき、グレーズがドーナツの外套、というのはすてきだと思うし、彼が本心からそう思っているのは飄々とした態度からも透けて見える。ドーナツだけではなく、彼の感性に合うひともフォロワーになるのだろうから、大手チェーンやベーカリーの有名店に対抗するには、いいアイデアなのかもしれない。少なくとも、ジリアンは彼の哲学を楽しく聞いている。
「もっと人の多いところに行ったほうが、たくさん売れるんじゃないですか」
「そりゃそうだけど、都会は都会で大変なんだ。……それにほら、都会に行けば、ジリアンもマエストロもおれのドーナツが食べられなくなるだろ?」
「あ、そうですね……。それは困ります」
ディディエは目を見開いて、まじまじとこちらを見た。かと思えばふいと視線を逸らして、「長々とごめん」と話を打ち切ってしまう。
レモングレーズ、ダブルショコラ、アールグレイ、キャラメルナッツ、ラズベリージャム、カスタードクリームの六つを選んで包んでもらう。お釣りを差し出した彼の指先はひどく冷たかった。
「ジリアン」
じゃあ、と立ち去りかけたところで呼び止められ、車のキーとドーナツの紙袋を手に振り返る。ミルク色の髪、白い膚。雪の朝のようなひとだと思う。幼いころはその静けさときらめきに、寒さそっちのけで胸を弾ませたものだ。
「今度さ、樹洞を見に行かない? 植物園の」
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