第37話 野球回①

 2019年6月16日、午前8時。

 花香マンションの玄関前。


「お願いします! 今日だけでいいので、僕のチームに入ってください!」


 朝っぱらから土下座で頼み込んできたこの男は、レキオス青年会会長の比嘉昇ひがのぼる、人呼んでライジングさんである。

 ライジングさんの草野球チームの試合が今日の午後に組まれているのだが、今朝になってメンバーにドタキャンされ選手が3人足りないから、俺たちに入ってほしいと泣きついてきた。


「もう、他に頼める人がいないんだ。お願いシバ。僕たちの仲だろ」


 お前と俺にどんな仲があるというのだ?


「それにしても、なんでドタキャンで3人も足りなくなるんだよ? もしかして、くず野郎ってことがばれて見限られたのか?」


「相変わらずシバは辛辣しんらつだね。そうではなくてね、試合の構造と対戦相手が最悪だからなんだよ……」


 この草野球は16チームのトーナメント戦で、負けたら3万円を勝ったチームに払うというルールがある非合法な大会なのだ。不戦敗は倍の6万円らしい。

 そして、1回戦の対戦相手が、この大会の主催者で甲子園出場校出身を集めて作った無敗のチームなのだという。


「ああ、そうか。このルールだと、1勝できないとマイナスにしかならないから逃げられたのか。で、俺たちにも払わせるつもりってことはないよな?」


「もちろんだよ! 不戦敗を回避できてありがたいのに、1円もいらないよ!」


 お金を払わないでいいのなら助けてやってもいいと思った。石敢當いしがんとうの件では相当助かったことだし。


「わかった。俺はチームに入ってもいいよ。後はナビーたちにも聞いてからだな」


 ナビーと琉美に事情を話すと、楽しそうだと言ってすぐに了承を得た。


「みんな、本当にありがとう。お礼も考えないとな……そうだ! 8月の全島ぜんとうエイサー祭りなんだけど、特等席を用意するから来てくれ。飲食代もおごるからさ」



 野球場のある公園に着くとライジングさんの後輩、長身丸坊主ガッパイの嘉数辰タッペイと、ライジングさんと同じ赤茶色の髪がめだつ糸数いとかずエリカが、俺たちの分のユニホームとグローブやスパイクなどの道具を用意して待っていた。


「今日は嫌なことに巻き込んですいませんっす! 負けるでしょうが自分たちのせいだと思わないで下さいね」


 タッペイのその言葉を聞いて、ナビーが怒った。


「えー、まぎーはぎーでかいハゲ! やる前から負ける気でいるのか?」


「ぶっふふふふ! まぎーはぎーって……」


 エリカは笑いのツボに入ったようで腹を抱えている。


「私がチームに入るからには、絶対負けさせないさー。みんな、勝ちに行くよ!」


 流れでここまで来たが、1つ心配なことがあったのできいてみた。


「やる気満々なのはいいが、ナビーと琉美は野球のルールわかっているのか?」


 琉美が小さく手をあげて答えた。


「あっ、私は体育の授業でソフトボール好きだったから、簡単なルールは把握しているよ」


 次にナビーが堂々と言い放つ。


「私はアニメの野球回で見ているから大丈夫さー!」


「名作のアニメにはありがちだよねー。って、そんなんでルールわかるわけないだろ!」


 野球回でやる野球は、結構でたらめなイメージがあるので心配になっていた。


「まあいい。アニメで見たものは1回忘れて、やりながら序盤で覚えていこうな」



 午後1時。試合の時間がやってきた。


チーム名 ライジングレキオスズ


1番 キャッチャー 比嘉昇     右投左打

2番 ファースト  糸数エリカ   右投左打

3番 ピッチャー  嘉数辰     右投右打

4番 サード    ガタイモブ   右投右打

5番 ショート   チャラいモブ  右投右打

6番 セカンド   ちびモブ    右投左打

7番 レフト    柴引子守    右投右打

8番 ライト    ナビー     右投右打

9番 センター   金城琉美    右投右打


 俺とナビーで琉美のカバーができる守備位置となった。打順はもちろん後ろ詰めだ。


「首里チューバーズ対ライジングレキオスズの試合を始めます。礼!」


『おっしやーーす!』


 俺たちは先攻なのでベンチに戻る。

 その時、ライジングさんが柄にもなく、苛立いらだっているように見えた。


「ライジングさん、大丈夫? なんか怒ってないか?」


「ああ、相手チームに嫌なこと言われてしまってね……」


「もしかして、俺たちを見て馬鹿にされたのか? まあ、女の子3人もいれば笑いたくもなるか」


「ごめん。シバたちに嫌な思いさせるかもしれないこと忘れていたよ……」


 ナビーがライジングさんの背中を平手でバシっとたたく。


「私たちが勝って笑い返せばいいさー! うり、1番バッターだろ。打ってこい」


 ライジングさんは気持ちを切り替えられたのか、いつもの顔に戻ってバッターボックスに向かった。

 その光景を見ると、ナビーがキャプテンや監督に見えてしまうほど頼もしく感じる。


「プレイボーーール!」


 相手ピッチャーは、身長180cm以上の長身から140キロの速球が武器の、草野球ではチート並みの選手だ。


1回表 ライジングレキオスズの攻撃


 1番比嘉昇。初球、真ん中高めに甘く入ったストレートをセンター前にはじき返し見事な1ヒット。


 相手キャッチャーがピッチャーに投げかける。


「いいよ、どんまい。こいつはしょうがない。いい球来てるから低めにな!」


 どうやらライジングさんは皆が認めるほどうまいらしい。あの球を初球ヒットできるのは大したものだ。


 2番糸数エリカ。相手の内野陣はバントを警戒して前側にシフトしている。それもお構いなしにエリカはバントの構えをした。

 ピッチャーは、バントを成功させてたまるかと言わんばかりに、力の入った速球を投げてくるが、2球連続でボール。

 どうやら、身長の高いライジングさんの後に女性で身長が低いエリカ相手だと、ストライクゾーンが狭く感じて投げにくいようだ。

 3球目、ド真ん中に来たストレートをバントせずに引く。

 その時、ライジングさんはキャッチャーが投げることをあきらめるほど完璧な盗塁を決めていた。

 4球目、続けてバントをしようとボールに当てたのはいいが、球の勢いに押されてはじかれる。2ボール2ストライク。

 5球目もバントの構えなのでファーストが馬鹿にしたように前に寄ってきた。

 それを確認した瞬間、バントをやめてヒッティングに切り替えると、どん詰まりのゴロがファーストの横を過ぎ去っていった。

 打ったエリカは1塁に全力で走る。

 打球をセカンドがギリギリ取り、1塁ベースに来たピッチャーに投げてエリカは間に合わずアウトになってしまった。

 しかし、その間に2塁にいたライジングさんはホームに帰還していて、1点先取していた。


 ライジングとエリカはハイタッチしてベンチに戻ってくる。


「ふん。馬鹿にしすぎなんだよ」


 自分ができる最大限のことで見事1点を取ってしまった。


「すごい! 2人で1点取っちゃうなんて」


「本当は、タッペイも入れて3人で1点取るのがいつもの流れなんだけど、うまく行き過ぎたよ」


 3番糸数辰。2球見送った後2空振りで2ボール2ストライク。

 5球目、内野が深く守っていることを逆手に、不意のセーフティーバントをサード側に転がして内野安打となった。1アウト1塁。


 4番ガタイモブ、5番チャラいモブは2人とも三振で3アウトチェンジ。


1回裏 首里チューバーズの攻撃


 タッペイは体格とは真逆に技巧派ピッチャーだった。

 120キロ代の速球にカーブ、スライダー、フォーク、シンカーを巧みにコントロールしている。

 相手チームの1番から5番は全員苗字が比嘉ひがだという。

 みんな出塁率が5割以上で、最高の流れをつくる比嘉ストリームと言われているらしい。


 1番比嘉1号。セーフティーバントで内野安打。

 2番比嘉2号。送りバントで1アウト2塁。

 3番比嘉3号。高めに抜けたカーブを見逃さずにバットの芯にとらえると、ナビーの頭上を越えライトスタンドにギリギリ入るとみんなが思った。

 しかし、ナビーはものすごい速さで追いかけると、フェンスを踏み台にしてジャンプしボールをキャッチした。


「ナビー! 2塁に投げれ!」


 ホームランだと思い、余裕をかましてホームベースに来ていた2塁ランナーが慌てて戻っていく。

 体勢を整えたナビーが、セカンドちびモブの中継を無視して2塁ベースめがけて強肩を見せつけると、ランナーを刺して3アウトチェンジになった。


 会場中が数秒、静まり返ったと思ったら、敵チーム以外のみんなが歓声を上げ始めた。

 ベンチに戻るとチームのみんなが盛り上がっている。


「ナビー、ちょっとやりすぎじゃないか?」


「なんでよ! この世界の人間ができる範囲でやってはいるのにな?」


「草野球でメジャーリーガー級のプレイだから、目立ちすぎるんだよ……」


 ライジングは気が高まって俺に話してきた。


「このままで大丈夫だよ! 今日1日、この場にいる人たちに目立ったくらいで、どうってことないだろう。それより、この流れで追加点とるよ!」


 どうやら勝ち筋が見えてきたようで、感覚が緩くなっている様だ。

 もう少し様子を見て、力を調整してもらうことにしよう。


2回表 ライジングレキオスズの攻撃


 6番ちびモブは、見逃し三振で1アウト。

 そして、俺の打順が来てしまった。

 実は、父の意向で小学4年生から6年生卒業までの3年間、少年野球をやっていたので全く野球ができないわけではない。

 逆に、やっていたがために相手がとんでもないレベルのチームだということがわかって少し委縮いしゅくしていた。

 とりあえず、2球見逃して球筋を見てみると、思ったよりも目で追えていることに気が付いた。1ボール1ストライク。

 3球目、内角高めのストレートをしっかりと見据えフルスイングした。


「ファール!」


 絶対打てる気持ちでスイングした4、5球目もファールだった。

 そして、6球目に外角低めのストライクからボールになるスライダーを振って三振してしまった。


 ネクストバッターのナビーとすれ違う。


「クソ、意外と目では追えていたんだけどな……」


「どんまいだねー。それより、何でシバはにじり打ちしてたのか?」


 それだけ言ってナビーはバッターボックスに立った。


 ……どういうことだ? 俺は右利きだから右打席に立ったんだが。


 もやもやしたままベンチに戻ると、ピッチャーが1球目を投げた。


「ストライク!」


 相手バッテリーはナビーの異様さを警戒してか、外角のボール球で様子見をしてきたが、ナビーはそれを振りにいって空振りした。

 慌ててナビーに注意する。


「おい! ベースの上を通る球だけ打つんだよ!」


 ナビーは右手をあげてわかったというような顔をしている。

 2球目、俺の説明を聞いたバッテリーは、真ん中高めのボールを投げてきた。完全なつり球だったが、ナビーが振ったバットをかすってファールになった。0ボール2ストライク。

 たまらずタイムを取り、ストライクゾーンのことを説明しにいった。

 3球目、外角にそれたのを見逃してボール。

 4、5球目、ベーススレスレの高さを見逃してボール。3ボール2ストライク。

 ナビーがストライクゾーンを見極められるようになったので、ピッチャーはストライクを投げなければいけないが、低身長のナビーはストライクゾーンが小さいので投げづらいようだ。

 6球目、キャッチャーがあきらめてど真ん中に構えた。

 そこに素直に投げられたストレートをフルスイングした打球が、レフトの頭上を越える大きな弧を描いた。


『入れーーーーー!』


 バン!

 スタンドには入らずに、フェンスギリギリのところに当たった。

 レフトがもたついている間にナビーは3塁まで進んでベンチに向かって拳をあげた。

 ライジングさんが興奮している。


「ナビーちゃんすごすぎだよ! あと体重が5キロあったら、入っていたんじゃないかな」


「それより、次は琉美だ。大丈夫かな?」


「僕に任せて!」


 そう言ったライジングさんは緊張気味の琉美にコソコソ何か耳打ちして戻ってきた。

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