那覇パニック編

第16話 私、もう限界……

 2019年4月8日、午前8時。スマホのアラームで目が覚めた。

 部屋のカーテンを少し開けると、新学期が始まったばかりの学生たちが登校している姿が、朝日に照らされてまぶしい。

 私、金城琉美きんじょうるみは先月までは華の女子高生だったが、卒業して今は看護系の専門学生。……のはずだった。

 洗面台の前に立ち、腰まで伸びた自慢の黒髪をお団子にして、顔を洗うのが毎朝のルーティーンだ。

 ここ3か月、一度も消えてくれない目の下のクマも、今はもう気にならない。


 半年前、大好きだったおばあちゃんが亡くなって気を落としていたが、その時を境に私はおかしくなってしまった。

 葬式が終わり家に帰る道中、お母さんが運転する車に乗っていると、通常より5倍ほど大きな黒猫を見た。

 信号待ちだったので、慌ててお母さんにその猫を見てもらったが、お母さんは何もないじゃない、と言っていた。

 よく見てみると、近くを歩いている人も何事もないようにしている。あの大きさの猫をスルー出来るわけないので、私しか見えてないのだと知った。


 それからは、外出するたびに変な生き物を見るようになっている。

 友達に言っても最初は笑ってバカにするだけだったが、それが続くと気持ち悪がられて避けられてしまった。

 お母さんの方は、最初はおばあちゃんが亡くなったことのショックで精神が不安定になっていると思っていたようだが、1週間、2週間と私が変なことを言い続けるので、不安になって精神科を受診させられた。


 診断結果は、異状なし。

 それでも、変な生き物を見えなくなることはなかった。


 それから2か月がたったころ、私のやつれ具合を心配した、唯一私から離れていかなかった親友の夏生なつきがいろいろ調べてくれて、ユタという沖縄の霊能力者のところに連れて行ってもらった。


 そのユタは占いが当たると評判で、全国から占ってほしい客が訪れるほどらしい。

 大きな期待をして、悩みを打ち明けた。


ウガン拝み不足です。ご先祖の墓にウートートーお祈りしてきなさい」


 それだけ言われて2万円払った。その時の自分には解決するなら安いものだと思っていた。

 私が物心つく前に両親は離婚していたので、お墓参りはいつも母方のお墓だけだった。

 今回もそこに行ってウートートーした。


 それから4か月、状況は何も変わっていない。

 精神が参りながらも、高校卒業と看護の専門学校に進学決定することまでは頑張ってこなしたが、今はもう、少しも頑張れる気がしない。


 ここ最近は、見なければいいと外出せずに家に引きこもっている。

 そのおかげで気が楽にはなったが、外に出ないので別の要因でうつになっている。


 気持ち悪いものを見るような目で、お母さんが私を見ているような気がして、家の中でも合わないような生活をしていた。



 今日は気をまぎらわすため家中の掃除をしていると、午前10時にインターホンが鳴った。

 高校卒業後も私を心配して、たびたび家を訪れてくれていた親友の夏生が、セミロングの金髪になって私を遊びに誘いにきてくれたのだ。


「琉美おはよー!」


「いらっしゃい、って、その髪どうしたの?」


「ああ、これ? 大学デビューするため、気合入れてみたんだ。似合ってるかな?」


「似合ってるよ。それより、今日はどうしたの? 大学は?」


 夏生はこの春から大学生で、もう講義が始まっていると言っていたはずである。


「今日はたまたま休講になったからさ。でさ、これから大学とバイトで琉美に会う回数も減ると思うから、どっか、遊びに行きたいなーって思って」


「……」


「ああ、ああ! 無理そうならいいんだよ。私のわがままだから……」


 外出して、またあれに出くわすのは本当に嫌だ。しかし、1月も家にこもっていたので、外に出たい気持ちも大きかったし、このままでは前に進まないと思っていたので決意をかためた。

 それに、最後まで見離さないでいてくれている親友に、何かしてあげたいと常々思っていたので、いいタイミングなのかもしれない。


「じゃあ、支度するから私の部屋で少し待ってて」


「やったー! いいの!? いいの!?」


「いいから、静かに」



 とりあえずお昼なので、那覇市内のおしゃれなイタリアンの店で、パスタを食べに行くことになった。

 夏生は自分の車を持っているので、それに乗って国際通り近くのコインパーキングに車を置き、店に向かった。

 途中、変な生き物を見たが、遠目に1匹大きなヤモリを見ただけなので、そこまで気が滅入めいることはなかった。

 店に着くと外が見えない席に座り、2人でカルボナーラを注文した。


「これ食べたらどこ行こうか?」


「え? 行きたいところがあるから、誘ったんじゃないの?」


「ただ、琉美とどっか行きたかっただけで、ノープランできました!」


「私はどこでもいいから夏生が決めてちょうだい」


「んー……じゃあ、国際通りをプラプラしない? 私、実は言ったことないんだよね」


「沖縄出身なのに? って、私も行ったことないけど……」


「そうだよねー! あそこは観光客が行く場所っていう先入観あるよね。しかも、いつでも行けるし、みたいな」


「わかった。じゃあ、ここから国際通りまで歩いてプラプラしよう」


 店を出て100m先にある国際通りに向かった。

 夏生と話しながら歩いていると、フライパンくらいの大きさのしゃもじが宙に浮いてただよっていた。

 心臓がギュッとなったが、夏生に悟られないよう自然体に話を続ける。

 すきを見て横眼で見ると、曲がり角付近で黒い霧状になって消えているのが見えた。


「はっ!」


 初めて見た光景に思わず声が出てしまったが、夏生は聞こえていたはずなのに、何事もなかったようにふるまってくれている。

 こんな時、夏生が親友でよかったと思う半面、私とかかわったせいで必要以上に気を使わせていることが心苦しかった。


 消えたしゃもじは何だったのかと考えていると、国際通りに到着していた。


「いやー、車では通るけど、歩きでは新鮮に感じるわー」


「とりあえず、端から端まで歩いて、面白そうなお店を探そう」


 しゃもじのことはいったん忘れて、せっかく来たので楽しもうと気持ちを切り替えた。

 しかし、それを上塗りする光景が広がっていた。


 国際通りの真ん中で、カマキリ、ハト、トカゲなど合計10匹ほどの変な生き物が暴れまわっている。

 夏生はもちろん、周りの人も誰一人としてこの異常な光景を気にもしていない。

 気持ち悪くなって、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「琉美!? どうしたの!? 大丈夫!?」


「……ごめん、気持ち悪くなって……」


 吐き気をもよおしたので、筋道に駆け込み下水の側溝そっこう嘔吐おうとした。

 心配している夏生は、私の背中をさすって大丈夫、大丈夫と落ち着かせてくれている。


「ごめんね……無理させてたんだね。今日はもう帰って休もうか」


「……うん……ごめん」


 少し落ち着いたので、車を置いているコインパーキングに向かおうとした時、変な生き物がいた方から大人の女性の叫び声が聞こえる。


「誰かー! 助けてください! だれ……」


 そこを振り向きたくなかったが、叫び声が急に途切れたので気になって見てみると、歩道の真ん中に男女4人が倒れていて、そのすぐそばには先ほど見た大きなカマキリが立っている。


「ああ、あああ、あああああ!」


「琉美! 琉美! 大丈夫だよ! 落ち着いてね!」


 頭の中がパニックになっていた。

 まさか、あの生き物が人を襲っていると思っていなかった。しかも、もう一度見たとき明らかに数が増えて見えた。


 もう、完全に自分の頭はおかしくなってしまったのだと悟った。


「私、もう限界……」


 感情がなくなり、うつろになっている。


「夏生……ありがとう、もう大丈夫だから……」


 無表情で夏生の手を離し、行先も分からないままただ歩いた。


「待って、琉美! そんな顔で大丈夫なわけないでしょ! ちょっとだけ座って待ってて。あっちの倒れている人が気になるから、ちょっと行って救急車が必要かだけ確認してくるから」


 あっちに行くってことは、夏生もあれにやられる。

 わずかに残った意識で必死に行くのを止める。


「だめ! あっちに行っちゃ、だめ!」


「大丈夫! 他に誰かいたら変わってもらうから、少し休んでいてね」


「違う! 違うの!」


 夏生の手を掴み、行かせないようにと思ったが、振り払われてそのまま走って行ってしまった。あの10数匹の群れの中に。


 案の定、夏生はそこに行くまでに大きなトカゲにぶつかりそのまま倒れてしまった。


「……ああ……そうだ。……私が死ねばいいんだ……そうにちがいない」


 私が見えるせいでこうなったのだと、なぜか思ってしまった。

 そこにバイクで向かう人が見えたがもう気にしない。


 気が付くと、近くのビルの屋上のふちに立っていた。

 もう、覚悟を決める必要がないくらい、すんなりとここから飛び降りることができる気でいる。


「夏生、ごめんね。でも私が死ねば大丈夫だから……」


 目を閉じ、足場のない一歩を進んだ。

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